初めからそうなることは
分かっていました。
しかしはやり
息子が生まれてからこっち、
僕は彼から圧倒的に
勉強をさせてもらっています。
その中でも最近特に
大きな気付きになったのは、
不快だったり願いが叶わないこと、
人に伝わらないことは、
泣き叫ぶほどつらいことなのだ
だということです。
彼は思っていたよりも
多くの表現をしてくれます。
笑うことと
泣くことだけでなく
小さな表情の変化や
視線の動き
体の使い方など
彼ができる
あらゆる方法を使って
僕たちに意志と感情を
シェアしてくれます。
そういった選択肢の中で
わざわざ「泣く」を選ぶ。
戦略的ではなく
そうすることが彼にとって
自然だから「泣く」。
いつのまにか
我慢を覚えて
当たり前に
我慢するようになって
本当は
自然に考えたら
「泣く」ほどのことを
僕らは毎日
我慢しているのかもしれない。
そんなことを考えたら
目頭が熱くなりました。
たくさん勉強をして
たくさん実践してきたけど
まだまだまだまだ
泣きたい僕が
そこにいました。
このブログで
ずっと言ってきている
「やりたいことをする」
これはつまり
「やりたくないことをしない」
ということと裏表です。
「やりたいことをする」には
「やりたくないことをしない」を
するしかないのです。
でも暮らし方を
一気にひっくり返すのは
僕のような凡人には
正直難しい。
なら
「やりたくないこと」を
速攻で終わらせて
「やりたいこと」を
少しずつ日常に取り込む。
「やりたいこと」と
「やりたくないこと」が
一時的に共存することを許す。
僕がちょっと人に
引かれるような
徹底的な情報管理を
一年以上続けているのは
ひとえに僕が
崖から飛べない
凡人だからです。
崖から飛び降りる
勇気がないから
安全そうなところに
ペグを打ち込みながら
じっくり降りていく。
そういうことを
しているのです。
そしてそのやり方が
飛び降りることができない
チキンな仲間たちの
役に立てたら
それはすごく素敵だなぁと
気持ちも新たに
今日もキーボードを叩いています。
きっとどこかで
「ここから先は
飛び降りるしかない」
そんな日が
やってきます。
でも少しずつでも
崖をずりずり降りていれば
谷底までの距離は
短くなります。
一緒に崖を降りている
仲間がいると知っていれば
勇気も湧いてきます。
あなたの願いを
一緒に叶えながら
崖を一緒に降りていく。
泣きたいけど泣けない
今の暮らしの舞台から
降りるあなたに伴走する。
自分の仕事がとても
誇らしく思えてきました。
ありがとう、むすっこ。
高い高いしたるわ。
ヒュッ