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苦しみの夏祭り
お醤油で有名な和歌山の湯浅町では、毎年まちをあげた夏祭りが催される。が、職場の知人に会いたくないという両親だったので屋台のある通りに行くことはほとんどなく、大体において現場から少し離れた漁港にブルーシートを敷き、花火を見ながらお弁当を食べるというのが、山本家の夏祭りの楽しみ方だった。そして僕は、この夏のイベントが大嫌いだった。
屋台に行きたかったわけではない。人混みは小さい頃から嫌いだった。じゃあ何が嫌だったのかというと、単純に花火を見ている時間がしんどかったのだ。
今だから分かるのだけど、当時の僕はかなり頻繁に脱水症状を起こす子どもだった。軽めの症状なら食事のタイミングなどで復活するのだけど、夏の蒸し暑い夜に昼間の太陽の熱を抱いた漁港のアスファルトの上に座り続けていると、症状はどんどん重くなるばかりだった。
手足や舌が痺れて気だるくなり、誤魔化そうとして動き回るとじっとしていろと怒られる。「喉が渇いた」と言うとお茶が出てくるけれど、それでは体調は回復しない。しんどさを表現する語彙も持たず、痺れや気だるさに耐えながら見上げる花火の憎らしいことといったら、もう。
非・お祭り男の祭の楽しみ方
そんなこんなで、僕は今でもお祭りや花火が好きでない。嫌いとまでは言わないが、積極的に関わろうとは思わない。
とはいえ、どこかから聞こえてくる笛太鼓の音は、子供たちのはしゃぐ声は、お祭り男たちの怒号は、美しい夏の風景のひとつである。神輿や綿菓子やリンゴ飴が無くても祭りが楽しめる僕は、むしろ得をしているのではないかと、最近はそう思う。
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