名コピーと元ネタと哀切の叫び。

僕が千葉に住んでいた頃の楽しみのひとつに、電車の吊り革広告を読む、というものがあった。基本的にロクでもないコピーばかりなのだけど、中には日本語の妙を見事に突いた名文があったりもして、中々どうして読み応えがあるのである。

中でも僕の心を射抜いたコピーがサントリーの角というウイスキーのキャッチコピーである。かなり古いコピーで、こんな書き出しで始めておきながら実は吊り革広告で読んだ訳ではないのだけど。それでもこのコピー、あまりの格好良さに何度も模写したほどで、日本語表現の奥深さと味わいをが存分に楽しめる。横書きで表するのは不本意ではあるが、是非一読してみて頂きたい。

「角」÷H2O

そのH2Oが問題なのです。井戸水に限るといういう者がいるかと思えば、
いや井戸水はいけないという者がいる。
そこへ、ミネラルウォーターが良いと口をはさむ者がいて、
水道水で充分という者がおり、
それならば断じて浄水器を使用すべしと忠告するものがいる。
また、山水こそ至上と力説する自称水割り党総裁が出現し、
清澄なる湖水にまさるものなしとの異論が生じ、
花崗岩層を通った湧き水にとどめをさすと叫ぶものあり。
果ては、アラスカの氷(南極ではいけないという)を丁寧に削り取り
メキシコの銀器に収め、赤道直下の陽光で溶かし、さらにカスピ海の・・・
と茫洋壮大なる無限軌道にさまよう者もある。
と思えば、そっとあたりを伺い、声をひそめ、
ただひと言、秋の雨です、と耳うちする者がいたりする。
我が開高健先生によれば、「よろし、よろし、何でもよろし、
飲めればよろし、うまければよろし」ということになる。
さて、あなたは? 今夜あの方と、水入らずで。「角」。

ああ、何度読んでも上手い。

少し調べてみたら、このコピーによって人生が変わった、というほどの文章的影響を受けたプロのコピーライターの方も大勢居るようで、色々なブログや記事で紹介されていた。なるほど、納得である。

このコピーは中畑貴志さんという大変に有名なコピーライターの作品であるのだけど、実はこのコピー、チェコの作家で園芸を愛したカレル・チャペックさんという方のオマージュであるらしい。不勉強な僕はその方の作品を読んだ事がないのだけど、手元の資料にその原文の日本語訳が数行があったので、せっかくであるからこちらも一読頂きたい。

園芸家12ヶ月「種」

木炭をまぜるといいと言う者がいるかと思うと、いけないと言う者がいる。また、黄いろい色をした砂には鉄分がふくまれているから、少量加えるといいと言う者がある。かと思うと、また、黄いろい色をした砂には鉄分がふくまれているから気をつけなきゃいかんと言う者がある。ある者は清潔な川砂がいいと言い、あるものはピートだけでやるのがいいと言う。また、なかには、おがくずがいいと言ってすすめる者もいる。要するに、播種用土の準備ということは重大な秘法であり、魔法の儀式なのだ。

種を植えるための土のことを、これほどまでに味わい深く表現した文章は他にあるまい。幸福はいつも自分の近くにあるというが、まさにそれを文章というレンズを通して発見したような気持ちである。

ということで、僕もこの手法に乗っ取り、一本執筆をしてみた。

物議を醸す顔

不自然ではないと表する者がいるかと思えば、
何が良いのか分からないという者がおり、
だいたい中の下くらいではないかと相対的な位置付けをしたがる者がいれば、
それは見る人によって異なると多面的な視点の存在を主張する者がいる。
そうこうしているうちに、この崩れ方が良いのではないかと独自の観点を主張する者が現れて、
意見をあたためるうちに何がなんだか分からなくなったゲシュタルトの崩壊者が無言のままその場を去り、
元来自然の造形物は評価を受けるべくもなく、
そういった分別の心が、有史以来の争いの元凶なれば、
醜いものというのは、それを醜いと感じる分別の心にある、とさとりをひらく者が出現する。
「君はどう思う?」と声を掛けてみると、
「梅干しよりは人間らしい」と答えてくれた。
正当な評価に出会えないことが、私の不幸だ。

こんな文章に小一時間も頭を悩ませた事も、私の不幸である。

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