人生における曲折の存在とその危険性。

人はただただまっすぐ進んでいれば良い、ということはない。紆余曲折があり、思い悩むことがあり、様々な試行錯誤と検証と修正を加えながら、少しずつ歩みを進めてゆくものである。

それは実際の道でも同様である。自宅の玄関から目的地まで一直線、ということは、ほとんどの場合あり得ない。自分と目的地の間には、必ず他の誰かの何かが存在する。道とは、人と人との都合の間をすり抜ける、腕利きのバランサーであるのだ。道は時には緩やかに、時には急激に、それらを躱すために曲がり曲がる。

この「曲がる」という事象は、曲がる側にとっては大変に重要なものである。が、同時に非常に危険な行為でもある。ゆるやかなカーブであれば、さほど問題はあるまい。問題は、急カーブだ。恐れをなして足を止めてしまったり、極端にスピードを落としたりすると、目的地に着くことができなくなったり、大幅に送れてしまったりする。かといってその曲線を甘く見て侵入時のスピードを誤ると、重大な事故に繋がる恐れがある。

 

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エビA「!」

エビB「へへ・・・ヘマ・・・しちまった・・・」

エビA「お前・・・」

エビB「悪い、俺はここまでだ・・・」

エビA「・・・」

エビB「次のピットイン(調理場通過)で、俺は立て直されるだろう」

エビA「・・・」

エビB「だがそれは、もう今までの俺じゃない。自分の足と自分シャリで立っていた、俺じゃあないんだ」

エビA「・・・」

エビB「楽しかったぜ、お前とのレース」

エビA「・・・ああ。」

エビB「さらばだ。」

 

我々は、カーブを進み抜ける他に生きる術を持たない。そのためには高いバランス能力が求められる。

イン側の壁に突き刺さえる。
アウト側に飛び出す。
遠心力に負けて横転する。

そういった様々な危険を乗り越えながら、人生は続いていくのである。一時たりとも油断ならない。

掘る土敷く土残る土。

「みかん畑(ばた)の溝掃除するど」

こたつに埋もれて幸せに現実逃避をしていた僕に、じーちゃんは容赦なく生活への貢献を強いた。ちょうど昼食を食べ、これで1時間でも昼寝ができたらもう社会とかどうでもええです僕、といった精神状態であったから、それはもう腰が重いどころの騒ぎではなかった。

「食うたら働け」

ごもっとも過ぎて屁も出ない。ということで唐突に、僕はじーちゃんとみかん畑の溝を掃除することになった。

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突然の労働にも関わらず気合いを込めるイケメン。チップ&デールのハンドタオルで可愛らしさを抜け目無く演出。

 

本日の作業区間はみかん畑の平地と段地のちょうど境目にある溝の一部である。じーちゃんの畑は山の麓にあるのだが、それ故に雨などで山に滲みた水の通り道にもなっている。最後に掃除したのがいつか思い出せない、などと評されるその溝は、長い年月掛けて上部から流れてきた雨水が連れてきた土や小石に埋もれ、溝というよりはちょっと特殊な造形のウネ的様相を呈していたのである。

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「なんかここだけ色違うよね」みたいな。

 

で、掘りおこした土を処理するのかと尋ねると、

「畑来るまでの道にちょっと掘れてたとこあったやろ。そこに敷くねや。」

と言う。そして、そこに土を運ぶのが、僕に課せられた仕事であった。当然じーちゃんひとりに土を掘らせ続ける訳にもいかず、僕はクワを持って、これからじーちゃんがスコップを突っ込むところをザックザックと耕していった。

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このようにして

 

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このように。

 

渾身の一輪車一杯の土が、それはもう焼け石に水的体積でしかないという超現象。僕は早々に折れた心を引きずりながら、時にはちょっと安全そうな場所に置いておいたりしながら、一輪車の総積載量の限界に挑戦し続けるじーちゃんに圧倒されながら、粛々と業務をこなした。

 

「ちょっと一服しょーら」

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作業開始20分。ゆとり工期。

 

現場と廃棄場を4~5往復したところで急に一服を申し渡されたものだから、僕は嬉しくなって「ちょっと飲み物取ってくる」と、つい今しがた土を敷いてきたあぜ道を駆け下り、自宅の冷蔵庫からジュースを何本か取り出し、改めて現場に駆け戻った。

敷いたばかりの土はまだ中に空気を含んでいて、踏みしめる足の力を吸い込んでしまう。これからまた長い日にちをかけて、この土は道になってゆくのだな、などと詩的な表現が、ポケットに詰め込んだペットボトルの冷たさと相まって、生きていることを実感させてくれる。

息を切らせて現場。ちょっとした段差に腰を掛けてゆったりしていたじーちゃんにジュースを渡す。先日、海に行った時に2人1本ずつ買ったものの残りである。じーちゃんは

「これはひやこい」

と嬉しそうにペットボトルを受け取ると早速フタを開け、クックッと二口ほどを口に含み、こう言った。

「ゆっくりしたし、やろか。」

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あまりの衝撃にイケメンの顔も歪む。

 

ほぼ存在しなかった一服が終わり、改めて土を運ぶ作業が始まった。積む。運ぶ。捨てる。を、ひたすら繰り返す。途中僕が一輪車を押して帰ってきてもじーちゃんのスコップが動かない時などは、僕が代わりに土を積んで、また運ぶ。

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掘る。

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掘る。

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掘る。

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そして敷く。

みかん混じりの砕石という全く新しい建材の誕生であった。

 

ということで、およそ2時間ほどの作業の末、今回の区間での作業は全て終了と相成った。

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これでも上をすくっただけ。

 

溝を完全に溝として復活させるには、我々だけでは完全に労務不足である。いずれブラザーちゅわさんなどがのうのうと帰ってきた時などに、食後のまったりとした空気を裂いて、作業を強いたい。

それでは、お疲れさまでした。

また。

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じーちゃん「カイちゃんどこいってたんや」

カイちゃん「んなァ」

10歳ほど歳上の名曲と現実との矛盾。

洋物の楽曲であれば10歳ほど年上といってもあまり違和感はないのだけど、日本の楽曲で10歳年上というと、それは今のJpopと呼ばれるものとは随分と違うように感じる。それは当然日本の音楽が洋楽を模して徐々に変化していったからであって、今回アップした曲だって、元を辿ればカントリーといった白人の音楽文化と日本の情緒感の融合なんである。

今回のカヴァー曲がリリースされたのは1975年。Microsoft社が設立され、秘密戦隊ゴレンジャーの放送が始まり、缶コーヒージョージアが発売された年である。もちろん僕はこの世には影も形も無い。ペアレンツは中学3年生。わお。

ということで、今回カヴァーしたのはさだまさしさんが在籍していたユニットグレープの代表曲「無縁坂」。上述の通り僕はこの曲が流行っていた時代を知らないのだけど、僕の実家にはつい最近までレーザーディスクのカラオケシステム(!)があって、それでよくオヤジが歌ってたんである。

今日日よくあるクドい大サビの無神経な繰り返しが無い、1番2番のみというシンプルな構成。グッと胸に迫る歌詞。味わいのあるメロディー。素晴らしい曲です。演じ切れてるかどうかは、はてさて。ともあれ、是非御試聴下さいな。

 

無縁坂:グレープ

 

あ、ちなみにレーザーディスクってこんなんね。ネットで調べたら写真落ちてました。

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今じゃもうレガシーデバイスなんて言われてるらしい。あ、上にちょこっと出てるのがCD。大きさはレコードくらいなんだろうか。レコードのことはよく知らないんだけど。

あと、動画の編集をしながら気付いたのだけど、僕の髪の毛と眉毛がえらいことになっている。あれ?ちょっと太った?はい、明日ちゃんとやっときます。

では、では。

最近のイケメンは山の中で感動する。

体重計に乗ってみると、赤い針は77キロを指す。「もう当分来ることがないから」と馴染みのラーメン屋に通い詰めたツケである。僕の体は今、千葉県は船橋市にあるギラギラというラーメン屋のラーメンで出来ている。

「そうだ、ウォーキングしよう。」

ラーメン通いの後、和歌山の実家に収まって食生活はむしろ改善されているにも関わらず体重の低下が見られない。16名の優作ちゃんによる脳内会議の結果、それはひとえに運動不足が原因であろうという結論に至った。あと、ハイスピードロボットアクションゲームボーダーブレイクが設置されているゲームセンターまで片道1時間掛かるのはいくらなんでもあり得ないという結論にも至った。泣きたい。

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そんな訳で、僕はマフラーを巻き手袋をはめ、てっくてっくと地元の道路を歩き始めた。耳にはイヤホンを刺し込み、最近ダウンロードした仕事のための音声教材を再生しながらの運動である。文武両道とは、この努力家なイケメンのために生まれた言葉に違いない。

音声を聞きながらせっくせっくと歩いていると、30分ほど行ったところでいつも目の前を通り過ぎているだけの小道の前に来た。和歌山県はその大半を山が占めている関係で、人の住む集落は川沿いに発生している。その川沿いの集落が、時折山の谷間に向けて大きく膨らんでいることがあるのである。だいたいそういう時は膨らんだ集落の中程を小さな川がちょろちょろと流れているのだが、この小道も例外に漏れず、そういった膨らみに続く小道であったのだ。

小さな橋を越え、車同士がすれ違うことなどとてもできないような細い道を歩いてゆくと、結構早い段階で民家の並びが終わり、右手にみかんの木が並び始めた。小川はぐにゃぐにゃとうねりながら道から離れたり近付いたりして、歩くほどにそのせせらぎが、まるで生きているようにその距離感を変えた。などと言いつつも、僕自身はかろうじてコンクリートが敷かれた道の上にいるからギリギリ言い訳ができるというだけで、完全に私有地への無断侵入であるのだが。

もうしばらく進むと、僕の行く道は徐々に鬱蒼とした木々の間に飲み込まれていった。さっきまで一面に広がっていた空が、今は高々と育ったスギの木の向こうにチラホラと見えるだけである。耳元では先生がこれからの時代に必要なビジネスのノウハウを情熱的に語っている。このイヤホンを外せば、うっすら聞こえるザワザワとした山の息吹や、時折割って入る鹿の鳴き声なども、もっと近くに感じることができるのだろう。でも僕はなんとなくそうしないまま、先生の話しを夢中で聞きながら、薄暗い山の奥へとズンズン進んでいった。

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もう一息進むと、いよいよ足下はコンクリートでさえなくなってきた。踏みしめるとそこは針葉樹の葉が折り重なった絨毯になっていて、轍が残っている所以外はとてもフワフワとしている。一歩一歩に随分とエネルギーを使う。手袋はいつの間にかポケットの中に追いやられていて、上着のジッパーはバッサリと落として開かれていた。

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それでも導かれるように歩を進めていると、とうとう道と呼べるものも無くなった。そこにはボロボロに朽ちた丸太を並べただけの橋と、山師しか行かぬのであろう足場が、細い木漏れ日に照らされてどこまでも伸びているように見えた。

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別に何か目的があって来た訳ではない僕は、ここでようやくイヤホンを外した。先生はちょうど、

「セミナー講師として独立するには、自分の土俵で自分に合った営業を自分に合った価格設定でしよう。既存の事業者やセミナー講師の真似をしても、あなた独自の価値を作らなければ、成功は難しい。」

と語っていた。また後でお願いします。頭の中でそんなことを言いつつiPhoneのプレーヤーを止めると、辺りに充満していた圧倒的な自然音が、ざざざとしたりさらさらとしたりしゃぎしゃぎとしたりて、幾千万の音を重ねながらも何の不快感も無く、僕の頭の中を通り抜けた。一瞬たりとも同じ組み合わせのセッションが存在しない。もしかしたら僕が生涯を掛けようとしている音楽というのは、こういった自然音への憧れでしかないのかもしれない、などと。そんなことを思ってしまうほどに、音とは元来生き物の心拍であるという説得力を持って、その空間は空間であったのだ。

僕は最奥地から少しだけ戻った所にあった小川沿いの岩に乗っかって、少し目を閉じてみたりした。空気は肌に冷たいのだけど、逃げ出すほどではない。やはりそこにも、さっきとはまるで違う、素晴らしい音があった。今の暮らしは和歌山のど田舎で、大好きなボーダーブレイクが置かれているゲームセンターまで車で片道1時間掛かる。けどまぁ、それでも僕は満たされているのである。

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ところで、皆様はどんな電波の届かない場所でもGPSは起動出来ることをご存知だろうか。僕はふと、小一時間以上掛けて登ってきたこの山がどれほどの山奥であるのかを知りたくなり、ポケットからiPhoneを取り出してマップアプリを立ち上げた。画像中心部ちょっと右上の青い玉が、僕の現在地である。ええと、42号線の方から歩いてきたから・・・

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僕はまだ、序の口でもないところで満足していたようです。

【復刻記事】ひとりしりとり「爆発」

僕は小学生のころ、地元の少年野球チームに入っていた。
と言っても特別野球が好きだった訳ではない。
当時六人しかいなかった同級生の男子のうち、僕を除く五人がみんな揃って少年野球チームに入ってしまったため、仲間外れになるのが嫌で入団したのである。

入団までの道のりはとてつもなく長かった。
はっきりした理由は今も分からないのだが、親父が僕が少年野球チームに入ることに反対したのだ。
野球チームに入りたい。
アカン。
それだけのやり取りを一年近く繰り返した。
その間は同級生の遊び相手が誰もいない週末をうんざりしながら過ごした。
学校でも野球の話しが始まると何も話せなくなるので大変に面白くない。
親父は弟達と遊べば良いと言うのだが、遊びざかりの小学生がそれで満足できる訳がない。
度重なる交渉の結果、何がきっかけだったのか親父は僕の野球チームへの入団を許可し、僕はひとつ年下の弟ちゅわさんと二人して少年野球チームに入団した。
小学五年生の、秋のことだった。

時は流れて小学六年生の夏。
出れば負けの弱小チームだった我が少年野球チームは、実は近所のオッサンオバハンが子供の集まりを理由にワイワイと酒を飲む会であるという事実が判明した。
特に夏ともなれば、オッサンオバハンのお祭り気分は最高潮に達した。
試合に勝ったから飲む。
試合に負けたけど飲む。
試合してないけど飲む。
いつの間にか練習を指揮しているはずの監督の顔も赤くなっている。
便所が臭いから改装しようそうしようと言ってまた飲む。
快音と共にフェンスを越えたファウルボールが茂みの向こうの駐車場に飛び込むと、みんなで恐る恐る被害状況の確認に行く。
そのうち一人のオッサンがボンネットの凹んだ愛車の前で崩れ落ちると、被害を免れた連中が赤ら顔で落胆するオッサンを取り囲み、腹よ千切れよと言わんばかりに笑い倒してさらに飲む。
とにもかくにも集まる度に大騒ぎであった。

そんな夏の、あるナイター練習の日。
誰が提案したのかは忘れたが、練習を早めに切り上げて花火をしよう、という作戦が実行に移された。
この日ばかりはいつも大人達の飲み会を冷めた目で見ていた子供組も狂ったように騒いだ。
何せグラウンドを使ってみんなで花火をするのだ。
家の小さな駐車場や空きスペースでしとやかにパチパチするのとはスケールが違う。
ホームベースと一塁の間にビールの空き缶を並べ、ロケット花火を設置して端から火を付けていった時など、おそらくあれが人生で一番の絶叫であろうと思われる程の声を上げて感嘆したものだ。

そのうちどこからともなく「炸裂花火三連発!」だか何だかという打ち上げ花火が取り出された。
申し訳程度の台座が付いたこの花火は、火を付けると砲身の先から三発の花火が秒感覚で飛び出し、しばらく上昇を続けた後に「パンッ」と小気味いい音を立て、閃光と共に爆発するというものだった。

「これ一箇所にまとめて置いたらかっこええんちゃうか」

誰からともなくそういう話しになり、僕たちはヤイヤイ言いながら一塁の隣に花火を三本、まとめて立てた。

「いくぞー離れよよー」

そう言いながらコミックリーダーのなおや君がチャッカマンを片手に花火ににじり寄り、素早く導火線に火を付けると、走って逃げた。
僕はマウンドの辺りでワクワクしならがらそれを見守った。
ほどなくして一番初めに着火された砲身が

「ポズッ」

という思いの外重たい破裂音を上げ、黄色い火の玉が勢いよく飛び出した。
空を切って飛び上がる光を、その場にいる全員が見上げた。
おぉっ、などと声を漏らす者もいた。
それと同時に火の玉を追う視界の隅で何かが小さく転がり、軽いものが倒れるような音が聞こえた。
誰かが叫んだ。

「花火こけたぞぉーっ」

声が途切れるのを待たずに倒れた砲身が黄色く光ったかと思うと、ついさっき聞いたばかりの重い破裂音と風切り音を引っ張りながら真赤に燃える火の玉が、僕の股間に向かって凄まじい勢いでカッ飛んで来た。
このコースはマズい。
野球で鍛えた飛来物に対する危機察知能力が最大音量でアラームを掻き鳴らす。
僕は考える間も無く飛び上がった。
火の玉が僅かに開いた股の間を唸りを上げながら通り抜ける。
やった、かわしたっ。
見下ろした視界から火の玉が消え、気を抜いたその瞬間、尻の真裏で

「バァンッ」

という音がした。
飛び越えた火の玉が、ちょうど僕の尻の下で爆発したのだ。
それはまるで、音に尻を叩かれたような感覚だった。

永遠かと思うほどの残響と浮遊感。
ゆるやかに重力に引かれながら僕は、半身を切って逃げるなおや君に何発目かの火の玉が直撃するのを見た。
そして僕がバランスを崩したままマウンドの、乾いた土の上に還った頃、彼は、爆炎の向こうに消えていった。

結局まともに打ち上がったのは最初の一発だけだった。
残りの八発は子供組の喜び混じった悲鳴を浴びながらライトアップされるグラウンドの四方に散り、爆ぜた。
そしてこの花火祭りは、爆心地から生還したなおや君がテンションの高さのあまり残った打ち上げ花火をチームメイトに向けたところで、さすがにオッサンオバハン組の怒りを買って終焉となった。

この手の遊びはきっと男なら誰もが嗜んでいるだろうが、大人になった今では、子供の頃ほどの情熱を持って向き合えるものではない。
実にエネルギッシュな思い出である。
しかし、苦労して入った少年野球チームでの一番の思い出がこの花火祭りなのだから、当時の自分が毎週毎週グローブを片手に何をしていたのか、疑わしいところだ。

余談であるが、あれほど僕の少年野球チームへの入団に反対していた親父は、僕の四つ年下の弟ぷぅちゃんが小学六年生になるころには自分のユニフォームを持ち、監督だかコーチだかというポジションに収まっていた。
あの一年に及ぶ押し問答は一体何だったのか。
もう少し早く入団許可がおりていれば、こういう騒がしい思い出がもう一つ二つ、増えていたかもしれない。

 

※2011/12/7更新

2011年03月のブログ|山本優作のエッセイブログ「そこ、ちょいフラットやで。」

【復刻記事】警備員の錯乱

警備員の朝は早い。 その時の現場によっても大きく変わるが、朝八時の始業に間に合わせるために現在は六時ごろに家を出る生活をしている。 冷え込む冬は制服の上からジャンパーを羽織ってモコモコなスタイルで動き回るのだ。

今日はいつもより早めに家を出た。 電車の本数が減らされていることもありダイヤが不安定な昨今は通常より早く出勤するのが社会に生きる大人の常識というものである。 決して貞子的なものに追いかけられた夢を見たので二度寝が出来なかったとかそういうことではない。

ホームに滑り込んできた電車は通常よりも混み合っているものの昨日のそれよりは明らかに空いていた。 車内中ほどの吊り革に捕まり昨日殺人的なボディプレスを交わしたオヤジ達が今日もこの狭い空間を無言で奪い合うのかと思い

「ぐふふ、愚か者どもめ」

と含み笑いをしていると突然目の前の席が空いた。 隣のオヤジを威嚇しながら腰を降ろす。 やはり早起きはいい。 何となく体も軽いような気がする。

「ひゃーはっは、馬ァ鹿めェ」

と勝ち誇った気持ちになり足を組んだ瞬間、息が止まるような感覚を覚えた。 今組んだ僕の長い足(幼児、小型犬、シマリスなどと比較して)が黒っぽいデニム生地に包まれているではないか。 当然警備員の制服が黒っぽいデニム生地のようなカジュアルで実用的な素材でできている訳がない。 もっとこう迂闊にストーブなどに近付けない、まるで気遣いのない布切れだったはずだ。 もしやと思いジャンパーの下を恐る恐る覗くと見慣れた黄色いジャージが見える。 もう混じりっけ無しの普段着だ。 体が軽いはずである。 現場に制服を置いて来ていた、実は今日は仕事ではなかった、つい最近私服でも仕事ができるようになった、など様々な可能性を加味して熟慮を重ねた結果、次の駅でドアが開いた際に

「おりますぅぅぅ」

と叫ぶのがベストであるという結論に達した。

 

 

・・・

ホームに滑り込んできた電車は通常よりも混み合っていた。 人が完膚なきまでに詰め込まれている。

「本気なのかい…?」

と暗に訴えかける先人たちの視線を掻い潜り殺人的なボディプレスを交わしながら狭い空間を無言で奪い合う。 デジタルの時計は、ちょうど八時を示していた。

 

※2011/3/18の記事より

2011年03月のブログ|山本優作のエッセイブログ「そこ、ちょいフラットやで。」

ひとりしりとり「コロラドブルドッグ」

「野良ネコ」→「コロラドブルドッグ」

過去のひとりしりとりシリーズはこちら

 

僕が始めて好きになった洋楽はMR.BIGというロックバンドである。彼らのことについては音楽ファンであれば説明は必要無いが、念のため。

Mr.BIGはビリー・シーン、ポール・ギルバート、エリック・マーティン、パット・トーピーという名だたるメンバーで結成された超絶技巧王道バンドで、1989年にアルバム「MR.BIG」でデビューした。武道館ライブや大阪でのカウントダウンライブに参加するなど、日本にも多くのファンが居て、ポップで硬派な楽曲が代名詞である。

1996年のアルバム『Hey Man』の中に収録されている「Goin’ Where The Wind Blows 」という楽曲のレコーディングがビリー抜きで行われ、バンド内の人間関係が悪化。同年中に活動休止宣言があり、1999年の再会直前にポールが脱退。新たなギタリストにリッチー・コッツェンを迎えるも、2000年にリリースされたバラードベストである『Deep Cuts』の中でビリーのベースソロが本人に無断でカットされていたり、上述の「Goin’ Where The Wind Blows 」が収録されたことが原因で怒り心頭。結局協議の結果、2002年のツアーを最後に解散することとなった。

ちなみにこの最終ツアーの千秋楽は日本の東京国際フォーラムで、彼らがどれだけ日本を贔屓にしていたかが伺える。

 

Mr+Big

 

というwiki情報はここまでにして。

僕が彼らの曲を始めて聴いたのは、大阪で学生をしていた時のこと。同級生が「俺のマイフェイバリット」という斬新な英語の活用方法を見せつつ聴かせてくれたのが、彼らが1993年に発表したアルバム『Bump Ahead』だった。そしてこのアルバムの1曲目に収録されていたのが、今回のお題である「Colorado Bulldog」である。

この曲は全編に渡って美味しいところだらけなのだけど、やはり聴きどころは楽曲冒頭の超人的なユニゾンセッションで、何度聴いても何をしているのかよく分からない。メンバーは「このパートはみんなで息を合わせてプレイしたんだ。」というコメントを残していて、息を合わせれば弾けるのかということで何を言っているのかもよく分からない。かと思うとライブでは普通にお客を煽りながら弾いていたりもして、つまるところ全面的によく分からないんである。

ともあれ、このよく分からないパートのある曲のお陰で僕は洋楽への扉を叩き、当時世話になっていた先輩の影響もあって、オールディーズからブルースロックというジャンルに惹かれていくことになる。ちなみに、ビートルズを聴くようになったのはこのずっと後で、ストーンズは通っていない。どうにも「聴かなければ」と身構えて聴く曲は、自分の中に入ってこないのだ。かと思えば、何年かして室内BGMをと適当にCDを流した時にドギュギューンと胸に刺さることもある。ハートがオープンでないと、音楽は楽しめないのだろう。

結局のところMR.BIG成分などまるで感じさせないJpopをこさえている弾き語りな僕であるけれど、彼らの音楽に対する異常なほどのストイックさは、ひとつの大きな指針となっている。2009年にオリジナルメンバーで再結成され、2010年の『what if …』以降大きな動きを見せていない彼らの次のアクションが、楽しみでならない。

 

 

過去のひとりしりとりシリーズはこちら

主語を介さない女性の会話とラーメンギョーザチャーハンセット。

先日、じーちゃんと餃子の王将にお昼を食べに行った時のことだ。ラーメンギョーザチャーハンセットの想像以上の量に目を白黒させながら胃拡張を進めていると、隣りの席でラーメンギョーザチャーハンセットをペロリと平らげていた学生風のレディが2人、スマホを片手に何やら話しをしていた。

 

A子「なーなぁ、これ、C子の彼氏なんやけどなぁ」

B子「えーめっちゃ気になる、ちょっと見してよぉ」

 

和歌山弁の朴訥とした様子が文書からも滲み出るが、まぁそれは置いておいて。まだまだラーメンもギョーザもチャーハンも半分以上残っていたから、僕は少しでも気を紛らわせようと彼女達の会話に耳を澄ませてみたのである。

 

A子「これやでぇ」

B子「うわ、めっちゃいけてるやん。」

A子「でもちょっと微妙ちゃう?」

B子「あーそれは言えてるなぁ」

 

気を紛らわせるには絶好の会話である。これだけ読んでみると彼女らの身に何が起こったのか不安になってくるが、僕は過去の経験(彼女様から「ちょっとアレやっといて」と言われ、アレが何であるかを推察し、ミスをせずに彼女の期待通りにこなさねばならないという危機的状況)から、女性は会話の中に主語を含めない生き物であることを知っている。それを理論で言いくるめようなどと言語道断。普段の会話や目の動き、何より心の眼でそれらに向かい合えば、自ずと道は開かれる。

なお、僕は今の彼女様とは8年ほどの付き合いになるが、普段の会話が噛み合っておらず、目を見つめる度胸が無く、心眼などというスキルを持ち合わせていないという点を除き、理想的な付き合いが出来ている。八方塞がったイケメンの未来はどっちだ。

それはともかくとして、彼女らはこのたった2往復のやり取りの中で一体何を言い合っているのか。写真はビジュアルを残す媒体であるから、当然その会話は「C子の彼氏のビジュアル」と想像できる。が、表面上の文章だけでは、

 

B子「うわ、めっちゃいけてるやん。」

 

 

A子「でもちょっと微妙ちゃう?」

 

が繋がらない。「めっちゃいけてる」という評価に対し、「ちょっと微妙ではないか」という意見をぶつけるには、文章の接続接続部分は「そう?」や「なんで?」といった言葉、あるいは「何も挟まない」方が自然だ。しかしB子は何の迷いもなく「でも」を選んでいる。これはつまり、A子が「めっちゃいけてる」と判断した項目を察しつつ、「でも(○○の部分においては)ちょっと微妙である」という別の項目に対する評価を提示した、ということであると考えられる。

恐るべきはその後のA子で、B子の何の前触れもない別項に対する評価を受け止め、かつ迅速に「それは言えている」という共感の言葉を投げかけている。これは、B子が主語を使わずに提示した「ちょっと微妙」という評価が、C子の彼氏のヴィジュアルのどういった点に対する評価であるかを一瞬にして察し、そこに対する自分の意見を共感という形で発信した、ということである。尋常ではない直感力だ。

残念ながら若干むせ込みながらチャーハンをかき込む僕の位置からはC子の彼氏の写真は確認できなかったため、それ以上の観察は無意味であった。しかし、女性間の主語を介さない会話の凄まじさを味わうには、十分な機会であった。

なお、この会話をしていたのが僕と彼女様であったとしたら、きっとこうなる。

 

彼女様「なーなぁ、これ、C子の彼氏なんやけどな」

僕「んあ?(ギョーザはすはす)」

[ここでチャーハン皿が飛ぶ。]

彼女様「これやでぇ」

僕「すいません、チャーハンで何も見えません」

彼女様「そんな眼球はもういらないね?」

僕「うっわ超見えた何これものすごい男前じゃないですか」

彼女様「やろ。どうしてお前はこうでない上に岡田准一でもない上に頭からチャーハンを被ってるんや」

僕「チャーハンに関しては僕もつい先ほどから疑問に思っていました」

彼女様「どうしてお前は岡田くんでない」

僕「それは犬を飼いながらコイツは猫じゃないと愚痴を垂れるのと同じじゃないか」

彼女様「岡田くんでないお前はもういらないね?」

僕「ちょっと整形外科予約してきます」

 

心の眼は当分開きそうにない。

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国際情勢から見る立場と認識の関係と、僕が長生きするための方法。

先日の安部首相の靖国神社参拝に対し、国外からの非難が凄まじい。ニュースでも囁かれているが、靖国神社には太平洋戦争を先導したとされるA級戦犯者28名のうち14名が、幕末から明治維新にかけての国内外の紛争、及び国のために戦い亡くなった軍人等の戦没者およそ247万人と共に祀られている。この247万人分の14名のA級戦犯者を日本の首相が拝むことが、戦争の被害を被ったのだと認識している韓国や中国の一部の人間から

「過去の罪の肯定」

と捉えられ、昨今よく聞く対日感情の暴走や、一部の過激派の煽りに繋がっているのである。

安部さんの真意は察しようもないが、少なくとも一国の首相まで登り詰めた男が隣国を煽りたいから行きましたデヘヘヘヘ、などというお粗末な感情で動いているとは考えたくない。ここは仮に本人の言葉を信じて、二度と戦争を繰り返さないのだという決意の表明のために参拝をしたのだとしてみよう。そうすると、

「俺、めっちゃ頑張るから。」

と仕事に向かう気合いを注入している安部ちゃんと、

「お前、俺らに迷惑掛けた奴拝んで、やっぱり俺らのこと見下してるやろ」

とビキビキ青筋立てている韓国や中国の過激派のどなたか、という構図が出来上がる。もうお気付きだろう。論点がズレているのである。

このように、人は生き物としての構造は同じでも、その立場によって物の見方や捉え方が変わる。分かりやすいのは男と女だ。男性は女性のことをある種の天変地異の類いのように思っているし、女性は男性のことをいつも目に付くけど面倒だから掃除しないコンロの脇のホコリのように思っている。

例えばこうだ。男性は、自分が買ってきたプリンを食べるのにも女性に断りを入れる。自分がお金を出して買ってきたものであっても、自分に所有権が無いことを理解しているのである。

それに対し女性は、誰に断るでもなくプリンを食べ、その隣りに置いてあるシュークリームも食べ、甘いものが無いから何か買ってこいと平原の羊のように生きている男性に指図をし、他所では「うちのロクデナシがいつも甘いものばかり買ってくるからそれに付き合っていると太ってしょうがない」と愚痴をこぼす。

この時、プリンに対する認識は男性と女性の間で大きく異なる。

男性にとってプリンは

「たまに食べられるとても高価ですごくおいしいもの」

であるのに対し、女性にとっては

「最近ちょっと飽きてきてるからそろそろミルクプリンの方を食べたい感じのもの」

となる。場合によっては

「プリンを食べようというタイミングで豆から挽いた芳醇な香りのコーヒーを入れてくれる岡田准一でない男と付き合っている私はとても不幸だ」

という認識も持ち合わせているから油断ならない。

こういった立場の違いから来る認識のズレや感情の対立というのは、やはりお互いがお互いの立場となり、想像力を働かせて許し合うことでしか乗り越えてゆけないものである。その「優しい想像」という行為が、人はどうにも苦手なのだ。それは当然韓国や中国の対日思想を持つ人だけではなく、テレビやラジオから流れてくる情報のインパクトが強い部分だけを拾って、

「韓国はああだ中国はこうだ」

と在りもしない群れを非難し、差別を具現化し、言葉にせずとも電波させる多くの日本人にも言えることである。歩み寄ることや、分かり合うことは、相手を許すという前提が無ければ成り立たない。そしてそれは、誰よりもまず先に自分自身が胸に抱かねばならないことなのである。

我々はどのような鬼神や邪神の類いに対しても、この優しい想像力を持たねばならない。僕は先日机の角にぶつけてしまったコーヒーカップの欠けた部分を見つめた。何年か前に彼女がクレーンゲームに多額の投資をして手に入れた非売品のカップである。そして彼女の立場になって、想像力を働かせた。

僕は黙っていられる限り、黙り続けておくことにした。

 

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焼却炉の側で兄弟が大笑いすることになった経緯とその後食らったカウンター。

山本家の裏手の山はおじちゃんのみかん畑になっている。おじいちゃんは元々学校の先生であったので、畑自体は決して大きいものではない。それでも親戚一同介した際のサバイバルゲームの会場としては申し分の無い広さであり、起伏に富み、立体的な戦闘が楽しめる空間である。

で、その畑の入り口にはドラム缶をぶった切って作った小さな焼却炉があって、家で出たちょっとしたゴミが焼けるようになっている。僕は先日の仕事部屋作りの際に出た大量のゴミをこの焼却炉で燃やして処分することにした。

 

僕「裏の焼却炉使うよ。ゴミが沢山出たから、火ィつけてくる。」

おじいちゃん「あんだけのもんもっていくんえらいこっちゃど。」

僕「でも、この地区の廃品を集めてる小屋にはいつでも放り込める訳じゃないんでしょ?」

おじいちゃん「おお、日ぃ決まっちゃある。」

僕「ネコに積んで持って行くから大丈夫よ。」

おじいちゃん「ネコらあくかよう。納屋から一輪車出して積んでいけ。」

僕「・・・アイアイサー」

 

”ネコ”が一輪車の業界用語であることは、とりあえず黙っておいた。

そういうことで、僕はこれもみかん畑にある納屋からネコ・・・もとい一輪車を引っ張り出し、大量のゴミの入った段ボールを積み上げて、焼却炉までのあぜ道を颯爽と駆け抜けた。

 

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ひっくり返した。

誰もいない山の中、草木の揺れる音と「くぇけけけけけけけけけっ」というよく分からない生き物の鳴き声を聞きながら飛び散った紙切れを掻き集める侘しさをご存知だろうか。

そんな精神的苦行を乗り越え焼却炉の前に身構えると、今度は別の不安が僕を襲った。この焼却炉は膝丈くらいの位置でドラム缶をぶった切ったものだから、燃やせるモノの量が少ない。吹きさらしであるから軽いものは風に煽られると飛んで行くし、かといって教科書のようなものを丸々焼き切れるほどの火力は出ない。試しに算数の教科書に火を付けてみたところ、やはり表面を多少焼いただけで、本の内部部分は焼けずに残ってしまった。僕は本を4~5ページずつちぎっては丸めて火にくべるという、どう考えても終わらんでコレ大作戦の決行を余儀なくされた。この日は3時間ほどかけて、かろうじて段ボールを一箱焼き払うのが精一杯であった。

 

そうして2日目、3日目と、時間だけが流れていった。途中ブラザーちゅわさんやブラザーぷぅちゃんの手を借りたりもしたが、作業は一向に進まない。当初の不安通り、炉の焼却能力に対してゴミの量が多すぎるのである。加えて、僕も一日中ゴミ焼きばかりしている訳にもいかない。ちぎっては丸め、丸めては放り込み、放り込んでは突いて空気を送り込む。指先は紙を擦りすぎてヒリヒリするし、親父から借りたフリースは煙を吸って燻されたような香りを纏った。

それは、ブラザーぷぅちゃんと教科書やノートを引き千切っていた時のこと。僕が半ばトランス状態でビリビリと紙を裂いていると、隣にいたぷぅちゃんが突然に口を押さえて笑い出した。とうとうおかしくなってしまったのかと思って目をやると、どうやら一冊のノートを開いている。どうしたのかと聞くと、いいから読みなさいとそのノートを差し出してきた。「漢字練習ノート」と書かれていた。

 

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深くうなずく。
熱い夜。
太陽が上がる。
軽くなる。
女の子の命。
空に消える。
第一の場面。

 

あまりにドラマティックな文節の連続が精神的な衰弱の極みにあった我々の笑いの沸点を一気に飛び越え、水から蒸気というか、氷からプラズマというレベルの爆発的な変貌をもたらした。

 

僕「イーーーーーッヒヒイヒイヒイッwwwww」

ぷぅちゃん「くぁwwwおwww女の子の命wwwこんなん書いたことないwww」

僕「ホヒィーーーーーッwww」

ぷぅちゃん「誰のノートよこれ・・・私のでしたァーーーーッwwwwwwww」

僕「カーーーーーーッwwwwキャアァァァーーーッwwwwww」

 

 

活動の限界を超えていた兄弟の笑い声は結構な間止まらずに、新春のみかん畑に響き渡っていた。

 

その後のこと。なんだかんだでこの日も段ボールを半分焼き切るので精一杯だった僕とぷぅちゃんが探して集めた「漢字練習ノート」を永久保存版として持ち帰ると、おじいちゃんがごにょごにょと話しかけてきた。

 

おじいちゃん「お前らあんな教科書ら焼いてたら終わらんやろ。」

僕「終わらんですよ。」

おじいちゃん「あんなもんお前、まとめて廃品のとこに置いとけよぉ。」

僕「え、あの小屋って集荷日が決まってるって言ってなかったっけ?」

おじいちゃん「小屋の前のとこにはいつ置いといてもええねんで。」

僕「・・・ヴァ」

 

翌日、僕は再びネコ・・・じゃなくて一輪車を引っ張り出し、焼却炉の脇まで運んだ大量の本をおじいちゃんの軽トラに積み込んだ。それらは簡単に種類別にまとめて縛り上げられたあと、いともアッサリと資源ゴミの集積場に投下され、僕の手元にはシュールでドラマティックな「漢字練習ノート」が数冊と煙臭い借り物のフリースが残った。父の視線で、どうにも居心地が悪かった。