旅人と生中で乾杯。


Lonely girl with suitcase at country road.


およそ7年ぶりに出会った友人は、他の誰とも似ていない魅力と決意に満ちていた。

彼女とは僕がケータイ屋をしていた時に回っていた千葉の店で出会った。
実に素直でまっすぐで、当時何かにつけて斜に構えていた僕はある程度の猜疑心を抱きながらも、安心して言葉を交わせる数少ないスタッフのひとりだったのだ。

僕がケータイ屋を辞めてからしばらくは音信不通。
そのうちFacebookなんて便利なものができて、僕は彼女のアカウントにフレンド申請を投げた。

なにやら、化粧が濃くなっているなあ。
おお、この子は人生を謳歌しておるぞ。

などなど、色々なパワアを感じさせる写真が、ポツポツと落ちてきていた。
それで、昨日だ。
どうにも一度会っておきたいと思って気まぐれに「今度関西に来る時は声を掛けてね」などと軽薄なコメントを投げていたら、本当に声を掛けてくれたのだ(こういう人に対するマメさは勉強になる)。

京都から大阪に移動しているということで、僕たちはJR京橋駅の北口で待ち合わせた。
年下の女の子と待ち合わせるには何ともイカガワシイ街だけれど、交通の便が良いのだから仕方がない。

改札の出口で最近電源が落ちるようになったiPhoneを触っていると(まだ分割が半年分も残っているのに)、僕の記憶にあったよりも小さなコロコロとした女の子が、身の丈ほどもあるのではないかというリュックを背負って、重心のバランスを取るために前傾姿勢で現れた。
これほど愛嬌に満ちた前傾姿勢を、僕は未だかつて見たことがなかった。

再開を喜び合い、少し歩いて炉端焼きの店に入ると、彼女はリュックサックをどかんと降ろして、ビシッと生中を注文した。
僕も勢いにあやかり、久しぶりにビールを頂いた。

彼女の話しは実に愛と情熱に溢れていた。
中学生の頃に決意した夢のために、資金を作るべくケータイ販売の業界にいたこと。
資金が貯まり、仕事を辞めてからお遍路を回ったり日本を一周したり、カンボジアに何の当てもなく飛んで電気も通っていない村で日本語を教えてきたこと。
そのどれもが僕のスケールを遥かに超えていて、しかし彼女自身にとっては実に当たり前のことで、僕はすっかりその話しに聞き入った。

中でも度肝を抜かれたのは、お遍路の話しだ。
四国にはお遍路を回っている人を歓迎する習慣があるそうで、彼女は歩いている間、様々な人のお世話になった。
88箇所の寺を回り終えた彼女はレンタカーを借り、さらに1週間を掛けて四国をもう一周し、お世話になった方々に感謝を伝えて回ったのだという。

思うことなら、誰でもできる。
感謝を抱くことも、誰でもできる。
それを行動にして返してゆく困難を彼女は実にあっさりと超えていて、それはもう暖かい手のひらでビンタをされたような不思議なインパクトが、このストーリーにはあったのである。

その他にも沢山のことを話した。
彼女は語りつくせぬ物語をかいつまんでいくつも教えてくれたし、僕も言葉に仕切れていなかった色々なことを出させてもらった。
気がつくと3時間があっという間に過ぎていて、僕たちは会計を済ませると、実にあっさりと別れた。

人として成長をしたければ旅をしろ、という格言がある。
彼女はこれから関西を回り、台湾に文化を学びに行った後、改めてカンボジアに帰ると言った。
きっと、これからどんどんと大きくなっていくのだろう。

旅とは即ち、出会いである。
自分自身の喜びに向かい、希望に向かう限り、そこには必ずドラマが生まれる。
僕は旅人ではない。
しかし、僕自身のドラマを生きている。
そう思ってもいいのだ、とも、彼女は謙虚な言葉遣いで、キラキラとした言葉達で、僕に語ってくれた。
この出会いもまた、彼女のドラマであり、僕のドラマであるのだ。

最後に彼女との話しの中で面白いと感じたエピソードを、もうひとつだけ添えておく。
彼女は必要な資金が貯まり、そろそろ仕事を辞めたいと思った時、思うように辞められなかったのだそうだ。
そこで会社から言われた役割を、特にストレスを感じている自覚もなくせっせとこなしていたところ、ストレス性の腹痛を発症し、手術をすることになったのだという。

その後仕事を辞めて自由を生きるようになった彼女ははたと、何をすれば自分が喜ぶのか、何をすれば自分が悲しむのか、そういうことに気付いたのだそうだ。
それからはすっかり体も良く、カンボジアでお腹を下したことも、「付きものですからねー」と言って笑っていた。

人は、知っているのだ。
ただ、気付いていないだけだ。

僕らはきちんと喜んでいるし、悲しんでいる。
怒っているし、笑っている。

そのひとつひとつに気付いていくことが、『自分と出会う』ということなのだろう。
彼女とはまた会うかもしれないし、もう会わないかもしれない。
だけどきっと僕は、昨日の3時間足らずの逢瀬を、きっと忘れない。

会いに来てくれて、ありがとうね。