家族や友人をブログなどで紹介する際には、常に覚えておかなければならないことがある。それは、情報というのは発信した直後から一人歩きを始める、ということである。この法則を忘れていると、記事を読んだ方から、こちらの思惑とはまったく違った感想が飛んできたりする。実例としは、以下の通りである。
【読者が加害者側に付く。】
人との関わりで被った被害を報告しているだけのはずなのに、何故か僕が愚か者で、加害者はそうして然るべき、といった評価をする者が現れる。そういった場合読者は高い確立で加害者に共感しており、僕がどれほど自分の正当性を訴えても論理と暴力をもってそれを抑圧しようとする。
先日も”鋭い嘘”というタイトルの記事の中で僕が彼女様に鋭い嘘を付くべく発信した電話が「忙しいから」というひと言でズッパリと切り捨てられた不服を訴えたが、これを読んだ読者は高い確立で
「彼女の仕事や生活時間の都合を考えろ」
「どうしてお前の嘘を聞かなければならないのか」
「いいからちゃんと働け」
などといった感想を抱き、彼女様の味方となる。そうなってしまうと、もう何を言っても無駄である。僕の訴えは読者の中で整合性を失い、論理性を失い、信頼を失う。冷静に考えていると自分でも自分の訴えが信用できなくなってくるから、油断ならない。
・→鋭い嘘
【気付かない方が良かった才能に気付く者が現れる。】
家口リョウというシンガーソングライターがいる。僕は「東京ゆがぜん!」というイベントの広報をしている時に、彼のキャラクターをなんとかして作り上げなければならなくなった。そこで僕は大量に撮り溜めた写真を厳選し、この男を希代の変態紳士へとプロデュースするという作戦を、本人に一言も相談せずに決行した。
その結果、家口リョウは始めて会った方から
「あの家口さんですか・・・?」
と物珍しさと不安の入り交じったフレーズを投げ掛けられるまでに成長した。普通であればここで僕にちょっとやり過ぎ的なクレームが入る所であるのだが、この男は
「よくぞ見抜いた」
的な反応を見せ、頼みもしないのに自らの変態性を研鑽し始めたのである。イベントの開催の度に磨かれてゆくその表情や仕草に、僕は戦慄を覚えた。人の内面世界を語る時は、そこに獰猛なクリーチャーが潜んでいることも考慮しなければならない。
磨かれた後の家口リョウ。私は大変な怪物を生み出してしまった。
この男が真人間を装っているブログがこちら。
【紹介した人間が必要以上に美化されてしまう。】
特に僕の場合、ということなのだけど、記事に登場した人間が必要以上に美化されてしまうことが非常に多い。
そもそも人は人の顔を想像する時、決まって美男美女をイメージするものだ。そこに来て、一項と重複するが、僕の彼女様などは顔出しNGであるから(無視すると命に関わる)、ドライ&サバサバ系の長身スレンダー美女を想像している方が多い。当然キツい言葉などは僕が記事にする段階でマイルドに変換しているから、直接は見えてこない。
念のために伝えておくが、僕の彼女様は絶世の美女である。あまりに高次元な美女であるために、本人以外の人間(僕を含む)にそれが理解出来ないだけなのだ。ちょうど、犬が二次方程式を理解できないことに似ている。
それに引き換え、よく顔を出し考えを記事にして吐き出している僕は読者との距離がどんどん縮まってゆくから、大した事が無いと見下されることがある。念のために伝えておくが、僕は絶世のイケメンである。あまりに高次元なイケメンであるために、僕以外の人間(彼女様を含む)にそれが理解できない不幸に見舞われているのだ。ちょうど、凡人が天才画家の表現と美意識を全て理解できないことに似ている。
今回紹介した様々な理由から(これでもまだごく一部である)、ブログ記事に人を登場させることがいかに大変であるかが分かって頂けたかと思う。
しかし、喜びや可笑しみというのは、やはり人から滲み出るものなんである。自分ひとりでは表現し得ない楽しさというものを、家族や友人を登場させることで演出できるのだ。当然そこには様々なリスクが伴う。細心の注意を払いつつ、継続していこうと思う。
そして、僕ももうちょっとみんなのブログに登場してもいいんじゃないかな?と思う。やはり高い次元のイケメンを評することは、難しいのかもしれない。