父が教頭先生になったと聞いたのは、確か一昨年の春だ。それまで父は中学校で理科を教えている人なのだと思い込んでいたから、時の流れを強く感じた次第である。
ところで、皆様は教頭先生が一体どのようなことをしている人なのかご存知だろうか。僕自身は学生時代、教頭先生を校長先生よりも身近に感じていたのだが、その業務を一言で言い表すことは難しい。ここはひとつ、過去お世話になった教頭先生と現役教頭先生の父の証言を元に、教頭先生という役職が一体何をする人なのか、調査してみようと思う。
①生徒の不安を先読みする。
僕の記憶に深く残っている教頭先生と言えば、中学生だった頃にお世話になったK先生を語らずにはいられない。K先生は長身で、深い二重まぶたの爛々とした目をした人だった。元々は理科の先生だったのか、朝会で僕たちを前に話をする時は原子模型などを片手に
「こんな形をしてるけど、すごくちっちゃいから目に入っても痛くないんだよ」
と仰っていたものだ。生徒が内包している無自覚な不安に先んじてフォローを入れる辺り、素晴らしい教育者であったのだと感嘆を禁じ得ない。ひとつ指摘を入れるとすれば、今どれだけ当時を翻っても、誰一人として水原子が目に入ると痛いのではないかという不安を内包してなどいなかったということくらいだ。
②特殊工作班を結成する。
K先生は一部の生徒で構成された特殊工作班を直属に従えていた。何を隠そう、僕もその部隊の一員であったのである。
特殊工作班の業務は、手洗いで上履きを履き替えるための渡り板の修繕、担当教員の居ない工作室や美術室の片付け清掃、校舎玄関脇の池に暮らす鯉の餌やり等多岐に渡り、その作業は全てK先生からの指示の下、運行された。
大人から何かを任されることに喜びを覚える少年たちは、それはもうよく働いたものだ。作業報酬は、労いの言葉とK先生の満面の笑顔であった。プライスレス。
③春の訪れを告げる。
僕が通っていた中学校は春になると毛虫が大発生した。桜の木の幹木股に蠢く虫虫虫。その時期になるとK先生は自前の火炎放射器を背負い、淡々と地獄の炎をインベーダー達に浴びせかけていたものだ。
ふと授業中に見下ろす校庭に佇む真っ白な耐火服のK先生は、何よりも早く春の訪れを告げる存在であった。もう少し我々に豊かな侘び寂びの感性があったなら、季語としての容認を直訴していたところである。一句読ませろぉ。
④蛍光灯を変える
ここからは父から聞いた話である。
まず父が教頭先生になったのだという話を聞き、
「教頭先生って何をするの?」
と伺った質問に即返ってきた答えが、
「蛍光灯を換えるなぁ」
であった。教頭先生は蛍光灯を換える。どうしてだろう、少し寂しい。
⑤電話をする。
実は生徒が知らないだけで、学校にはちょくちょくとお客が来ているらしい。来客対応は多くの場合校長先生がするのだが、その段取りを整えるための電話は教頭先生がすることが多いのだそうだ。
「事務の人は?」
と聞こうとした刹那、どこからともなく溜め息の音が聞こえた気がして、それ以上の追求を諦めた。
⑥催し事に顔を出す。
マラソン大会やお祭りなどが催されると、父は必ずその場に行っている。何をしているのかと聞くと、何もしていないと言う。
「何もすることが無くてもいるの?」
と聞いて、
「そうや」
という返事を受け取ったところで、僕のインタビューは終了と相成った。父は、少し疲れているように思われた。
集計結果。
教頭先生の光と影が見えた気がするが、これらの情報をまとめてみると、こうなる。
教頭先生とは、生徒の不安を先読みし対策を打ちつつ蛍光灯を交換し、特殊工作班を結成する傍らで電話を掛け、独特のフォルムで春の訪れを告げながらお祭りやマラソン大会で人生と毛根を削る職業である。
光と影が入り混じり、壮絶の一言に尽きる。今春、父の誕生日が来る。何が出来る訳でも無いが、せめてもの気持ちとして、スカルプDをプレゼントしようと思う。