ビタミン”いっちょやったろか”の効能と弊害

ここしばらく働きづめだったので、今日は1日自分に休暇を与えてみた。

もう何もするもんかと心を決め、朝は10時まで布団の中でもう何周目か分からない巷説百物語を読み、起きてからは原因不明の胃痛に身もだう妻を横目に中華料理を食べに行ってきた。

帰ってきてからも何もやるもんか宣言は健在であるから、僕はふたたび布団に潜り込み、チワワを撫でつつスマホゲームを楽しんだ。
 
 
 
そうして過ごした結論なのだけど、何もしない日は至極つまらなかった。

どうにもこうにもパワーが沸いてこないんである。

あまりにつまらないので、結局夜7時を回ったくらいから部屋の掃除や洗い物をしたり、チワワ達の散歩に繰り出したり、色々やってしまった。

夜の川崎に吹く湿った風を浴びながら、僕はこれを、「ビタミン”いっちょやったろか”」不足と名付けた。
 
 
 
「ビタミン”いっちょやったろか”」は、主に働く男の闘争心を原材料として生成される栄養素である。

その日のやるべきコトや自分の役割が明確になるとよく分泌される。

ここまでやったら終わり、という区切りや、業務終了までの作業手順などが明確になると、分泌量が増える。

締め切りの日にちなどが近付いたり、同僚が病気で倒れたりしても出てくるが、その場合は原材料の一部に寿命を使用するので、可能な限り避けた方がいい。
 
 
 
というのが「ビタミン”いっちょやったろか”」の概要である。

普段働いている男は、高い確率でこの「ビタミン”いっちょやったろか”」を自身の活動エネルギーの大半に充てている。

それはつまり、「ビタミン”いっちょやったろか”」不足は、そのまま活動エネルギー不足に直結するということだ。

定年まで働いて退職したお父さんがそのまましょぼくれてしまったり、突然ボケが始まってしまったりするのは、この「ビタミン”いっちょやったろか”」の生成が終了したことによる影響が大きいと、僕はにらんでいる。
 
 
 
そういうことだから、僕は今日一日のつまらなさに危機感を抱いた。

何かを担っていなければ、責任を負っていなければ、頑張っていなければつまらないというのは、僕が何かを担えなくなったとき、責任を負えなくなったとき、頑張れなくなったときに、そこから死ぬまでつまらないということになる。

僕は30代に突入したばかりで、世間的にはここから20年ほど働き盛りと呼ばれる時間が続くわけだけれど、だからといって、「ビタミン”いっちょやったろか”」だけにわが活動のエネルギーを任せるのは、先述の理由により危険である。
 
 
 
そういう訳で、僕は今第二の栄養素である「ビタミン”これおもしろい”」を生成する方法を模索している。

手始めに、家をきれいに整理するとか、Amazonで見つけた便利そうな道具をDIYできないか試してみるとか、そういうところから徐々に始めてみている。

今のところ、家の整理がお金を使わず実利益も高く仕事への好影響もあるため、一歩リードといったところだ。

ただ、追い追いはそういった実利益的なものも手放していきたいと考えているので、まだまだ検討の余地はある。

もはや趣味だか仕事だか分からなくなってしまった音楽は、やっぱりどうにも仕事、という気持ちになってしまうのだけど、これによる「ビタミン”これおもしろい”」の生成への挑戦は、頑張るを手放すいい練習になるかもしれない。
 
 
 
「ビタミン”いっちょやったろか”」は、とても大切な栄養素だ。

だけど、それだけだと色気がない。

又市さんもおぎんさんも治平さんも、仕事だけが人生でないから、色気があって魅力的だったではないか。

百介くんがいつまでも野暮天なのは、知っている世界が狭いからだ。

てめぇをひとつの世界だけに閉じ込めちゃいけねぇよ。
 
 
  

 
実写とかアニメとか、色々やられてたんだね。

小池栄子さん!小池栄子さんじゃないか!もしかしておぎんさんですか!