イケメンと新居と隙間の悪魔。

僕が何年かを過ごした千葉県は船橋市のアパートの風呂場は、最近よくある浴室と浴槽が一体化したユニットバスではなく、浴室の中に浴槽が置かれているタイプであった。初めの頃は何も気にならなかったのだが、そのうちその浴槽と床の間にある隙間から、何やら異様な存在感を感じ始めたのである。その部屋に住み始めて、3ヶ月ごろのことであった。

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この狭い空間には、浴槽から捨てたお湯を浴室の真ん中にある排水溝へと誘導するための水道がある。そのことは十分に分かっている。しかしながら、空間と隙間では、それを見た者に与えるイメージがまるで異なる。空間とは事実であり、役割りを持つ回答的概念である。しかし隙間というのは、その奥に何かがあるという可能性の示唆という質問的な概念だ。浴室に一文字に走るその隙間は、排水の水道という慨知の事実以外の答えを、僕に要求してきたのである。

そこである日、僕はその辺にあった長細い突っ張り棒を持ち出して、浴槽の下の隙間、向かって右側に突っ込んでみた。残念なことに、早速なにか重い布を突っついたような手応えがあった。僕は

「フォーイ!」

という悲鳴を上げて突っ張り棒を落とすと、驚いた勢いでもってバランスを崩し、浴槽の角に額を強かに打ち付けた。隠しカメラでもあったなら、モニターの向こうは大爆笑であっただろう。

しかしそこは僕一人がひっそりと暮らす2DK。「天井が低い」と住んでいる訳でもない彼女様からクレームをもらい続けた安物物件である。僕は浴室にキンキンと響く金属的な残響音に鼓膜を引っ掻かれながら再び突っ張り棒を手に取ると、右手を軸にして突っ張り棒をワイパーのように手前に引いた。

体感的に、そろそろ突っ張り棒が見えてくるな、というタイミングよりも少し早かった。水垢にまみれた大量の髪の毛とゴキブリの死骸が暗い影の奥から、まるで恐ろしい魔法のようにゆっくりと現れたのである。僕はしばし絶句した後、ゴム手袋を持ち出して搔き出せるだけの髪の毛を搔き出し、それを二重にしたビニール袋に詰め込んだ。そして家中の窓を開けて、ありったけのパイプウォッシュを浴槽の排水口に流し込んだのである。

それは僕のこれまでの人生の中で、最も身の毛のよだつ出来事であった。

当たり前なのだけど、この大量の髪の毛は僕のものではない。彼女様もまだ数えるほどしか部屋に来ていなかったから、彼女様のものでもない。どう考えても過去の住人達のものである。お願いだからそうであってください。

この不快なスタートを切った部屋で、僕は勉強をしたり音楽をしたり鬱になったり最高にハイになったり、色々な経験をした。住めば都とは上手くいったものではあるが、その隙間は最後まで目に入った小さな砂粒のように、僕の意識の隅に居座り続けた。

みなさまも転居の際には、浴槽の下の隙間に、十分ご注意を。