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アヒル見下ろす通学路
津木小学校の近所には、二本の川が流れている。その川はある場所で合流して大きく深く広がるのだけど、まさにその川が落ち合う場所に、クラスメイトのダイスケくんの家があった。ダイスケくんの家は道路から一段下がったところがご両親の仕事場になっていて、そこから直接川原に降りていけるという、面白い造りになっている。僕の通学路はダイスケくんの家の前や、脇の橋を通るルートだったから、毎日ダイスケくん家の裏の川を見下ろしながら登下校をしていた。
ダイスケくんの家は、その川原でアヒルを数羽飼っていた。アヒルたちは川原をぺたぺたとお歩いてみたり、川の水面に浮かんでみたりしながら、日々ぐわぐわと幸せそうに生きているように見えた。それは僕にとって、楽しい登下校の風景の一部だったのだった。
感動的コントラスト
何かの拍子に、学校の教室で動物王国をしよう、という話しになった。段取りが進み、ある日一年生の教室にどかどかと動物たちが寄せられた。やってきたのは、ニワトリ、ウサギ、そしてダイスケくん家のアヒルだった。
初めて見るアヒルは、遠くから見ているよりもずっと大きかった。身体を左右に振りながら水かきでペタペタと床を叩く姿が、実にすっとんきょうでかわいらしい。何より、真っ白な身体と目を突くような黄色い足のコントラストは、それまでの僕の中にできつつあった「生き物の色」という概念の、完全なる枠の外であった。それが面白くて、なのに滑稽で、不思議で不思議で、僕は彼らが落としたフンを掃除しながら、そんなことばかり考えていた。
グッバイ・ダックス
動物王国も終わり、しばらくしたある日のこと。いつものように下校しながらダイスケくん家の裏の川を見下ろした際に、アヒルの数が減っていることに気付いた。気になって次の日ダイスケくんに聞いてみたところ、先日川が増水した時にさらわれて、減ってしまったのだという。僕は一生懸命に川を遡ろうとして、しかし叶わず下へ下へと流されているアヒルを想像し、とても悲しくなった。流されてしまったアヒルは、僕が触れて命を感じた、あのアヒルだったかもしれないのだった。
家族から引き離されるのは、悲しいし寂しい。不安で不安でたまらないではないはずである。ダイスケくんや周りの人たちが、アヒルが流されてしまったことをもう終わったことのように話していることが信じられなかった僕は(実際は彼らも心を痛めていたのかもしれないけれど)、それ以降の川下でアヒルを見つけたら、何としても保護して彼の家に送り届けようと心に誓ったのだった。
それから、登下校中に川を見下ろす時間が増えた。死角になっているところも多いから、とにかく道路から目配せできる範囲で、アヒルがいないかずっと目の隅で探していた。結局そんなことをしてもアヒルが見つかるわけでもなく(一度、どこかで誰かが見かけた、という噂も立ったけど)、僕は小学校を卒業した。河川工事が繰り返され、新しい橋が出来上がり、風景が大きく変わってしまった今でも、川の脇の道を歩いていると、例のアヒルが家に帰るために一生懸命に水を搔いているのではないかと目をやってしまう。たぶんこの件に関して、僕はまだ「できることをやった」という納得をしていないのだと思う。今度ボートでも浮かべて、ダイスケくん家の川原から流れてみようか。きちんと、あのアヒルにお別れをしなければ。
ぐわッ
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