わが愛しのAm P.61:軟式テニスはじめました(2018/10/18)

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問答無用の一球入魂

中学校ではたいていの人がクラブ活動を始めるもので、多くの学校では新一年生の入学に合わせて部員の獲得活動に勤しむものらしい。ところが僕が卒業した津木中学校は僕が一年生当時で確か36、7人。部活はテニス部だけだったものだから、校門に入ってすぐの黒板には、「一球入魂」なんて書かれていて、選択の自由なんてものはなかった。

スポーツが好きだったクラスメイトは、親に相談をして他の地域のスポーツクラブに入るようになった。だいすけ君はサッカーがしたいと言って、わざわざ山をひとつ越えたところにあるサッカークラブに。きょうへい君は野球がしたいといって、車で1時間くらい走ったところにある硬式野球クラブに入った。

僕はだいすけくんと同じようにサッカーがしたかった。したかったのだけど、中学校から大学まで軟式テニスに情熱を燃やした父が小学6年生の夏にはマイラケットを用意してくれちゃっていたのだ。おずおずと「サッカーしたいんだけど…」と小声で言ってみたけれど、「そんなもんお前の学校にないやろが」と一蹴された。

そんなわけで、僕は晴れて軟式テニス部員として3年間の中学生活をおくることになったのだった。

とにかくみんなテニス部

とにかくみんなテニス部なんである。キラキラした生徒会長タイプの青年も、僕にパイプ椅子を投げつけてきたじっとり系のいじめっ子も、みんな同じように学校指定のジャージを着てラケットを振り大会に参加する。少人数の学校故に先生の目も届きまくりで、不良もイマイチ不良になりきれない、なんとなく不憫な環境だったといえる。

とはいえ、男子はまだマシだったかもしれない。女子はテニス部のほかにバレー部があって、どちらの部活をするのか選ぶことができた。できたのだけど、なんとなくクラスの中でスタイルが良くてキラキラしている女子はバレー部に入り、そうでない子はテニス部に入るという、妙な区分けの空気があった。

ということで、僕のテニス部生活は素振りとボール拾いから始まった。前回の記事で書いたパイプ椅子事件の後、おそらく先生からこっぴどく絞られた例のいじめっ子は、まあたまに何かジトジトと言っていたが、直接手を出してくることはなくなっていたから、僕は割と気分よく7時間目とも言えるテニスの時間を楽しむことができたのだった。
 
 
軟式テニスをしている風景の画像

硬式と比べると圧倒的にマイナーだけど、軟式テニスも超楽しいんだからね。


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