口説くチャラ男から学ぶ高額商品販売モデル。

今の事務所に入って、すぐの頃だ。スーパーに買い物に行った帰り、僕が信号待ちをしていたすぐ隣で、ある兄ちゃんが姉ちゃんを口説いていた。2人とも茶髪にピアスと薄笑いという「軽そうな」風体ではあったのだけど、そんなことはどうでもよろしい。むしろ僕には、口説き口説かれるというコミュニケーションを楽しんでいるように見えて、それが新鮮だった。

僕はナンパというものをしたことがない。見ず知らずの人に話し掛けることはできるけど、見ず知らずの人を口説こうと思ったことがない。理由は簡単で、そうしたいと思わないからだ。

ストーリーをひとつも知らない人を、僕は好きになれない。顔形が好みであったとしても、顔形が好みであるというだけだ。「あの車カッコイイ」と一緒で、手に入れたいとは思わない。

それ故に、この2人は口説き口説かれる行為を心から楽しんでいるのだと気付いた時の衝撃は大きかった。本当にこういう人がいるのだ。いや、きっと今までもいたのだろうけど、気付かなかっただけなのだろう。

兄ちゃんは鋭利な襟足をちょいちょいと触りながら、とにかく姉ちゃんを褒めまくっている。服が可愛い。バッグのセンスがいい。顔が一番最高。どれもこれも自分でも言える言葉ばかりであるけれど、どれもこれもこういう使い方をしない言葉ばかりだ。

それを受けて、姉ちゃんも褒められる自分を楽しんでいる。「えー」や「んー」といったモジモジの構えを取り、浴びせかけられる褒めのシャワーを全身で味わっているのである。

一通りの褒め攻撃と褒められ遊びが終わったところで、兄ちゃんが切り出した。

「ねぇ、俺お姉さんとお茶したいんやけど、どっか行かへん?」

僕は衝撃を受けた。この兄ちゃんは、姉ちゃんをお持ち帰りするという目標に向け、きちんとステップを踏まえている。その手腕は、こうだ。

ひとつ目のステップでは、姉ちゃんを褒めまくることで姉ちゃんの自己評価を上げている。「自分は素敵な女なのだ」ということを自覚させているのである。

そうして姉ちゃんが気持ち良くなったところで、ふたつ目のステップとして、「あなたが素敵だから僕はあなたとお茶がしたい」とオファーをする。褒めのプロセスが上手くいっていれば、姉ちゃんは自分は特別な存在だと感じているから、

「特別な私とお茶したい気持ちはよく分かるわ。罪な女ね私ったら。」

的な心理状態になる。こうなったら後は姉ちゃんのその後のスケジュール次第である。「えー、どうしようかなー」なんてのが始まったら、もう一度褒めるか、どうしても一緒の時間が過ごしたいのだということを切に語ればいい。それでもダメなら、次の姉ちゃんを見つければいいだけだ。

これはまさに高額商品を販売するタイプのビジネスプロセスだ。1000円や2000円ではなく、ウン十万円という価格の商品を販売するには、購入者に自己重要感を抱かせることがポイントとなる。高級ブランドのショップが入りにくい構造になっているのも、そんなお店に入っていける自分に気持ち良くなるための仕掛けなんである。

今回のケースでは、兄ちゃんの目的が姉ちゃんのお持ち帰りであることは火を見るより明らかだ。そんなことは、姉ちゃんも承知の上である。その上でこの兄ちゃんは、姉ちゃんを心理的に気持ち良くさせてゆくことで、「私が素敵なんなら、しょうがないよね」という許可を出したくなるように仕向けているのである。

こう書くとまるで兄ちゃんが悪者のように感じられるかもしれないが、そんなことはない。そのプロセスで姉ちゃんは大きな自己重要感を感じて気持ち良くなれる。これは、普段生活している日常の中では、中々体験できないことだ。

それにもう少し突っ込むなら、そのプロセスには常に「断る」という選択肢がある。姉ちゃんとしては、ちょうどウインドウショッピングをしているような感覚で、断ろうか、もう少し自己重要感を楽しもうかという選択に揺れ、この揺れを楽しむ。取引としては、実に公正である。

もし気を付けた方が良いことがあるとすれば、それは兄ちゃんの言葉を鵜呑みにしないことだ。兄ちゃんとしては、んもうやりたくてしょうがない訳だから、それはそれは頭を回して気付いたこと全てを褒める。

これに対し褒められ慣れていない女性は、実に簡単にやられてしまう。ひどい時には「この人がいなければ私の自己重要感は満たされない」などと思い込み、そのまま泥沼へと落ちてゆくことになる。これはこれで楽しいのだろうけど、そうなることが嫌ならば、気をつけなければならない。

この辺りまで考えたところで信号が変わり、僕は買い物袋を揺らして横断歩道を渡った。道路の向こうではまだ兄ちゃんと姉ちゃんがやりとりを楽しんでいる。僕がああいうことを楽しめる男であったなら、この人生はもっと酒池に満ちて肉の林にドンがチャンするお祭りのようなものになっていただろうか。

どうでもいいことを思っていると、仕事帰りの彼女様が自転車に乗ってやってきた。恐ろしく不機嫌な顔をしている(平常運転である)。

彼女様「あっちでチャラ男が汚いギャル口説いとったわ。」

僕「ああ、見たよ。高額商品販売の見本みたいだったよ。」

彼女様「ウザいわ。死んだらええのに。」

僕「随分と辛辣じゃないか。」

彼女様「なんでウチを口説かんねん。」

僕「犬連れてるからじゃないですかね。」

半蔵「わんっ」

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犬連れの女を口説くのは、さすがに面倒臭いと思う。