わが愛しのAm P.10:襲うまねっこ戦士(2018/07/29)

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練習100回 本番1回

まねっこ戦士という出し物をしたのは、保育所生活ももう終わろうかという時期だったと思う。思う、っていうか、その辺りは時間感覚がほとんどないから、まあ、テキトーなことを言っているのだけど。5人くらいの幼児たちが音楽に合わせてナントカ戦隊的な感じで走り回ったりする的な、アレだったような。

たしかこれは実家に写真が残っていて、厚紙や段ボールを貼り合わせた何かを体にぺたぺた貼り付けている僕が映っているのだけど、僕の記憶に残っているまねっこ戦士のコスチュームは赤い全身ぴったりスーツだから、いよいよ少年の認識や記憶というのは当てにならない。それくらい彼らはイマジネーションの世界に生きている生き物なのだ、ということなのだけど。

で、幼児というのはえげつない生き物なので、保育所で出し物の練習を始めたりしたら、そんなもん家で家族に披露したくってしょうがなくなるんである。そうすることが世界に対する正義なのだと信じていたくらいだ。テレビを見ながら寝転がっている父に向かって真剣にまねっこ戦士を放っている風景をピンポイントで覚えているけれど、毎日仕事が終わって家に帰ったらまねっこ戦士に襲われる生活は、たまらんかったろうなあ。

そういえば、今体ジムで体を動かしたり、音楽を演奏している時も、イメージありきでそれを現実に落とし込んでいる。僕はよく「ダウンロードしている」と言うのだけど、よくよく考えてみれば、この感覚は当時から変わっていない。なんだ、変わっていないのか。なんだか、笑える。

あーちなみに、本番のことはぜんッぜん覚えていない。記憶に残る条件って、何なんだろうか。
 
 
超獣戦隊ライブマンの画像

僕の記憶になるまねっこ戦士のコスチュームは、真ん中の赤い人のイメージ。
想像力が記憶を改ざんしている。


 
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