一人暮らしから家族暮らしになった今一番辛いもの。

朝方にエッセイ記事が書けないと夜に日記がアップされるブログへようこそ。

カテゴリーにも「日記」と「エッセイ」を追加しました。「ブログ」っていうカテゴリーは・・・残しててもいいか。

いやね、毎朝テレビや新聞を見て何か書こうと思って色々やるんですけど、事実確認とかそこからのネタへの引っぱりとかをやってると、なんかしっくりこなくなっちゃうんですよ。たぶん僕の中で本当に言いたいことにリンクしていない方向に行っちゃってるんでしょうね。そんな時はバッサリ書くのをやめちゃうんです。ストレス溜めたってしょうがないし。それでブログの更新が出来ないっていうのもアレなんで、夜にその日の日記なんぞを書いてる訳です。

そうそう、ストレスと言えばですね。千葉から和歌山の実家に帰ってきて大きく変わったことがひとつありまして。それは、テレビ。千葉の部屋には無かったんですよ、テレビ。なくてもwebでだいたいの情報は仕入れられたし、実際たまにテレビを見ても微妙なものしか流れてなかったし。だから、ちょうど地デジ化がどうのこうのと騒いでいたころくらいから、僕はテレビの無い生活をしていたんです。

それが実家に帰ってきた途端、四六時中テレビがついてるんです。じーちゃんの耳が遠いから、結構な音量で。ゴハンを食べている時も、本を読んでいる時も、ぼんやりしている時も、なんかそうじゃないといけないようにテレビがワイワイ言ってて。

これがね、とんでもなく鬱陶しいんです。

テレビってね、高い周波域でずっとィィィーーーーーーーーーーーーーーーーって言ってるんですよ。何か、耳から上の気圧が凄く上がっているような感覚。それがテレビ自体に集中してる時はいいんですけど、他に何かをしてると、んもうこれでもかこれでもかうりうりうり!というノリでもって脳みそのシワの隙間を大事な細胞削り取りながら奔っていくもんだから大変。

あんまり辛いときはごめんねって言って切ってるんですけど、いやぁ、凄まじいんですよあの攻撃力。

自然に囲まれたいつでもリフレッシュできる環境に暮らしていることが有り難い反面、だからこそテレビがずっと流れてるっていう両極端な生活。まぁ、自分の仕事部屋に逃げ出しちゃうんですけど。

みなさんはどうですか?テレビ。

ニュースくらいは見てもいいけど、それでもやっぱり、いらないなぁ。

 

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最近のテレビってマジスタイリッシュ。ねぇねぇ4Kって何?

茶風林さん演じる新生波平が教えてくれた「キャラクター」と「ストーリー」の同一性。

起き抜けにYouTubeを開いたら早速茶風林さんが演じる新しい声の波平の登場シーンがアップされていたので拝見してきた。流石というか、永井さんが作り上げてきた波平像に寄り添った、素晴らしい演技でありまして。ああこれが、これからの日本のお父さんになってゆくのだなぁという気持ちで、短い映像をぐるりと見渡したのだけど。

映像を見ているうちに、ふと思いふけるものがあった。仮に夕方6時のニュースのニュースキャスターが変わっても、これほどのインパクトを受けることはない。もちろん全く受けない訳ではないが、やはり声優の交代の方が感覚的なズレが大きいように思う。

どうしてなのかを考えてみると、それはやはり「キャラクター」と「ストーリー」の仕業であるように思われた。アニメは、まさにこの「キャラクター」と「ストーリー」の二つの要素を楽しむ作品である。声優はその個人や世界観を広げることを仕事とするのに対し、ニュースキャスターは記事を元に「事実」を的確かつフラットに伝えることを仕事としている。同じ声を扱う仕事であっても、フォーカスを合わせる部分、その業種の持つミッションが、全く異なるのである。

人は魅力的な「キャラクター」と魅力的な「ストーリー」に惹かれる習性を持っている。今回の件に関して言うと、波平の声優が永井さんから茶風林さんに代わったことによって「キャラクター」が代わった、とも言えるのだが、実はそれに伴って、「ストーリー」も代わっているのである。

声のトーンや間の取り方、ちょっとした相づちの文言は、暗にその人物の「ストーリー」を提示する。それまでの波平さんとサザエやカツオの関係性が、そういった所に滲み出るのである。左様、の一言から、我々は波平がサザエやカツオにどのような信念と愛情を持って接しているのかを感じ取っているのだ。「キャラクター」とは「ストーリー」を積み重ねた結果であり、「ストーリー」とは「キャラクター」が関わり合った結果である。これらは観測地点が異なるだけで、本質的には同じものを指す。

つまりなにが言いたいかというと、感傷的な意味ではなく、以前の波平と磯野家は、もう永遠に消滅してしまったということである。そしてそれは、現実の世界にも日々起こり続けている。

戦争を経験した世代は間もなく居なくなる。バブルを経験した世代は間もなくリタイアする。スティーブ・ジョブズが居なくなったように、ビル・ゲイツもいずれ居なくなる。そしてこれを書いている僕もいずれ死ぬし、これを読んでいるあなた自身も死ぬ。

儚く脆い現実に、どのような「キャラクター」と「ストーリー」を刻むのか。きちんと向き合わねばなるまいと、背筋を正した次第だ。

とりあえず、パジャマ着替えてこよう。

 

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ミュージシャンが先。project a.c.c.r.が後。順番間違えてた(テヘペロ吐血)。

ネタ記事でもないんで今回のエントリーは口語調で。

今日一日ですね、僕がやってるアーティストの活動支援企画project a.c.c.r.で発信する動画を撮影してたんです。

iPhoneで撮影した動画をMacに取り込んでiMovieで編集してる時に

 

「なんだかなぁ」

 

と思って、スティーブ・ジョブズのプレゼンテーションを見てきたんですよ。iPhoneが発表された時のやつ。

凄まじかったんです。

自然体で、自信に満ちていて、その場で思いついた気さくなジョークにしか聞こえないのに画面に表示されてる画像はきちんとジョークな動きをしていて。

大変な名演でした。

 

で、こいつはどんどこと自分のセミナーにも取り入れないといけないぞ、ってことで、画面の下部に表示してくれてた日本語訳を元にジョブズのプレゼンを解析してみたんです。

お陰で色々なことが分かったんですけど、一番の収穫だったのは、僕が順番を間違えていたことに気付いたことでした。

project a.c.c.r.っていうのは、世の中に自立して活躍できるアーティストを量産して、日本と、ゆくゆくは世界の音楽のステージを持ち上げてやろう、という気持ちで運営している企画なんです。

だから個人でミュージシャンとして活動している中で役に立つノウハウやビジネス的な思考や自分をパワフルにドライブさせていくマインドの作り方を勉強して、アーティスト達に伝えていこう、という活動をしています。

でも、すごく大切なものを、自分がやってることは間違っていないっていう自信の陰に忘れてきていました。

 

それは僕自身の実績

 

僕が成功していないと、少なくとも音楽で食えていないと、人に何かをコーチするだなんてことが成功するはずが無いやないかと。

今までもうっすらと感じていたんですけど、いやいや、ジョブズがね、

 

「うちのiPhone完璧だから。一切妥協してないから。」

 

なんて言うもんだから、自分が発信する品物への絶対的な信頼というものがどれだけ大切か、ということに気付かされたんです。

ビジネスの先輩方や勘の良い方には鼻で笑われそうですけど。

 

ということなので、しばらくの間ミュージシャンとしての活動に全力を注ぎます。

project a.c.c.r.の今後に関しては、明日あちらのブログでお知らせの記事を投げるので、気になる方はチェックしてくださいね。

何から手を付けようかな。

ワクワクしてきましたぞ。

みんな幸せにしちゃるかんな。

 

2013-01-04 02.01.13

 

おもむろにライブ中の写真を貼付けてやる気をアッピル。

教頭先生は一体何をする人なのかという疑問と調査と残念な結果。

父が教頭先生になったと聞いたのは、確か一昨年の春だ。それまで父は中学校で理科を教えている人なのだと思い込んでいたから、時の流れを強く感じた次第である。

ところで、皆様は教頭先生が一体どのようなことをしている人なのかご存知だろうか。僕自身は学生時代、教頭先生を校長先生よりも身近に感じていたのだが、その業務を一言で言い表すことは難しい。ここはひとつ、過去お世話になった教頭先生と現役教頭先生の父の証言を元に、教頭先生という役職が一体何をする人なのか、調査してみようと思う。

 

①生徒の不安を先読みする。

僕の記憶に深く残っている教頭先生と言えば、中学生だった頃にお世話になったK先生を語らずにはいられない。K先生は長身で、深い二重まぶたの爛々とした目をした人だった。元々は理科の先生だったのか、朝会で僕たちを前に話をする時は原子模型などを片手に

「こんな形をしてるけど、すごくちっちゃいから目に入っても痛くないんだよ」

と仰っていたものだ。生徒が内包している無自覚な不安に先んじてフォローを入れる辺り、素晴らしい教育者であったのだと感嘆を禁じ得ない。ひとつ指摘を入れるとすれば、今どれだけ当時を翻っても、誰一人として水原子が目に入ると痛いのではないかという不安を内包してなどいなかったということくらいだ。

 

②特殊工作班を結成する。

K先生は一部の生徒で構成された特殊工作班を直属に従えていた。何を隠そう、僕もその部隊の一員であったのである。

特殊工作班の業務は、手洗いで上履きを履き替えるための渡り板の修繕、担当教員の居ない工作室や美術室の片付け清掃、校舎玄関脇の池に暮らす鯉の餌やり等多岐に渡り、その作業は全てK先生からの指示の下、運行された。

大人から何かを任されることに喜びを覚える少年たちは、それはもうよく働いたものだ。作業報酬は、労いの言葉とK先生の満面の笑顔であった。プライスレス。

 

③春の訪れを告げる。

僕が通っていた中学校は春になると毛虫が大発生した。桜の木の幹木股に蠢く虫虫虫。その時期になるとK先生は自前の火炎放射器を背負い、淡々と地獄の炎をインベーダー達に浴びせかけていたものだ。

ふと授業中に見下ろす校庭に佇む真っ白な耐火服のK先生は、何よりも早く春の訪れを告げる存在であった。もう少し我々に豊かな侘び寂びの感性があったなら、季語としての容認を直訴していたところである。一句読ませろぉ。

 

④蛍光灯を変える

ここからは父から聞いた話である。

まず父が教頭先生になったのだという話を聞き、

「教頭先生って何をするの?」

と伺った質問に即返ってきた答えが、

「蛍光灯を換えるなぁ」

であった。教頭先生は蛍光灯を換える。どうしてだろう、少し寂しい。

 

⑤電話をする。

実は生徒が知らないだけで、学校にはちょくちょくとお客が来ているらしい。来客対応は多くの場合校長先生がするのだが、その段取りを整えるための電話は教頭先生がすることが多いのだそうだ。

「事務の人は?」

と聞こうとした刹那、どこからともなく溜め息の音が聞こえた気がして、それ以上の追求を諦めた。

 

⑥催し事に顔を出す。

マラソン大会やお祭りなどが催されると、父は必ずその場に行っている。何をしているのかと聞くと、何もしていないと言う。

「何もすることが無くてもいるの?」

と聞いて、

「そうや」

という返事を受け取ったところで、僕のインタビューは終了と相成った。父は、少し疲れているように思われた。

 

集計結果。

教頭先生の光と影が見えた気がするが、これらの情報をまとめてみると、こうなる。

教頭先生とは、生徒の不安を先読みし対策を打ちつつ蛍光灯を交換し、特殊工作班を結成する傍らで電話を掛け、独特のフォルムで春の訪れを告げながらお祭りやマラソン大会で人生と毛根を削る職業である。

光と影が入り混じり、壮絶の一言に尽きる。今春、父の誕生日が来る。何が出来る訳でも無いが、せめてもの気持ちとして、スカルプDをプレゼントしようと思う。

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耳掃除とセルフイメージの無関係性。

セルフイメージという言葉がある。人間は人を分別し、ラベルを貼る生き物であるのだが、実は自分自身に対してもラベルを貼っているのである。そのラベルのことを、セルフイメージと呼ぶのだ。

自己啓発の世界では、このセルフイメージを高めよ、と言う。人は他人に対しては己の価値観に則って細やかな指摘ができるものだが、自分自身に対しては無意識無自覚の領域が多く、自分で貼ったはずのラベルが上手く見れない。ところが、このラベルをよく観察し、自分にとって都合の良いラベルに貼り替えてしまおう、というのである。耳の穴の中を自分で見てキレイに掃除しろと言われているようなものだ。

そう思っていたら、セルフイメージの刷新と耳掃除は根本的に違うということが分かった。耳掃除は耳掻きを突っ込んでホジり回さなければならないのに対し、セルフイメージの刷新は、

 

「俺はこうだ」

 

と自分に言い聞かせるだけで良いと言うのである。確かに電車の中などで隣に座ったキレイなお姉さんが

 

「私の耳はこれからキレイになるぞ」

 

と呟くや否やその耳穴から大量の耳垢がビュンビュン飛び出してきたら、おそらく一生もののトラウマになる。耳掃除とセルフイメージの刷新が別物で本当によかった。

といったところまでの話を詰めて我が身を振り返ったところ、僕がよく

 

「僕はクールなイケメン」

 

と言っているのは、このセルフイメージの刷新に関係する非常に意識の高い行為なのではないか、ということに気付いた。いつごろから言い出したのかは記憶に無いが、少なくとも5年前の時点では言っていたはずである。ということは、この5年間クールなイケメンであるといつセルフイメージを育み続けてきた僕は、いよいよ本格的にクールなイケメンであると言えるのではないか。おお、なんだかそんな気がしてきた。おもむろに語尾にイケメンと付けても許されるのではないかと思うほどだイケメン。

こうしてセルフイメージを高めた僕は大変な自信を胸に抱き、対したセルフイメージを持っていない彼女を諭してやらねばなるまいと、施しの精神で電話を掛けた。

 

僕「もしもし、クールなイケメンですが」

彼女「すいません間違えました」

僕「電話を掛けたのは僕だろうイケメン」

彼女「何その殺意に直接響いてくる語尾」

僕「セルフイメージを高めたのだ」

彼女「事実も高めろ」

僕「セルフイメージが高まると事実も高まるのだ」

彼女「耳くそが出ていくイメージをしても出ていかんけど」

僕「耳掃除とセルフイメージは別物だ」

彼女「耳掃除の役にも立たんのにどう役立てるの」

僕「ええと、アレだ、なんか自信が付くんだ」

彼女「井戸の中のカエルになれるっていうことか?」

僕「そこまで言うのなら、君は自分のことをどう思っているんだ」

彼女「私は美人に決まってるやんか。見る目の無い世間が不憫やわ」

 

もう少し真っ当なセルフイメージを持ってもらいたいものだ。

 

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噂のクールなイケメンがこちら

都知事選をネットとテレビで見ていて感じた「平等」の意味。

舛添さんが都知事に就任したというニュースを聞いて、酷く驚いた。というのも、TwitterやFacebookに舛添さんのネガティブな情報がわんさと流れていたからである。

 

・度量が狭い。
・被災者を馬鹿にしている。
・演説に人が集まらない。

 

などなどなどなど。

それでいて、開票してみると二位の細川さんに倍差をつけての勝利であった。んもうネットはどこを向いても批判しか転がっていなかったから、何かの冗談のように見えたほどだ。

 

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この件について考える機会があったのは、自宅で優雅に食後の珈琲などを頂いていた時だ。都知事選のニュースを見ていた父と祖父が

 

父「見てたら、舛添さんって気がするなぁ」

祖父「せやろかえ(そうだね)」

 

という話をしていたのである。父は多少ネットを使うようだが、祖父は完全にテレビや新聞からのみの情報を自らの判断材料としている。リテラシー意識って何さ、というお二人だ。

 

そこで、いくつかの疑問が生まれた。

父と祖父は他の立候補者のことを知っていたのだろうか?ということだ。

例えば家入さんなどは、少なくとも僕が見ていたニュースでは『起業家』としか表記されず、どのような理念信念でどのような会社を起こしどのように運営してきたのか、という報道が全く目に入らなかった。

そしてこんなことを言っている僕でも、マック赤坂さんや鈴木さんがどういう人物であるのか、全く知らないのだ。

多くの方との関係の中で事を成すためには認知度がモノを言う。そんなことはフリーランスのミュージシャンをしている身であるから大いに理解している。まず知られなければ、善し悪しの判断さえされない。知られたら、次は何をどう伝えるか、という話が待っている。これは古来から変わらぬ人の世の真理である。

 

平等とは何か。
公正とは何か。
認められるとは何か。
選ばれるとはどういうことか。

 

それはそのまま、ミュージシャンという生き方を選んだ自分達への問い掛けでもある。

 

知らないことは学び、出来ないことは修練し、息苦しいのならその原因に迫って解決を目指せばいい。

そんなことを思い生きていても、こういった巨大な第三者の介入があまりに圧倒的に見えてしまうことがある。それがまさに、今回の都知事選であった。

しかし

マスメディアは大変に大きな情報発信能力を持っているが、それ故に視点が固定的過ぎるのではないか、一部の人間の都合が反映された編集ではないのかと思うと、真っ直ぐ受け止めてよろしいものかと躊躇してしまう。

対してネットは大いに自由で多角的な視点が含まれるが、それ故に信憑性が低い。また″伝える力″の弱いユーザーの情報は、それがどれほど良い内容であったとしても、伝わらないし伝わってこない。

これが、現在の僕の感じている素直なところだ。

結局、事実というものはそれを受けた人の視点や価値観に偏る。仮に僕が都知事選の全てを知ったところで、その事実は僕の視点や価値観に偏って情報に変換されるんである。それは誰の何にとって公平で、平等であると言えるだろうか。様々な事柄は僕たちが思っている以上にグレーで、人の数だけ偏りがある。人を伝って伝わってきた情報は、既に大いに偏っているのだ。

 

それでも、万事は今回の都知事選のように、決定し、流れて、過ぎてゆく。躊躇していては老いて死ぬだけだ。今自分の手元に何があって、何ができるのかをしっかり考えて、実行しなければ。

というか、何かを持っているとかいないとか、出来るとか出来ないとか、そういう判断が既に幻想なのだろう。不安に根拠が必要無いように、自信にも根拠は必要無い。それなら僕は根拠の無い自信を持って、未来には希望があると仮定して生きていたい。

一人ひとりが能動的でいることが、本当の意味での平等であると信じる。

そして僕の大切な仲間達が日々戦っている東京が、あらゆる意味でより良い街になってゆくことを心から願っている。

朝夕のシロごはんと彼女の歴史。

我が家から山間を奥に向けて5分ほど車を走らせると母の実家がある。かつては7.8人の家族が居たのだけど、今は認知症の祖母と、祖母の世話をするために伯母が居るだけである。その祖母も最近は施設を出たり入ったりで、伯母も自分の家族があるものだから、時折二人して家を離れる。そうすると、その広い土間続きの昔ながらの家に、一人残される者が居る。シロである。

シロは猫である。体が白いのでシロである。耳と顔の真ん中と尻尾が茶色混じりに黒く、目は少しぼやけた碧色をしているが、他は全て白い。もう二十歳になろうかという老体で、足取りは重く声も低い。雌である。少食だが、水はよく飲む。身体を撫でられるのが好きなのだけど、誰かの後を追うようなことはしない。そのくせ、用がある訳でもなくても「なぁ」と鳴いて呼び付けてくる。フワフワの毛をしているが、抱き抱えてみるととても軽い。

シロが母の実家にやってきた時、僕はまだ小学生だった。母の実家は少し離れたところにビシャコと呼ばれる仏花を剪定するための仕事場を川沿いに建てていて、それがちょうど通学路の途中であったのだ。僕は折にその仕事場に顔を出して、当時健在であった祖父からアイスクリームを貰ったり、鼻血が出るから子供は飲むなと言われていたリポビタンDを一口だけ貰ったりした。ハンドル式のマッサージチェアに腰を掛けて、こんなものの何が気持ちいいのかと言って遊んだりもした。

シロはその仕事場に住み着いた野良ネコであったのだ。僕が遊びに行くと彼女はいつも隙を見せない距離を取っていて、物陰から物陰へと俊敏に身を躱し、同じくらいの大きさの茶色いネコとタッグを組んで、酷く警戒していた。茶色い方のネコの名前は覚えていないが、水を前足ですくって飲む技を持ったネコであった。

 

そのうちに茶色い方のネコが死んでしまったという話を聞いた。病気で餌が食べられなくなってしまったらしい。その頃は僕の家にもネコが居てそれはそれは可愛がっていたから、あまり気にはならなかった。

よくアイスクリームをくれた母方の祖父が亡くなったのが、確か僕が高校一年の夏の頃であったように思う。その頃には川沿いの仕事場は取り潰されていて、新しく大きな車が通れる橋を掛けるのだと言って、ブルドーザーやパワーショベルがぐるぐると走り回っていた。シロは家が無くなって、母の生まれた家に引っ越した。

シロは何度か家を抜け出して、仕事場のあった場所に戻ったらしい。大きな機械を怖がって離れたところに居たシロを連れて帰ったのだという祖母の話を聞いて、母が泣いていたのを何度か見た。

その後も母の実家には色々なことが起こって、今も起こり続けている。大変なニャン生であるなぁ、などと言いつつコンビニで買ってきたカイロを振ってダンボールベッドに置く。朝晩の餌やりとトイレの掃除をしたらシロを膝の上に乗せて20〜30分ほどお喋りをするのが、僕が勝手に押し付けた約束だ。年をとって引っ込まなくなった爪が足に刺さって痛い。また夕方に来るからと言って立ち上がると、車を出すところまで見送りにきてくれた。今夜は出掛ける用があるので少し早めに来なければならない。カイロがもう無いから、忘れずに買ってこなければ。

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ムーディー・トワレ

我が家の一階トイレは現在明かりが灯かない状態である。何でも配線関係の不具合であるらしく、電球を変えても無駄なのだとか。

そのため、今ただ一人一階に布団を敷いている父は夜中トイレに行く度に、電球の代わりに配置した貧弱なブルーライトLED電球をカチッと点灯させ、いやにムーディーにライトアップされた薄暗い個室の中で便器に狙いを定める、というイベントと遭遇している。

 

「配線を修理しないのか」

 

と聞いてみたところ、

 

「せなあかんねんけどなぁ」

 

と煮え切らない返事が返ってきた。もしかしたら父は青白い薄明かりの中でションベライザーを放つことがやぶさかではないと感じているのかもしれない。

僕の中には決して無い感覚である、これは体感せねばなるまいと、きちんと電気の灯くトイレのある二階からわざわざ一階のトイレまで足を運んだのが昨晩の1時ごろ。人生初の、ムーディー・トワレの時間である。

 

トイレの戸を開ける前に、昔の癖で電灯のスイッチを入れる。やはり明かりが灯ることはない。一通りの運動から期待していた結果が得られないと、人はイラッとするということに気付いた。

真っ暗なトイレの中に足を踏み込む。廊下の明かりのお陰でなんとか足下が見えるが、相当な暗さである。たしかこの辺に、と小さなLEDライトを探すと、小さなスイッチの付いた本体部分がコツリと指先に触れた。

 

カッチッ

 

「暗っ」

 

一人真夜中のトイレで、思わず声に出してしまうほどの暗さであった。元来照明というのは、その直下、あるいは周辺をしっかりと照らし出してくれるものである。しかしこのLEDライトは輪郭の全てを、透き通った海の中に揺れる月明かりが如き謙虚さでもって、

 

「なんかたぶんこんな形」

 

程度に青白く揺らしているだけで、しっかりと見えるのはせいぜいスイッチの付いているライトの足下くらいである。スイッチを切る分には困らない。喧嘩売ってんのか。

 

結果的に僕は一度の放尿で、えも言われぬ緊張感と圧倒的なアダルティックムード、そしておよそ15分間に渡る掃除時間を得た。2月深夜の水道水はそれはそれは冷たくて、雑巾を絞る度に

 

「あぉ」

 

と変な声が出る。もう二度と夜に、一階のトイレは使うまい。

 

LEDライト

問題のLEDライト。日中にスイッチを入れても、あ、そういう色なのかな、程度の発光。ちなみにこれ、スイッチ入ってます。

人生はゲームであるという仏陀の言葉を現代に伝える僕とさとらない彼女の不毛な会話。

「人生は苦である」

とは、仏教の教祖である仏陀の言葉である。これは

「どうせ人生辛いことばかりなのだから、諦めて開き直っていなさい」

という意味では無い。仏陀はこれに、

「人生は制約の中で障害やイベントが随所にちりばめられたゲームなんだから、ルールにのっとって楽しみ尽くしなさい」

という意味で伝えたのである。

この話を雲黒斎さんという方が出版された本で読んで感銘を受けた僕は、早速その旨を彼女に諭そうと電話を掛けた。これで彼女が人生の深淵に触れ、前向きになったなら、そのついでに僕に対してもっと優しくなってくれるに違いない。

 

僕「人生はゲームである。」

彼女「そんなクソゲーやってて楽しい?」

僕「どんなゲームもルールがあって、その制約の中でクリアーを目指すから楽しいんじゃないか。」

彼女「この前バイオハザードは怖いからアカンってゆーてたやん。」

僕「あかんくないゲームもあるんである。マリオカートとか。」

彼女「うちそれ嫌い。」

僕「他人の画面にイカスミを吹き付ける楽しさが分からんのか。」

彼女「他人の人生にイカスミ吹き付けて喜んでる神経の歪みに気付かんのか。」

僕「他人の足を引っ張ることがルールなんだから、それは楽しまなきゃいけない。」

彼女「1位になってる訳でもないのにトゲゾー甲羅弾が常に自分を追い掛けてくるマリオカートはつまらんやろ?」

僕「それはゲームのバグだ。正常な状態じゃない。」

彼女「今お前から電話が掛かってきた時、そんな気持ちになった。」

 

彼女がさとるには、まだまだ時間が掛かりそうだ。このゲームはバグっている気がする。

 


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僕の中では”ブッダ”といえばこの方。

 

細やかなニュアンスに拘る男のレコーディングと家族の絆。

先日のことだ。僕は新しい楽曲のレコーディングをしていた。まだ発表前なので詳しいことはお伝えできないのだが、この楽曲は非常にシンプルな構成をしているので、ちょっとした間やイントネーションで受け取るイメージが大いに変わってしまう。『簡単だから難しい』の典型的なパターンである。

ただ僕はギターの音と自分の声しか出せないから、そういったニュアンスで勝負が出来なければもはや存在意義は無いと言って良い。何日も何日も練習をして、何度も何度もモニタートレーニングを重ねた集大成が、そのレコーディングであったのだ。

マイクを立て、レコーディングソフトを立ち上げ、精神を集中させて演奏に臨む。クリックの音に耳を澄ませながら、一発録りのレコーディングが始まった。ギターの鳴らし方、爪の当たる角度と、弦とぶつかった瞬間のノイズ。自分の声がどうすればかすれるのかは、日々のトレーニングの中で既に掴んでいる。

こういった一発録りは、1テイク目で良いテイクが録れなければ、後は何回やってもダメなんである。「ここはうまくやろう」という考えが、音楽の中では雑念となる。その雑念が鮮度を落とす。気持ちの良い流れに身を任せていられるように、そういった細かな調整をしておくことを練習というのだ。

 

・・・長い潜水を終え、久しぶりの酸素を貪るスイマーのように、僕は大きく息を吸った。レコーディングは終了だ。手応えとしては、申し分ない。僕は鼻息荒くリプレイボタンをクリックし、楽曲のモニターにとりかかった。

 

ジャッジャッジャジャジャ

 

悪くないビート感である。次のセクションからスラミングの打音が入ってくるが、そのバランスはいかがか。

 

ドゥツズジャッ ッカツカッ

 

良いではないか。ビートのコントロールもようやく様になってきた、といったところである。そして間もなくヴォーカルのセクションだ。僕はより一層深く、音の世界に潜り込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「にゃーん」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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ねこが居た。

今まさに僕のかすれたヴォーカルがとんでもねぇ哀愁を引っさげてインしてこようかってところにねこが居て、「飯をよこせ」と訴えていた。

全身を襲う脱力感と戦う。いや、全然小さい音だったから。こんだけ集中してる僕だったから気付けたアレだから。僕じゃなきゃ聞き逃してたから。そう自分に言い聞かせているうちに、波形はどんどんと進んでゆく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ゆうさくーおふろはいりなー」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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おかあさんもいた。

おかあさんが、お風呂に行きなさいと呼び掛けていた。おかあさんダメだから。この後サビだから。一番聴いてほしいところだから。

「あ、はーい」

とか言って歌ってる人がお風呂いっちゃったら、変でしょ?アヴァンギャルドにも程があるでしょ?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おーい先に風呂はいるぞー」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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おとうさんでした。

なんか、山本家大集合でした。

しばらく、レコーディングは平日の日中にすることにします。