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超難問:人の名前を覚えよ
理由はよく分からないけれど、保育所や幼稚園のの保育士さんたちと違って、小学生の先生は名前を覚えなければならないらしかった。僕は人の顔と名前を覚えることがすこぶる苦手であったから、小学一年生の時の担任の先生の名前を覚えるのにえらく難儀した。
たしか…若林先生…だったと思うのだけど。それまでクラスメイトの名前だって曖昧な認識のまま生きてきた僕は、そうやってジワジワと社会の何たるかを叩き込まれ始めたのだった。
よく覚えているのは、亡くなったばーちゃんに「先生の名前覚えてやなあかんで。ほら、ゆーてみい」的なことを何度か言われたことだ。僕は小学校に入って生活環境が変わったことに浮かれて、ばーちゃんに言われるまま、一生懸命に名前を思い出そうとした。
人の名前を覚えるというのは、暗記の領分だ。そして暗記はやろうと思えばできる僕は、つまりやろうとしなければできない僕だから、人の名前を覚えようとすることは、常に脳のエンジンを外に向けて回し続けることなのだった。
しばし閉店
今これを書きながらしみじみと思うのだけど、僕はそうやって頭の中の自分の好きなもので埋め尽くしていた領域を、少しずつ社会に明け渡していったのだと思う。これ以降の思い出はどのシーンを抜き取ってみても、底に悲しい気持ちがべたべたとこびりついている。楽しい時間が減って、しんどい時間が増えてきた。そうだ、すっかりマヒして忘れていたけれど、僕は友だちと会ったり勉強したりすることは好きだったけれど、自分の頭の中の領域を奪っていく学校のルールが嫌いだった。
とはいえ、ルールとしんどさを繋げたのは僕である。そうしないといけないと言われて、そうしたのは僕である。その選択をした背景には、この頃よりさらに幼少期に手に入れた、「人から嫌われると生きていけない」という価値観がある。好きなことを好きなようにしていては、人から嫌われてしまう。人から嫌われないためには、好きなことではなく、しんどいことをしなければならないのだ。
そんなわけで、僕は小学校に入学した辺りから少しずつ閉じ始める。いつしか勉強も遊びも、自分の世界ではなく人の世界でするものになっていった。掛け算も割り算も、全部楽しかったのに、きちんと答えられないと人から嫌われる気がして、手を付けるのがおっくうになっていった。新しく入学してきた一年生がまぶしくて、妬ましく思えたものだ。俺がこの学校のルールを教えてやんよ、なんて、そんなことを思っていたものだった。
しばし閉店
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