「何か」と「反応」の間に、
スペースがあることを思い出せると、
いいと思います。
僕らは「何か」を見ると、
無意識にそれを「評価」しています。
あなたなら、ピンとくるでしょう。
たとえばこの記事を読みながら。
「こいつはまともなことを言っている」
と思うでしょうか。
それとも、
「こいつは胡散臭くて信用できない」
と思うでしょうか。
これが「評価」です。
「何か」と「反応」の間のスペースは
“無意識の「評価」”で埋まっています。
およそ0.2秒ほどでしょうか。
「職場の優しそうな人(何か)」に
「話しかけやすい(反応)」のは、
「この人なら自分を批判したりせず、
話しを聞いてくれそうだ」
という“無意識の「評価」”が
「何か」と「反応」の間にあるからです。
「評価」にはだいたいにおいて
その方向性の起点となる
「価値観」があるものです。
たとえば、
柔和で優しそうな男性が
僕たちの目の前に現れたとしましょう。
僕の中に
「男の価値は決断力と行動力で決まるものだ」
という価値観があると、僕はその人を
「軟弱者でコントロールしやすそうだから
ちょっと圧力をかけても大丈夫そう」
と“無意識に「評価」”して、
少し暴力的なコミュニケーションを
とるかもしれません。
あなたの中に
「その人がどんな人であれ、
今日までの人生を乗り越えて今があるのだから、
そのことを尊重したい」
という価値観があれば、
その人の優しさの奥に
どんな広大な人生があったのかを想像し、
ほどよい距離感とリスペクトを持って
接することができるかもしれません。
今の気分や感情、物理的な現状は、
「何か」に対して自分が
どんな「反応」をしてきたのか、
その結果が積み上がったものです。
不快な気分でいることが
多いと感じるとき。
望んでいることと現状が
乖離していると感じるとき。
そんなときは
「何か」を見て「反応」する
そのわずかな間に潜む僕たちの
“無意識の「評価」”が
自分の望む理想に
マッチしていないのです。
“無意識の「評価」”は、
多くの場合は親の真似をしながら
成長してくる中で、
それこそ無意識に反復しながら
身につけたものです。
あまりに熟練しているため、
オートマチックに作動しているだけです。
0.2秒の早打ちができるほどですから、
その熟練度たるや、尋常ではありません。
しかし大人には、
あなたには、
もちろん僕にも
これを書き換えるチャンスがあります。
そう
あなたと僕が本気で
心の仕組みについて語り合っている
今この瞬間のことです。
“無意識の「評価」”の
方向性の元になっている
「価値観」を書き換えるのです。
その第一歩として
自分何が大切だと考えているのか、、、
どうあることが
当たり前だと思ってるのか、、、
つまり、
自分の人生の前提を知る必要があります。
まずは小さなところから
始めていきましょう。
何か少しイヤなことがあったとき
イヤだと「反応」する前には必ず
“無意識の「評価」”がいます。
その“無意識の「評価」”の根拠となっている、
「人生の前提(価値観)」は、
どんなものでしょう。
その「人生の前提(価値観)」は、
これからの人生に
絶対必要不可欠でしょうか?
できるだけ清々しい、
自分の心が元気な日に
こういうことを考えておくと、
実際にイヤな気分になっているときとは、
また違った答えが出てくるので
楽しいですよ。