スマホ一台で世界中の情報に触れられる時代である。
安楽椅子の探偵ではないが、行動しなくても様々なことが知れる。
知れてしまう。
膨大な情報に触れているのに、僕たちは自分の好きなことひとつ知らない。
理由は簡単だ。
「知識」はあっても、「体験」していないからだ。
例えば突然目の前にスティービー・ワンダーが現れて、人を感動させる楽曲の製作理論を語られたとしよう。
それで全ての人が名作曲家になれるかというと、そうではない。
飲み込みの早い者や遅い者はいるだろうが、いずれにせよ必ず「練習」という体験を積み重ねる作業が必要だろう。
逆上がりもそうだ。
友人が目の前でくるくる回っているのをいくら見ていても、自分ができるようになる訳ではない。
「知っていること」と「体験していること」は大いに違う。
そして今、「体験している人」が圧倒的に少ない。
平素は休日を死ぬほど望んでいるのに、休日の楽しい過ごし方を知らない。
明日からまた仕事だと項垂れる程度の休日の過ごし方しか知らないものだから、後に後悔を残す。
じゃあ何をすれば満足のいく休日が過ごせるのかというと、「知るかそんなもん」が答えである。
要は、自分という人間の実験だと思えばいい。
悔いを残した休日は、どのように過ごしたか。
朝ダラダラ起き出して、そのまま昼過ぎまでテレビを見て、ラーメンをすすりながらネットを彷徨っていたらもう夜だった。
そんな休日を悔いたことがあるのなら、ただ、同じことをしなければいい。
実に簡単な原理のこれを、多くの人が知らない。
楽しくなかったことは、自分で「もうやらない」と決めて、やらなければいい。
そして別のことをして、また別のことをして、次も別のことをしてみる。
それを繰り返すと、「こうすると自分は気持ちがいいのだ」ということが分かってくる。
ゆったりと休日を過ごしたいと頭で思っていただけで、もしかしたらジムに行ってバリバリ体を動かす方が、スッキリした休日を過ごせるかもしれないのだ。
それは、自分という人間が何に後悔を感じ、何に喜びを感じるのか、調べる実験を繰り返すことでしか知りようがない。
いつも昼前に起きていた人は、試しに夕方まで寝てみればいい。
それでつまらなければ、夜まで寝てみればいい。
その次は、朝早くに起きてみるのだ。
思考ゼロで、なんの根拠もなく早起きがいいに決まっていると言い張ることに意味はない。
全て経験して、その上で「夕方まで寝るとめちゃめちゃスッキリするんだ」と感じるのなら、それが自分にとってベストの休日なんである。
じっと自分自身を観察するのだ。
繰り替えしになるが、僕たちには圧倒的に「体験」が足りない。
経験をしたことがないことは、大量の面倒と不安を引き連れている。
人が「それはやりたくない」と言う時、多くの場合は「嫌いだから」ではなく、「不安だから」「面倒だから」という理由で、やりたくないと主張していることがほとんどだ。
だから体験が増えない。
だから上手くいかない。
だから自分が好きなことも分からない。
好きなことや楽しいことは、不安で面倒なことの中にある。
面倒なことをやればいい。
不安なことをやればいい。
不安も面倒も、風呂のようなものだ。
飛び込んでしまえば後悔することはない。
自分をじっと観察して、何をすれば自分が喜ぶのかを見極める。
それを繰り返すだけで、人が発信している刺激を口を開けて待っているだけの受け身の人生から、抜け出すことができるのだ。
以上の素晴らしい気づき胸に、彼女様に「好きなことを何でもしていいって言ったら何をする?」と聞いてみたところ、
「綾野剛のいるあったかい南の島で一日中布団にくるまっていたい」
と答えた。
布団の中に居たのでは南の島も綾野剛も関係ないではないかと聞くと、それは必要なのだという。
「馬鹿じゃないの」とまで付け足された。
自分の好きなことは、自分にしか分からない。
聞いたところで理解もできないのだ。
君の好きなことは、一体何だ。
胸を張って答えられないのなら、もう少し不安で面倒なことを、やってみた方がいいかもしれない。