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前回のあらすじ
法に抵触しつつ廃墟を愛でる趣味を手に入れたのだ
さよならのお片付け
3年とちょっとの船橋居住期間を経て関西に戻ることにした。なんの実績もなかったけれど、なんとかなるよという自信だけがあふれていた。当時帰省直前に会った音楽仲間に
「ゆーさくさんエネルギーぱんぱんやな!」
と言われたのを、なんだかまだよく覚えている。
ちょうどその頃、警備会社で知り合った友人のまーくんが別れた彼女に夜逃げよろしく家電をいくつか持っていかれたということで、我が家で廃棄予定だった洗濯機や冷蔵庫を引き取ってもらった。まーくんの家はうちから歩いて5分ほどのところだったから、連日片付けのヘルプに来てくれていたウパにも手伝ってもらって、真夜中に我が家の冷蔵庫を担いで運んだりした。担いだのは彼らで、僕は隣りでゲラゲラ笑っているだけだった。
ただいまのお片づけ
実家に帰ってしばらくは、とにかく片付けの日々だった。田舎の家はとにかく敷地が広いから、あと時代的なもったいない精神も手伝って、とにかくものを捨てない。それまでも帰省の度に気になっていたのだけど、家の大半がものに埋まっている現状に、果たして僕は着手したのだった。
どれくらいものを捨てただろう。毎日何個もゴミ袋を作って、週二回のゴミ出しの度に軽トラの荷台がいっぱいになった。そんな暮らしが、半年ほど続いた。その間僕は仕事をしなかったけれど、とにかく家事をして、ゴミを出して、コンテンツを作って、また家事をして…ということを延々と繰り返していた。両親もなんだか分かってくれて、仕事をしろとか、働けとか、そんなことはほぼ言われなかった。
ある日、ようやく地面の見えてきたガレージに気を良くしていたら、父(学校教諭)が「学校の工作室で余ってたから持って帰ってきた」と言って、えびす顔で木組みのシンプルな椅子を空いたスペースに積み上げた。僕は「そんなものを置くために掃除をしたんじゃない!」と怒り狂った。台所では母がひっくり返って笑っていた。
もうかなり片付いてきた頃の写真。椅子はまだ来ていない。
ゴミを捨てに行くときは毎回こんな感じ。
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