人と人は根源的なところで決してお互いを理解できる存在ではない。全く同じ人生を歩み、全く同じ価値観を抱えて生きている人は、この世界のどこを探しても居ないのである。どれほど気の合う仲間でも、好きな食べ物や得手不得手な事柄、彼女が攻撃的であるか否か、といった点において、全く同じということはまず無い。それ故に人は相容れないことを悲しむのだが、同時にお互いに僅かな共通の価値観を見いだすことで、暗闇の中で微かな繋がりを感じるような喜びを知るのである。
午前10時前、
「到着が10時半くらいになります」
というメールを受け取ったので洗濯物を干していたら
「あと3分くらいで着きます」
というメールが届いた。こいつは喧嘩を販売なさっているのかと思い時計を見たところ、時刻は10時半を指していた。超スピードや超能力といったちゃちなモンではないそういう何かを感じつつ急ぎ仕度をして家を出る。待ち合わせのコンビニまでは歩いておよそ5分ほどだ。時は金成り、というが、金とは寿命である。ここで寿命を2分奪ってしまうことに罪悪感を感じないではなかったが、放っておいてもヤツがその2分をどこかで軽快に浪費するであろうことは用意に想像が付いた。そもそも我々は、これから意図して今日一日という寿命を浪費しようという名目の元に集うのである。2分程度の遅刻でガタガタ言っていては、正気は保てない。 急ぐでもなく歩いていると、コンビニの駐車場入り口でパンを頬張りながらソワソワとしている軽薄そうな人影が目に入ってきた。
ウパである。
この男とはかれこれ6年ほどの付き合いで、僕の前職であるケータイ屋の初期研修会場で共に勉強を重ねた仲だ。マンガ、ジョジョの奇妙な冒険に出てくる立ち姿、通称「ジョジョ立ち」を夢中で研鑽する余り腰を痛め、職を変えざるをえなかったという猛者である。人見知りだったウパが振り絞るようにこのストーリーを聞かせてくれた時、思わず
「頭おかしいんとちゃうか」
といった感想を抱いた僕の心理は、容易にご理解頂けるだろう。ただ残念ながら僕も大のジョジョファンであるから、意気投合するまでにさほどの時間は掛からなかった。そんなオラオラだとか無駄無駄だとかいいながら付き合いを深めていった結果、我々にはもうひとつの共通点があることが判明した。お互い、大の廃墟好きなのである。
「僕とウパのナニ巡り」の誕生。
廃墟が好き、という気持ちを人に説明するのは難しい。それは例えばパチンコで大勝ちした時のような衝動的で瞬間的な快楽ではないし(パチンコをしたことは無い)、応援している野球チームが勝った時の達成感に似た喜びでもないし(特に応援している野球チームは無い)、余計な事を言ったのに彼女がケータイに夢中だったといった理由で暴力を免れた時のような安堵感に似た喜びでもない(免れたことは無い)。それは例えて言うなら、夕方、生徒が誰も居なくなった校舎の中に一人で居る時のような感覚に似ている。大きなエネルギーが通り過ぎた後の壁に染み込んだ喧噪が小さな埃の粒子と共に落ちてきているような、そんなもの寂しさと儚さに下腹辺りをぎゅうと締め付けられるような感覚なんである。無常が生み出した時の残骸に被虐的な喜びを見いだしているのか、それとも人という主役が居なくなったことにより浮き彫りになる背景の美しさに心を奪われてしまうのか、その辺は我々にもよく分からない。
まぁとにかくそんな気持ちが相まって、僕たちは去年の夏にひとつのYouTube番組をアップし始めた。それが「僕とウパのナニ巡り」である。僕とウパがお喋りをしながらお互いの行きたい場所を巡る、という非常にシンプルなコンセプトの番組である。その番組が始まってから、僕とウパは検見川無線や大佐倉駅周辺、ホテル江戸城跡地や東船橋駅周辺等、様々な場所を巡ってきた。時には人様の敷地に足を踏み入れることもあったのでYouTubeにアップできているのは当たり障りの無い一部なんであるが、とにかくそのようにして半年ほど、巡り喋り撮ったところで僕の方が忙しくなってしまい、「僕ウパ」は休眠期間に入ることになる。
その休眠期間を挟んで、今回実に1 年ぶりの撮影に望んだ。目的地は千葉県の勝浦というところにある行川アイランドというところと、そこから北上した銚子というところにある銚子電鉄というローカル線である。巡る順番は記述の通りだ。挨拶もそこそこに我々はお互いの期待を察しつつ、見慣れたウーパーカーへと身を滑り込ませた。
ウーパーちゃん「よっ」
かくして1年越しの「僕とウパのナニ巡り」が、何かプラプラとしたウーパールーパーのキーホルダーをもにゅもにゅとしつつ始まったのである。
つづく。