連想型発想の難解


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人の発想には2種類ある。
垂直型の発想と、連想型の発想だ。

このうち直立型の発想は比較的自分の意思で生み出しやすいのだが、連想型の発想の場合は「ひらめき」的な要素が大きくなる。
女性の会話が論理的に破綻しているように感じられても問題なく続いているのは、この連想型の発想を繰り返していて、またその場にいる者同士がお互いの突飛な発想を認めているからだ。

特に女性は言語ではなくイメージで連想を組み立てる傾向が強いという。
つまり、男もある程度イメージで連想を組み立てることができるようになれば、女性の不可解な言動にもある程度ついていけるのではないか、と仮定できる。

しかし先日、この仮定が誤りであることが明らかになった。
彼女様が作ったカレーを食べていたら先日行ったカレー屋のことを思い出し、「梅田に上手いカレー屋があってさ」という話しをしたところ、劇的に不機嫌になったのだ。

僕は驚愕した。
ふと浮かんだイメージで言葉を紡いだのだから、これはある種女性的な発想ではないのか。
どうして不機嫌になったのかを尋ねたところ、自分の作ったカレーを食べている時は、自分の作ったカレーを褒めるべきであると言われた。
それ以外のカレーの話しをするのは、言語道断、打ち首獄門、マハリクマハリタヤンバラヤンヤンヤンなのだそうだ。

失敗から学んだ僕は数日後、彼女様が作ってくれた野菜炒めを食べながら、それを褒めた。
人を褒めるというのは高度な技術が必要だ。
「おいしいよ、水揚げしたばかりの昆布より」などと言っても喜んでもらえるかどうかは微妙である。

僕が一生懸命に褒める言葉を探していると、不意に彼女様が昨年言った京都のかき氷屋の話しをし始めた。
今年ももう一度行きたいのだと、焼肉のタレで炒められたキャベツをバリバリと齧りながら訴えてくる。

僕は「そうだね」と返すのだけど、そのかき氷屋のことをどうしても思い出せない。
一体この野菜炒めのどこに、京都のかき氷屋に繋がるエッセンスがあるというのか。

その場しのぎの生返事をしていると、確実にそれを見破るのが女性の恐ろしいところだ。
呆気なく記憶の欠落を見破られた僕は、「ありえへん」と言われつつ皿の中にあった肉の切れ端を奪われた。

「時と場合」などという言葉では全く理解のできないことが、この世には溢れかえっている。
そもそも「時と場合」という言葉から連想されるアイデアが男女間で異なるだろうから、問題は深刻だ。

取り急ぎ次回彼女様に料理を作ってもらった時には、京都のかき氷屋の話しをすることにする。
どんな店でどんなものを食べたのか全く覚えていないが、彼女様から詳細を聞くうちに思い出せるだろう。
かき氷屋の話しの途中で、先日借りた1000円の話しになったりしなければ。

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