月に一回ほどのペースで実家に顔を出している。
そろそろ住民票を大阪に移したり、うやむやになっているシガラミなんぞを整理せねばなるまいと面倒を被る覚悟を決めているところだ。
母方の祖母の一周忌の法事で帰ってきたのは昨日の昼過ぎのことだった。
ちょうど仕事が休みで家にいた母が弟のちゅわさんのエブリワゴンで駅まで迎えに来てくれた。
田舎の穏やかな空気を壁のようなエブリワゴンのフロントガラスで乱暴にこじあけつつ爆進していると大量発生しているトンボが軽い音を立てて視界の隅で弾け飛んだ。
合唱しつつ交差点に差し掛かると目の前の信号が今まさに停止命令を出そうとしているところであった。
エブリワゴンは慎重なブレーキングで停止する。
これには驚いた。
母は「信号は赤くなってから0コンマ3秒までは青信号やねん」と公言するような人物であるのだ。
僕「ジャックナイフと呼ばれていたお母様も随分丸くなられたじゃないですか」
母「今のブレーキかぁ」
僕「横向きのGに備えて踏ん張ってましたのに」
母「この車で本気のコーナーリングしたらひっくり返るからな」
舐めてましたスイマセン。
自宅に帰って2階の仕事部屋と、ついでに母と自分の寝室を掃除した。
思っていたよりもホコリが溜まっていて掃除シートがあっという間に真っ黒になる。
多少は気持ちの良い空間作りに貢献できたかと、自分に言い聞かせる。
仕事が一段落付いた頃にじーちゃんに大声で呼ばれた。
今夜はガレージで焼き鳥であった。
冷蔵庫の中で冷えていたアサヒのスーパードライを片手に参戦する。
彼女様のご実家はアサヒの株を持っているらしいので、うむ、などとひとり大きく頷いたのであった。
沖縄で事業の立ち上げに失敗して先月末に引き上げてきたちゅわさんがトングを片手に煙の向こうでがははと笑っていた。
この悲観の無さというか、その場でその場を楽しむ精神は大したものである。
わずか数ヶ月で住民票やら車やらを大移動させた沖縄から戻ってきた引き際の良さも、尊敬に価する。
このようにおだてて僕は秘密裏に彼を「永久に焼き鳥を焼く係」に任命し、その目論見は見事に達成された。
飲んで食べて騒いでいると日中ゴルフで白球に翻弄された父が帰ってきた。
戦績を聞くと「お父ちゃんは過去に縛られへん」と言ってトリにかじりついた。
炭の火が小さくなってきたので「永久に焼き鳥を焼く係」に追加を命じる。
母が残ったトリと野菜を網の上に乗せて「見事に食べきった。私の買い物目分量は大したもんや」と大見得をきった。
我々も「それは大したものだ」と言って同調した。
父が「僕がお腹いっぱいになったかどうかは関係ないんですか」と赤い頬を震わせたが、誰も聞いていなかった。
晩餐が終わると、シャワーを浴びて仕事に戻った。
仕事とはいえまだまだ教えてもらうばかりのヨチヨチ歩きであるから、とにかく言われたことを飲み込んで咀嚼することで精一杯だ。
一刻も早く仕事を覚えて世話になっている社長を楽させたい。
ひと段落がついて布団に入ったのは3時になる頃だった。
田舎の山の中で深夜に電気を付けてナニガシをしていると周辺の虫が大量に集まってきて、どことも分からない隙間から忍び込んでくる。
ピロピロ飛び回る羽虫を見上げながら最近梅田の蔦屋書店で偶然見つけた「芸術の売り方」という本を開いた。
フィリップ・コトラーが推薦しているマーケティング本で楽しみにしていたのだが、ビジネス洋書特有の長い前書きを読んでいる途中で寝入ってしまった。
幸せな一日だった。