自分と同じ変態を見つけて問答をしにいこう

ゆうさく
ゆうさく
大阪から来た妻の家族と東京で名古屋風味の手羽先を食べる和歌山県民の私とは私のことだ。

問答を通して自分の「意識の死角」を覗く

最近すっかりハマっているアレクサンダーテクニーク。ハマりすぎてボディチャンスっていうアレクサンダーテクニークの講師養成のスクールに通っております。そこで講師をしている安納献さんという方のレッスンでは、よく問答が始まるのです。

問答。辞書で引くと「質問と応答」「討論的な応答」とある。「禅問答」という言葉もあってとっつきにくいイメージがあるかもしれないけれど、僕は『興味のある事柄について誰かに質問したりしてもらったり、答えたり答えてもらったりしながら考えを深めていくこと』と理解している。

問答をすることのよさは、前回の記事でも書いた「意識の死角」を覗くことができるということ。自分が誰かと問答をする当事者になるのもいいし、他の誰かと誰かが問答をしているところを見るのも大変よろしい。

一人でなんとかしようとすると実力が発揮できない
誰でも持ってる意識の死角 この夏からアレクサンダーテクニークの学校に通い始めている。アレクサンダーテクニークは、僕の認識を一言...

問題は、本当に自分が興味のあることについて問答できる人とは、普通に過ごしているとなかなか出会えないということです。どうやって出会えばいいのか。ズバリ、楽しそうなコミュニティに突撃することです。

自分が楽しそうだと感じるコミュニティに入ると自分と同じような変態がいる

またアレクサンダーテクニークの話しなのだけど。僕は演奏のパフォーマンスを上げる体の使い方や、デスクワークで体が疲れない方法には全然興味がない。

興味があるのは「人が体を動かすというのはどういうことなのか」というようなことだ。これについての理解をただただ深めたいという何の得にもならない情熱が、今日も僕の心を頭蓋骨と脊椎の関係に向けさせる。

そういうことを求めてレッスンに来る人は少ない。だって「アレクサンダーテクニークを教えられる人を育てます」という場なのだから。けれどじっくり周りの人々の言葉に耳を傾けていると、先生になる知識ではなく、自分を満足させてくれる真実と出会いたがっている人がいることに気付く。

そういう人を見つけて「人が体を動かすというのはどういうことなのか」について質問をしてみると、それはそれは嬉しそうに考えを語ってくれる。

「こういう場合は?」

「こんな視点だとどう?」

「それはつまりこういう意味?」

と、とにかく質問をしまくる。本当に深く考えている人が相手だと、5分も問答すれば自分の中に今までになかった理解のシナプスが生まれていることが分かる。そこを繋いで生まれた言葉を質問に混ぜて

「話しを聞いていて、こんな考えが浮かんだんだけど、どう思う?」

と投げてみると、相手もまた新たなシナプスの言葉をもって新たな理解の言葉を投げてくれる。このやり取りだけでかなりハッピーである。さらに「人が体を動かすというのはどういうことなのか」に関する理解も深まる。最高です…ッ(歓喜)。

自分が楽しそうだと思うコミュニティに入ると、自分と同じようなことが好きな変態がいる。必ず出会えるとは限らないけれど、何もしないでいるよりはずっと出会える可能性が高い。

何か楽しそうなことを見つけたら、そのことで遊んでいるコミュニティに飛び込んでみよう。あなたと同じ変態に会いにいこう。イチャイチャ問答して理解を深めよう。それはきっと、すごく楽しいことだ。