「なんか食べちゃう」。このことですっごく悩んでいました。ふとした時、「なんか食べちゃう」んですよ。で、太る。
お腹の中にものがいっぱいだと、しんどいです。頭も冴えません。ズンと突き出た腹や、消えていくアゴのラインを見ることは、それはそれは悲しいことです。
食べない楽さも知っています。軽やかな体の快適さも知っています。今まで10キロ以上のダイエットに成功した経験もあるし、その時に覚えたノウハウもあります。
しかし、この「なんか食べちゃう」が解消されることはありませんでした。しかし今回、その理由が分かったので、シェアします。
あまりに個人的な内容なので、あなたの参考になるかどうか分かりかねますが…お恥ずかしい独白の記事として、お楽しみいただければ幸い至極。
食べる目的が変わった日
僕は「特別な人」に憧れていました。つまり、自分が特別な人ではないと信じていたのです。いつから?だいたい、小学3年生くらいの頃からです。
自己評価の低い人間は、他者からの評価にすがって生きるものです。もともと「周りが喜んでいたからしていた」コトを、「人に褒めてもらうためにするようになった」のがまさに、その頃でした。
たくさん食べると周りの大人たちが喜んでくれる
という事実をもとに
褒めてもらうためにたくさん食べよう
という戦略が作り上げられたのは、だから当時の僕にとっては、当たり前のことだったのです。
食べていたのは食べ物ではなく自己肯定感だった
香りが記憶を想起させる、という話しを聞いたことがありますか?実は香りに限らず、体感覚って、自分の記憶や経験と強く紐付いてるんです。
すごく緊張した時、いつも体の同じ場所に普段とは違う力みを感じませんか?そしてその力みを感じると、過去同じ場所に力が入った時のことをよく思い出すはずです。
今のはネガティブな話しでしたが、ポジティブな経験と体感覚がつながることも大いにあります。僕にとってそれが、「食べ物を食べる感覚」だったのです。
褒めてもらうことは快感です。自分で削りに削った自己肯定感を、他者の評価で補う。それは水の底で限界まで息を止めているところから、胸いっぱいに酸素を吸い込むようなものでした。
「食べ物を食べる感覚」と「自己肯定が満たされる快感」がつながった時、僕の中に「心がすり減ったら何かものを食べる」という生存戦略が生まれたのです。
もうひとつの体感覚と感情のつながり
ここでもうひとつ注目すべき点があります。食べることを通して自己肯定感を満たしていたということは、食べる直前の空腹感と自己肯定の欠落感もまた、強くリンクしているということです。
ずっと疑問でした。どうしてお腹が空いていないのに食べたくなるのか。どうしてその食べたい気持ちを抑えることができないのか。
僕の心が削れた時、僕の心は僕を守るために、子どもの頃に覚えた自己肯定感を満たしてくれる行動を、一生懸命繰り返してくれていたのです。
このことに気付いた時、思わず泣けてきました。僕と僕の心は別の存在なのだと強く感じました。そして僕の心はいつだって、一瞬の隙間もなく、僕の味方でい続けてくれたのです。僕を守り続けてくれていたのです。
長い付き合いの心のシステムが明らかになったところで、これを望ましい働きをするシステムに切り替えていきましょう。
とはいえ、ここから先はまだ実践していない領域ですから、現時点でブログで語るのは控えます。自分をコーチングするつもりで、僕が持つカウンセリングや習慣化、ストレスマネジメントのスキルをフル稼働させて、このプロジェクトに挑みます。
何かしら結果が出たら、このブログであなたにも聞いてほしいです。興味があれば、ぜひ待っていてください。
QOLアップのヒント
望まない習慣であっても、その習慣が生まれた明確な理由があります。その理由はたいてい、子ども時代に生み出した、決死の生存戦略です。
大人になった僕たちが自分の望まない習慣と向き合うということは、大人だからこそ選択できる手段・手法を使って、選択肢のなかった子ども時代の自分を助けてあげることなのかもしれません。
今回もご静聴ありがとうございました。また次回の記事でお会いしましょう。