シンプルはいい。
スカイツリーも東京タワーも、そのシンプルなデザイン故に人々の記憶に深く残っている。
サグラダファミリアなどは複雑の極みであるが故に、1882年の着工から100年以上が経った今もまだ絶賛建築中ではないか。
ものすごく行ってみたいけども。
僕たちは往々にして、物事を複雑に捉え過ぎてしまう。
例えば、音楽で儲けたい!と願っているミュージシャンは大勢いるが、その多くが事務所への所属や複雑なWebシステムの構築が必要だと信じ込んでいる。
しかしその本質は、素敵な音楽を素敵な連中が演奏しているという、それに尽きる。
家族間の悩みなどもそうだ。
家の中に重苦しい圧迫感を感じるのなら、圧迫してきているものを手放せばいい。
押入れの中の使わないものを一気に捨てたり、「あいつはこうだから」という思い込みなどを捨てればいいのだ。
もっとシンプルでいいのだ。
そもそも人は実にシンプルな生き物なのだから。
それは、子供の頃に周りの人間から「お前あの子のこと好きなんだろう」なんて言われているうちに本当に好きになってしまうくらいシンプルなのだ。
人は言葉によって出来ているのだ。
「音楽は食えない」と言っている人が音楽で食えるようには絶対ならないし、「私なんかダメだから」と言っている人はダメな私を卒業できない。
言葉こそが、人なんである。
では、どうしたらもっとシンプルに生きられるのか。
それは、目の前の物事にただただ集中することだ。
例えば、仕事帰りに事務所に立ち寄った彼女様が実に不機嫌であったとしよう。
敵は荒々しく扉を開け、本当だったら土足で上がってやるところだと言わんばかりに乱暴に脱ぎ捨てられたスニーカーが踊るのを見つめていると、さながらフリーザに親友を目の前で爆殺されたサイヤ人が如き鬼の表情でもって迫ってくる。
この時点で、基本的には助からない。
僕の選択肢としては、
①このまま黙って殴られる
②何があったのかを聞いて殴られる
③記憶喪失を装い「君は・・・?」などという演技をするも殴られる
の三択である。
いずれにせよ彼女様は破壊の限りを尽くさぬ限り立ち止まらないので、僕としては覚悟を決めて①の「黙って殴られる」を選択することが、シンプルな回答である。
どうせその後「愛する彼女が不機嫌なのだから、機嫌のひとつも取ったらどうだ」と怒られるのだし(仮に②を選んだとしたら「お前に何が分かる」と怒られる)、殴られた表紙に記憶を失っても、「お前は私のサンドバッグであったのだ」という記憶を植え付けられかねない(そしてそれは実に正しい)。
人は実にシンプルなのだ。
栄養を摂り、体を温め、一生懸命に働く。
その時々で目の前にあることに集中していれば、自然と不安や恐怖なども薄れてくるものだ。
そういえば、先ほど伝え忘れていたことがある。
僕の事務所のドアは、僕の在室中は常に鍵が空いている。
怒り心頭の彼女様がノブを引っ張った時、鍵が閉まっていたなら、場合によっては敷金が犠牲になることも考えられるからだ。
やはり物事はシンプルに考える方がいい。
ここまで考えたところで、自分の考えに大きな欠落があるこに気付いた。
彼女様に殴られないで済むシンプルな方法が、どうしても見つからない。