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そんなことより
僕の生まれた和歌山県の有田群(群!)は、んもう田舎を絵に描いたような田舎である。よく言うネタなのだけど、生まれたご近所半径数キロには信号機がない。とはいえ十字路はいっぱいあるから、ドライバー達はアイコンタクトで角を曲がるのだ。だから家族で出かけるとなると、つまり車移動になる。だから僕の家族との思い出は、車の中の風景が大半を占める。
10歳くらいの頃だったか、父の運転する車に乗ってスーパーから帰っている時に、ふと思い付いてこんなことを言ってみた。
「車であっちからこっちへ行くのって、ほんまは僕らが行ってるんじゃなくて、行きたいとこがこっちに向かってきてるんかなあ」
今の僕が聞いたら「お前は天才か!」と諸手を挙げて(運転中です)喜びそうな台詞なのだけど、父はハンドルから一切手を離さずに
「そんなしょーもないこと考えるくらいやったら、どうやったら永久機関が作れるか考えてみい」
なんて言うのだ。永久機関という響きがあまりにカッチョよかったからその時はつい引っ張られて考えてしまったのだけど、実は自分のアイデアをうっちゃって、もっと意味ありげな話題が採用されたことに、当時の僕は非常に大きなショックを受けたのだった。
人生は「やっぱり僕は・・・」の確認作業
結局水を使っても磁石を使っても永久機関など作れませんね、ということになって、その会話はそこで終わったのだけど、うつむいて両手をモジモジしたくなるような座りの悪さや、居心地の悪さはずっと残ることになった。父のことを尊敬していたし、頭が良い人だと思っていたから、やっぱり頭の良い人にとって僕の考えや発想なんか何の価値もないのだと思ったのだった。
とはいえ、この経験は当時の僕が既に持っていた思い込みの確認作業である。父が僕を理解してくれなかったことが悲しかったのではなくて、ただ僕が「やっぱりそうだ」という指さし確認をした、というだけのことなのだ。
「やっぱり僕の言うことは、大したことないんだ」
「やっぱり僕の考えることは、おかしいんだ」
「やっぱり僕のアイデアは、ピントがズレてるんだ」
「やっぱり僕は・・・」
「やっぱり僕は・・・」
「やっぱり僕は・・・」
的なことで、ここからの人生、「やっぱり僕は・・・」を確認する作業が続いていく。なんだか振り返るのも楽しくないから、ちょっと飛ばしちゃおうかなあ。
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