耳掃除とセルフイメージの無関係性。

セルフイメージという言葉がある。人間は人を分別し、ラベルを貼る生き物であるのだが、実は自分自身に対してもラベルを貼っているのである。そのラベルのことを、セルフイメージと呼ぶのだ。

自己啓発の世界では、このセルフイメージを高めよ、と言う。人は他人に対しては己の価値観に則って細やかな指摘ができるものだが、自分自身に対しては無意識無自覚の領域が多く、自分で貼ったはずのラベルが上手く見れない。ところが、このラベルをよく観察し、自分にとって都合の良いラベルに貼り替えてしまおう、というのである。耳の穴の中を自分で見てキレイに掃除しろと言われているようなものだ。

そう思っていたら、セルフイメージの刷新と耳掃除は根本的に違うということが分かった。耳掃除は耳掻きを突っ込んでホジり回さなければならないのに対し、セルフイメージの刷新は、

「俺はこうだ」

と自分に言い聞かせるだけで良いと言うのである。確かに電車の中などで隣に座ったキレイなお姉さんが

「私の耳はこれからキレイになるぞ」

と呟くや否やその耳穴から大量の耳垢がビュンビュン飛び出してきたら、おそらく一生もののトラウマになる。耳掃除とセルフイメージの刷新が別物で本当によかった。

といったところまでの話を詰めて我が身を振り返ったところ、僕がよく

「僕はクールなイケメン」

と言っているのは、このセルフイメージの刷新に関係する非常に意識の高い行為なのではないか、ということに気付いた。いつごろから言い出したのかは記憶に無いが、少なくとも5年前の時点では言っていたはずである。ということは、この5年間クールなイケメンであるといつセルフイメージを育み続けてきた僕は、いよいよ本格的にクールなイケメンであると言えるのではないか。おお、なんだかそんな気がしてきた。おもむろに語尾にイケメンと付けても許されるのではないかと思うほどだイケメン。

こうしてセルフイメージを高めた僕は大変な自信を胸に抱き、対したセルフイメージを持っていない彼女を諭してやらねばなるまいと、施しの精神で電話を掛けた。

僕「もしもし、クールなイケメンですが」

彼女「すいません間違えました」

僕「電話を掛けたのは僕だろうイケメン」

彼女「何その殺意に直接響いてくる語尾」

僕「セルフイメージを高めたのだ」

彼女「事実も高めろ」

僕「セルフイメージが高まると事実も高まるのだ」

彼女「耳くそが出ていくイメージをしても出ていかんけど」

僕「耳掃除とセルフイメージは別物だ」

彼女「耳掃除の役にも立たんのにどう役立てるの」

僕「ええと、アレだ、なんか自信が付くんだ」

彼女「井戸の中のカエルになれるっていうことか?」

僕「そこまで言うのなら、君は自分のことをどう思っているんだ」

彼女「私は美人に決まってるやんか。見る目の無い世間が不憫やわ」

もう少し真っ当なセルフイメージを持ってもらいたいものだ。

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