楽曲作品のミックスダウンとその弊害。

パソコンに向かってレコーディングした楽曲のミックス作業などをしていると、同じ曲の演奏をウン十回ウン百回と聴くことにかる。僕のミックスなどは素人に毛の生えた程度のものであるから、ピッチシフトを使ってこまかな修正を加えたり、波形を少し触ってリズムのズレを調整したり、という作業をしない分、通常のエンジニアよりはずっと作業量が少ないのだけれど、それにしたって何度も何度も聴くものだから、お耳が馬鹿になってくるのである。

お耳が馬鹿になるとどうなるかというと、そのサウンドの良し悪しの判断が付かなくなるのである。作業の掛かり始めは

「ここはこうした方がよろしいな」

「あそこはもう思い切ってバッサリカットした方がよろしいな」

「いっそのこと録り直した方がいいな」

といった判断がザックザックと下せるのであるが、そのうちに

「ここはこうしたけどよろしいか?」

「あそこの継ぎはぎが何回聴いても繋がっていない気がする」

「録りなおすにもこのミュージシャンは千葉で僕は和歌山で」

といった、暗雲の中で苦しみ悶える地獄の様相を呈する。それでも僕のミックス作業のスピードでミュージシャンのアルバムのリリースタイミングが決まるのだから、可能な限りの速度で作業をこなさねばならない。そうこうしていると、追い込まれている状態やそのミュージシャンの音を弄くり回している状態が普通になってくるから、それに伴って様々な弊害が生まれる。

・いつどこで何をしていてもうっすらと曲が流れているように聴こえる
耳をリフレッシュするために森林浴にでも、と自宅の側の山に入ると、どこからともなく現在ミックスをしている楽曲が聴こえてくるのである。そうこうしているうちに目の前にフェーダーが浮かび上がっているように感じられ、もはやその形状に変化した右手がエアーマウスを操作し、調整作業に入る。

なんとか上手く調整ができた気がすると、

「これはもしや」

と妙な期待が発生し、大急ぎでパソコンの前に座って今まさにエアーミックスで処理した調整を加える。その調整がとっとと仕事を終わらせたい願望が見せた都合の良い幻であったことに気付くのは、もう少し後である。

・気が付くとミックスしている曲を歌っている

基本的にミックスしている曲が好みかどうかは関係が無い。仕事として受けたからには、どんな楽曲に対してもベストを尽くすのがエンジニアの使命である。しかし、やはり好みでない曲は存在する訳だから、作業に集中している時には何とも思っていなくても、その前後で

「やっぱり好みじゃないよなぁ」

と感じる次第だ。

ところが、毎日同じアーティストの同じ楽曲を調整していると、次第にその曲がこのやんごとなく脳細胞に刷り込まれてゆく。気が付くと、風呂場でゆったりしている時等にふとその曲を口ずさんでいたりするのである。この敗北感は、筆舌に尽くし難い。

・彼女との関係に亀裂が入る

始めから亀裂が入っているのではないかという可能性も無くはないが、既存の亀裂がさらに大きくなるとか、残った僅かな固形部分に新たな亀裂が生まれるとか、とにかく亀裂が入る。具体的にはこうだ。

彼女が仕事終わりに自宅までの自転車を漕ぐ30分間を僕の愉快で前向きでクリエイティブなトークで間に合わせろ、という企画が日々決行されている訳だが、僕がミックス作業に追われていると、まぁつまり、何も出来ない訳である。

そうするとどうなるかというと、彼女が喋り出す訳だが、それに対しても生返事であるから、柔らかな言葉で言うと、

「ご逝去頂けませんでしょうか」

といった指摘を受けることになる。このようにミックス作業といというのは、男女の関係(笑)にもおおきな影響を与えるものである。

ということで、様々な角度からの検証を重ねた結果、楽曲のミックス作業は人間の人間らしい生活を破壊するに十分な破壊力を秘めているということが分かった。このデータがいつか国家政府の元に届き、パフォーマンスアートに対する潤沢な補助金や、疲れた時にプッチンプリンを買ってこいと命令しない彼女の支給などに踏み込んで頂けると、幸いである。

あ、僕があなたのアルバムをこさえてるからって特に責任を感じたりする必要は無いんですよ柴田さん。

ほんのちょっとだけ、幻聴と幻覚と彼女との関係の悪化と腰痛と肥満と左乳首の痒みに襲われてるだけだから、気にしないでいいんですよ。はは。

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仕事に身を捧げる好青年のデスク。体調を崩さない方が不自然。