突然巨大な袋を肩から下げた彼女様が事務所にやってきた。今からバラされてどこかに運ばれるのかという不安が脳裏をよぎる。そういえば先日、僕の生命保険の料金を計算したと言っていたはずだ。
走馬灯を目で追いかけていると、遠慮も容赦もなく上がり込んできた彼女様が床に大きな袋を放り投げてこう言った。
彼女様「敷き布団持ってきた」
それは一般的に恋人の家に行く女子が持っていくものではない。先取りしたバレンタインのプレゼントかとも思ったが、記念日のプレゼントが敷き布団になるほど、僕の彼女様は破天荒ではなかったはずだ。去年の誕生日プレゼントはホワイトボードだったけれど。
彼女様「感謝は」
僕「あ、ありがとうございます。でも」
彼女様「は?」
僕「ひっ、や、あの、敷き布団は、もうあるんだけどな〜って」
彼女様「ちゃうわ。ほら、敷き布団の上に敷いてほわっとする・・・敷き布団」
僕「敷き毛布な。語彙のキャパシティに危機感持とうな。敷き毛布もあるけどな。」
そういう訳で、突如我が家に敷き毛布(2枚目)がやってきた。彼女様の主張によると、僕の事務所は少々寒すぎるので、少しでも暖かいアイテムを揃えておくべきだ、ということであった。ひとしきりの演説を終えた彼女様は敷き毛布の入った大きな袋から、敷き毛布ではない小さな布を取り出した。
にゃーん
僕「・・・」
彼女様「アイルーマントや!」
僕「・・・」
彼女様「感謝は」
僕「あっ、はい、あ、ありがとうございます。」
彼女様「うむ」
僕「・・・なにこれ」
彼女様「アイルーマントや!」
僕「偏差値30か。」
そういうと彼女様は僕にアイルーマントの着用を強要してきた。どう見ても奴隷に馬鹿服を着せて喜ぶ悪徳地主であるが、本人は聖人か天使にでもなったような顔をしている。迂闊に歯向かっては、ムチの一発も入れられかねない。僕はやむなくアイルーマントを着用した。
彼女様は「ムチムチしてる」などと言ってゲラゲラ笑いながら(やはり悪徳地主だ)、敷き毛布を抱えてロフトへの階段を上がっていった。
彼女様「あれっ、この敷き毛布、うちが持ってきたやつと一緒や!」
僕「えっ」
彼女様「んーーー、元々あるやつの方がホワホワやな。」
僕「えっ」
彼女様「めんどいから持ってきたやつ上に敷いとくぞ。」
僕「えっ」
トントン拍子にコトが進む。餅つきに合いの手を入れているような気分だ。僕の戸惑いや困惑は、彼女様の行動を止める理由にはならないのである。
僕「どうして敷き毛布くれるの?」
彼女様「これの5倍くらいええやつ買ってもらったから」
僕「ああ・・・」
彼女様「まぁほら、二重に敷いてたらちょっとホワホワ感増してええんちゃうか。」
僕「まぁ、それもそうか」
彼女様「敷き毛布ってどうやって捨てたらええんか分からんしな。」
僕「本音漏れてますよ」
あっという間に敷き毛布(2枚目)がセッティングされた。肌触りは悪くなったがな!と言う後ろ姿に釈然としないまま何度目かの礼を言うと、彼女様は満足そうに鼻息を荒げつつ階段を降りてきた。
彼女様「じゃ、帰るから。」
僕「テロ過ぎやしませんか。お茶でも入れるけど。」
彼女様「この後男友達と朝までダーツ行くから。」
僕「自由だなぁおい。」
彼女様「どれ・・・恋人に恵まれてない以外は幸せです。」
僕「今奴隷って言いかけたよね。どっちにしても辛辣だけどね。」
「文句は自分も朝までダーツできるような女友達を作ってから言うのだな」そういうと彼女様は実に機嫌良さげに帰っていった。よほどダーツが楽しみらしい。テロの襲撃にあったような気持ちで僕は、埃と犬の毛が舞う事務所に戻った。
しばらく作業をしていると、今日が仕事で使う資料の購入代金を振り込まなければならない日であったことを思い出した。時間もあまりなかった僕はいそいそと事務所を出ると、5分ほど歩いたところにある駅前のコンビニで支払いを済ませた。ついでに野菜ジュースと肉まんを買う。上着も着ずに出てきたのだと言うと、店員のお姉さんはマスクの奥で満面の笑みを浮かべてくれた。
つい先ほどmで悪徳地主の笑い顔にさらされていた僕は、マスク越しにでも伝わってくるお姉さんの笑顔に心を洗われたような気持ちでレジを離れた。
ガラスの自動ドアの向こうに、日暮れた放出の街が広がっていた。ふと自分が千葉に暮らしていたことが夢だったのではないかと思う。過去は、まして未来も、今この瞬間には一欠片も存在しない。あるのは野菜ジュースと肉まん、そして資料の代金を払った領収書だけである。
僕「生きるしかないんだなあ」
軽い溜め息を吐きながら自動ドアに近付いていくと、ふと自分の頭に見慣れないシルエットが確認された。自動ドアに近付いてみるとそこには薄汚れてラインのぼやけた黒いネコが居て、実に商業的な笑顔でもって、こちらを見つめていた。唖然とするイケメンの向こうに、腹を抱えた天使が小さく映り込んだ。
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