終始怒鳴り続けていたその男は、全力を上げて自分に都合の良い世界を求めていた。
似たような話しを繰り返すな、そんな話しはどうでもいい、馬鹿にしてるのか。
男の周りの人は皆辟易として、もう疲れた顔もせずに、ただ粛々と嵐が通り過ぎるのを待っているように見えた。
「引き寄せの法則」というものを聞いたことがあるだろうか。
ナポレオン・ヒル的に言うと「思考は具現化する」という法則である。
よくスピリチュアルな表現で語られることが多いので嫌う人が多いのだけど、僕は希望を持って信じている。
怒り、怒鳴り、騒ぎ散らしていたあの男は、一体何を引き寄せていたのか。
それは、「劣等感を刺激する出来事」である。
自信が無い時、人は大きな声を出し、言葉数が増える。
それは目の前の出来事や人物と相対する勇気がなく、大騒ぎをすることでその不安や自信の無さを誤魔化そうとするからだ。
ただそんなことをされても、それが仕事であったなら、伝えなければならないことは伝えなければならないから、周りの人間はウンザリした顔で言葉を投げる。
そうすると劣等感レーダーが異常に過敏な者は、「ウンザリした顔」だけは敏感に感じ取って、さらに騒ぐ。
劣等感を誤魔化すための騒ぎが、より自分の劣等感を刺激するような出来事を生み出す。
それを感じ取ってさらに大騒ぎをすると、本当に大切なことを聞き逃し、さらにさらに劣等感に響くような出来事に繋がっていく。
こうやって、人の話しが聞けず、中身の無い主張しかできず、人に構ってもらえない、寂しい人生が出来上がる。
実は、僕はこの件で大変なダメージを受けた。
周りの人は上手く流せていたのに、僕だけが実に大きく心をかき乱されたのだ。
それまで仕事で関わる全ての人に「愛してるよ!」という掛け声を心の中で叫んでいた僕は、愛だの何だの言っていても、愛を与えるに値しない者もいるのだと、そう言って拗ねたくなった。
生きていると、こういったことが度々起こる。
僕はこれを「神様の試験」だと思っている。
「お前は、愛で生きるのね。あ、結構本気なのね。それじゃあ、こういう人もいるんだけど、どうする?」
こんな塩梅で、ポンと試験が降りてくる。
突然に、唐突にやってくる。
人によっては、これを見て「俺は努力しても報われねえんだよ」と言って腐ってしまう。
実際僕も腐っていたことがある。
そして、腐ると、遅かれ早かれ「やり直し」を食らう。
それは「退職」だったり、「病気」だったり、「何かの破綻」だったり、まあ色々な形で、
「ん〜、やっぱりもうちょっとここやり直そうか」
という感じで、やってくる。
だから何かが起こったら、この問題は、試験なのだと思う。
自分が新しいステージに行くための、乗り越えるべき課題なのだと考える。
試験だから、そこには必ず「問い」がある。
試験をクリアする第1ステップは、その「問い」が何であるかを見抜くことだ。
僕は、胃袋を締め上げる感情を上手く処理できないまま、暫く悶々として歩き回っていた。
そのうちに一人ではどうにもできないことを悟り、恐る恐る彼女様に話しを聞いてもらった(このツケがどれほど高くつくかを想像すると胃が痛くなる)。
するとどうだ。
まるで風穴でも空いたように毒気はするすると解れていって、終いには随分と有難い気付きに辿り着いていた。
実は僕は数日前、あるインタビュー動画の編集中に、「僕どうしてこんなに無駄なこと沢山喋ってるんだろう」という疑問にぶつかっていた。
そう、先ほどの「劣等感」の話しが、自分の中に繋がったんである。
あの不憫な男は、僕の写し鏡であったのだ。
その場に居合わせた多くの人のうち僕一人が大きく心を乱されていたのは、その男が僕のために登場した、「試験」そのものだったからである。
それまでぼんやりとしていた「問題」の輪郭が、とても鮮明になってきた。
同時に、そんな僕にライトを当てようとしてくれていた仲間達への感謝が、後から後から湧いて止まらなくなった。
具体的に何ができるのかは、まだ分からない。
ただ僕の劣等感の原因が何であれ、次に自分が言葉で壁を作ろうとした時に、「いいんだよ」と自分に言ってやれる、それだけで大きな成長である。
努力は報われる。
ただし、「報われているのだ」という確信を持つ必要がある。
「報われている理由」は、自分で勝手に決めてしまえばいい。
努力は報われない。
ただし、「報われないのだ」という確信を持つ必要がある。
「報われない理由」は、やはり自分が勝手に決めているものだ。
神様の試験は、今日も誰かの身に降りてきている。
もしかしたら、君の身に降りてきているかもしれない。
大変だと思う。
それまでの自分を否定されるような気持ちになるかもしれない。
もう何もかも嫌になって、投げ出したくなるかもしれない。
だけど、負けない。
「まいった」をしない。
人の力も借りて、自分の心と向き合って、まずは解くべき「問題」を見定める。
見つけたら一点集中して、その「問題」と向き合う。
今回の件で、僕は「愛の人」になる決意と確信をさらに深めた。
試験に合格した後には、驚くほど清々しい朝がやってくる。
あの男のことは、ひっくり返ったって好きにはなれない。
もう二度と会いたくもない。
しかし、あの男が居なければ、僕は今日の決意と確信を抱くには到底至らなかったに違いない。
人生とは、僕たちが思っている以上に、バラ色なんである。
不安になる必要はひとつも無い。
不安があるとすれば、今回彼女様に話しを聞いてもらったツケが、今後どれほどに利息を重ねて膨れ上がるのかということぐらいだ。
ある日僕が突然痩せ衰え朝も夜もなく働き始めたら、取り立てが始まったのだと思ってもらって間違いない。