先の見えない土管の向こうに飛び込むマリオの狂気。


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コピーバンドには独特の違和感が伴う。
答えは実にシンプル。
「本物ではないから」だ。

コピーバンドを馬鹿にしているのではない。
僕よりも素晴らしいライブパフォーマンスを魅せるコピーバンドはたくさんいる。
また、オリジナルのミュージシャンと同等かそれ以上に、作品を演じきるミュージシャンも多くいる。

だから、「作品を作った人かどうか」ということは、「本物か偽物か」という問題の問いかけにはならない。
大切なことは、その人が自分の人生を歩いているのかどうか、ということだ。

人は、自分の人生しか歩けない。
どんなに憧れても僕は桑田佳祐にはなれなかったし、島田紳助にもなれなかった。
きっと椎名林檎にも斎藤一人にも仮面ライダーにもなれないだろう。

シューティングゲームやレースゲームの中に、FPSと呼ばれる形のものがある。
「First Person shooter」の略で、プレイヤーがゲームの登場人物と同じ視点になってゲームの世界を動き回るというものだ。
これが、実に難しいんである。

例えばスーパーマリオなら、仮にマリオの目の前に土管があったとしても、プレイヤーという第三者の視点で見れば、その向こうに不自然な穴があったり、怪しげな亀が闊歩していたりするのが見える。
しかしFPSでは、目の前に壁があると、その向こうに敵がいるのかどうかサッパリ分からないのだ。

よく人の人生を羨む人がいるが、それは第三者という視点から、人の人生を眺めているからにすぎない。
マリオだって気前よくジャンプしているように見えるが、本人からしてみれば何があるのか分かったものではない土管の向こうに飛び込んでいく訳だから、その度胸と覚悟たるや、正気の沙汰ではないのだ。

第三者には分からない苦労を、当事者は背負っている。
僕たちだってそうではないか。
僕はよく人から「落ち着いていますね」などと言われるが、心中穏やかである時の方が少ないくらいだ。
いつも、この手は失敗するのではないか、練習は不十分ではなかったか、次はどういった理由で彼女様から怒られるのか、戦々恐々として日々を過ごしている。

しかし、それをアピールしたところで、誰かが幸せになるだろうか。
黙っていればいいのだ。
人が「落ち着いていますね」と言ってくれたら、「ありがとうね」と言って、受け取ればいいのだ。
そして、「そうか、僕は落ち着いて見えるのか」などと思いつつ、脇に汗を湿らせておけばいいんである。

ステージに立つ人間としてひとつ、確信していることがある。
それは、この世の中にステージでない場所などどこにもない、ということだ。

僕たちは役柄を与えられ、それを演じて生きる。
それは主婦かもしれないし、建築家かもしれないし、営業マンかもしれないし学生かもしれない。

しかし、もっと大切な役を、その前にもらっているではないか。
例えば僕なら、『山本優作』という役を貰っているのだ。
この役には、和歌山の片田舎に生まれ、スピリチュアルな母の家系と教育と音楽の染みた父の家系の血を混ぜ合わせ、イジメに合い、万引きで捕まり、上京し失敗し心を病み立ち直りマイナスの経験を乗り越える方法をスピと理論を現実に落としながら人に伝えるというストーリーがあったのだ。

この人生のストーリーは、ハッピーエンドにもバッドエンドにもできる。
どうせなら、ハッピーエンドにしたい。

人は、色々な人から色々な役割を与えられる。
それは劇中劇のようなもので、例えばドラマ『相棒』の杉下右京の職業が警察官であるように、ドラマ『我が人生』の君の職業が、何であるかという話しなのだ。

時折「こんな仕事じゃダメだ」と、人から与えられた役割にケチを付ける者がいる。
そんなことだから、その程度の仕事しか与えられないのだ。

僕は貧乏のどん底で就職活動にも失敗した時、警備員のアルバイトで日銭を稼いで生きていた。
こんな仕事じゃあ・・・などと思い力を出し切らないでいると、どの現場に行っても嫌われた。

ある時、偶然に仲良くなった現場の監督のために一生懸命力を出していたら、その現場を任せてもらえるようになった。
仕事が終わったら一緒にお酒を飲み、将来について語り合うようになった。
毎日の仕事が楽しく、それが活力となり、当時の音楽活動や寺子屋の立ち上げを大きく後押ししてくれた。

今目の前にあることは、今懸命に掴み取るべき手がかりだ。
それは少し、手を伸ばさないと届かないところにある。
「どうしてこんなことをせんといかんのだ」とふて腐る気持ちも分かる。

だけどその手がかりは、君に掴んでもらうためにそこにあるのだ。
出来ることは全部する。
足りないものは人から教わったり、勉強したり練習したりする。
何か教えてあげられることは、惜しみなく教える。

たったこれだけのことをするだけで、人生は恐ろしく簡単に好転し始める。
苦労もある。
悩みもある。
どん底の状態から立ち上がることは実に困難で、羽ばたきたい空は遥か高く感じる。
「君にも翼がある」と歌う歌を馬鹿にしていたが、残念ながら僕も、同じようなことを言うしかないのだ。

君には翼がある。
しかし、羽ばたくにはまだ体力が足りない。
先ずは、立つところからだ。

どん底なのだから、地面がある。
今生きているのだから、生きていていいという事実がある。
死ぬべき人を生かしているほど、世界は優しくない。
君にはまだ、ストーリーが残っている。
壮大な思いと裏腹に、あまりに小さなその手がかりを、君は全力で掴み取るべきだ。

自分の人生を生きるとは、そういうことだ。
自分の役柄を演じるとは、そういうことだ。
本物になるとは、そういうことなんだよ。