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P.69:思い出ダイジェスト⑨(2018/10/29)
突然の骨移植(セルフ)
ある時、体育の授業中に両スネが痛くなった。痛みが引かなかったので、母が看護師として務めていた病院に行ってレントゲンを撮ってもらったら、ドクターが
「スネとかどうでもいいけど、お前踵に穴空いてんぞ」
などと言う。こっちは引き続きスネが痛くて困っているのに、屁とも感じない踵を指差して「たぶん良性だけど開けてみたらガンの可能性もある」なんて言われる始末である。あれよあれよというまに入院の手はずが整い、僕は人生初の手術をすることになった。
手術は、自分の骨盤のちょっと出っ張ったところを取って砕いて、踵の骨の穴に流し込むという、なんだか聞いたことのないようなものだった。自分の骨を自分に移植するという手術なので、よくある骨移植のような、適合だなんだという難しい問題は皆無なのだそうだった。
折しもタイミングは1年半付き合ったA子に振られた直後である。僕は結構弱っていて、入院前には体重が10キロ近く落ちちゃったりしていた。メンタルもかなりこじらせちゃっていたものだから、手術が決まった時は、悲劇のヒロイン的な不思議な高揚感があったものだ。
あっさり回復
悲劇のヒロイン(男性)の手術はあっさり成功した。2週間ほど入院したのだけど、腰と踵に手術跡があるものだから、しばらくは痛みで起き上がることができなかった。
とはいえ、いつのまにか股間に挿入されていたカテーテルが気持ち悪くてしょうがない。ましてこちとら花の十代男子。昼といわず夜といわず、股間への血流量が脳への数倍はあるお年頃である。某がスタンドアップするたびに、僕は今まで経験のない痛みにもんどりうったりしたものだった。
あまりの違和感と痛みに耐えきれずナースコールを押すと、なんと母が来た。しかし文句はいえない。こちらは今まさに額に脂汗が浮かんでくるほどの痛みと戦っているのだ。カテーテルを抜いてほしい旨を伝えると、母はおもむろに布団をまくりあげ、息子の息子を鷲掴みにし、ずるりとカテーテルを引き抜いた。痛みで身をよじると傷口が痛んでさらに身をよじって・・・という悪夢のような時間だった。
嫁はいらんか
カテーテルを抜いたのだから、当然お小水は自分で行かなければならない。何度も尿瓶にしようとトライしたけれど、どうしても出ないのだ。僕は車いすを借りて、まだ閉じていない傷口の痛みを歯を食いしばって耐えながらトイレに行った。
この時、僕をトイレまで連れていてくれた看護師さん(当然母の知人である)が、のちに母に「お前とこの息子、根性座ってんなあ。うちの娘いらんか」などとお声かけくださっていたらしい。ちょうど失恋直後、傷心中の僕だったから、実物をお持ちいただけたら、案外コロリといってたかもしれんよ。
的な事件をちょいちょい経験したりしながら、僕の入院生活は2週間ほど続いた。途中、幼稚園からの幼馴染や、高校で仲の良かった友人が何人か見舞ってくれた。普段は劇団や空手ばかりを気にしてすっかり見落としていたけれど、本当に大事にしてくれる仲間というのは、実は日常の陰日なたで寄り添ってくれているものだなあと、しみじみ感じたものだった。
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