赤い龍をまとって
以前からチラチラ気になっていた「龍」という言葉を追いかけて書店に行ったのは、今年の8月半ばのことだった。ずらりと並んでいる龍に関する本の中で、これがいいですな、と自然と手に取ったのは『日本一役に立つ龍の授業』という本だった。
近所のマックに入って、コカコーラゼロとチキンナゲットを用意して本を開く。ページの角を油で汚しながらページをめくると、これまでの自分の考えが頭の中でヒュンヒュン音を立ててあちこちから集まって来るような感覚があった。
「龍も神も、人が希望を持ち、幸せを願う過程で生まれたもの」という一行を読んだあたりで、背中がぞわぞわし始めた。この本にキャラクターとして登場する龍神は、「人とタッグを組みたい龍は大勢いる」ということを繰り返し言う。ならもしかしたら、僕の近くにもいるのかしらん、と、ぽわんと意識を正面に向けたら、いきなり深い赤色の鱗が見えた。
もうこの流れだと、どう考えたって龍の胴体にしか見えないものが、僕の体の周りをぐるりととり囲っている。締め付けられている、とかではなくて、纏っている、という感じだ。とはいえ、その向こう側の景色も見えていて、死角はない。ふたつの映像が重なって同時に見えている、というような視覚である。
宇宙よりも大きいんスよ
「ジョジョのスタンドみたいでカッケェ!」なんて思ってしばらく盛り上がった後、頭が見てみたくて、でもなんだかよく見えなかったので、意識をもうひとつ外に飛ばしてみた。防犯カメラの映像のような画角でマックの店内をイメージするのだ。するとどうだ、マックの店内を赤い龍の胴体がミチミチに埋め尽くしているではないか。めっちゃこわい。超こわい。
さらに、ドローンが被写体から離れていくようなイメージで想像の視点を引き離してみる。マックの入っているビルも、駅も、街も日本も地球も、全部龍に包まれている。とても優しく包まれているのだった。
視野は広がりに広がり、最終的に少し前に見た海外の宇宙に関するドキュメンタリー番組で見た、複数の銀河団が漂っている画にたどり着いた。いつの間にか龍は色を無くしていたけれど、そこまで行っても、龍の胴体は銀河団よりも大きく太くなっていて、結局何もかも包み込んでいて、頭なんてよく分からなかったのだった。
僕は自分でも不思議なほど安心した。ホッとした。こんなものが僕の周りにあって包み込んでくれているのだから、今後一切何があっても大丈夫に決まっているではないか、という風に感じたのだ。
奔る雲、二重の虹、光の雨
そんな安心感いっぱいの中、僕はレンタカーを借りて、家族と神奈川から大阪へと帰省した。途中、力強く弧を描いた雲や、二重に掛かった虹を見た。愛知県に入る前くらいに、トンネルを抜けたところで、黄金色の光の中からステキなものがギュッと固まって降り注いでいるような、この世のものとは思えないほど美しい雨に打たれたりもした。
何を見ても龍だ龍だと騒ぐ人たちを見て失笑していた僕だけど、何てことはない。雲も虹も光も水も、風も大地も血も意思も、流れるものこれ全部龍じゃないかと、すっかり納得してしまった。そう信じていた方が、人生は明るくハッピーで楽しいと直感したのだ。そしてやはり「大丈夫だから大丈夫なのだ」というトンデモ論が、しかし絶対的な確信を持って、僕の中にさらに深く根付いたのだった。