こんなツイートを見かけた。
「お互いに何でも言える関係」は傷つくことも言われやすく、あんまり良い関係ではないです。相手に「何でも言える」と思わせる距離感は「危ない」と思いますよ。
— ぱやぱやくん (@paya_paya_kun) March 27, 2023
分かるような、でも何か違和感があるような、自分の考えに折り合いを付けたい欲求がもりもりと湧いてきたので、考察しました。
ワタクシ的結論を先に述べると、「お互いに何でも言える関係」と「相手に『何でも言える』と思わせる距離感」は別物では?ということ。そして、「お互いに何でも言える関係」はやはり良いものでは?という、非常に凡庸なものでした。
以下、考察のプロセスです。
「お互いに何でも言える関係」ってどういう状態だ?
私的には、「お互いに何でも言える関係」と「相手に『何でも言える』と思わせる距離感」は別物だと考える。「お互いに何でも言える関係」は双方向的だけど、「相手に『何でも言える』と思わせる距離感」は一方的だからだ。
「お互いに何でも言える関係」の前提にあるのは、信頼や尊重や愛情といった感情を、お互いがお互いに対してコンスタントに感じていることではないか。だとすると、気持ちの有り様としては「何でも言える」が、「これを言うと/この言い方では相手が傷つく」と思しきことは、尊重や愛情に基づいて言わないことを選ぶ。
言いたくなったことをこらえるのではなく、安易な発言で傷付けたくない相手だからこそ、尊厳と愛情を持って慎重に言葉を選ぶ。それが双方的な信頼を育む、という順番だ。
対して「相手に『何でも言える』と思わせる距離感」というのは、乱暴に言い換えてしまえば「舐められている」ということではないか。だとするとそこには信頼も尊重も愛情も存在しないから、「何でも」の中には、自分を傷つける可能性のある言葉も含まれる。それは確かに危険である。
「お互いに何でも言える関係」と「相手に『何でも言える』と思わせる距離感」は良し悪しはあっても並列である
つまりこの方の主張はおそらく、「周囲から舐められるような関係づくりばかりしていると、攻撃的なことを言われたりして、心が擦り切れるよ」という旨のことではないか。砕いて言うと、自分を相手よりも下に置くと付き合い方を定型化できるから楽な気がするけど、舐められることで攻撃的な言動を受ける機会が増えるから結局しんどいぞ、ということのような気がする。
だとしたら、深く同意できる。舐められてはいけないし、舐めてもいけない。それは他者の尊厳を傷つける可能性のある関係性だ。
そして、すべての人と「何でも言える関係」を目指す必要もない。人間には無限のバリエーションがあって、その組み合わせもまた無限だからだ。
「何でも言える関係」というのは、無限×無限の関係性の中にある、喜ばしい関係性のひとつのパターンでしかない。こう書くと途方に暮れてしまいそうになるけど、たぶん、やるべきことはシンプルだ。それは「眼の前の人との、いちばん心地いい距離感を取る」だと思う。
ということで、考察欲が満たされたので、これで終わります。ぱやぱやくん さん、良い刺激をありがとうございました。