わが愛しのAm P.87:いちばんミュージシャンだったころ(2018/11/21)

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前回までのあらすじ

何をしようとしても、最後には「集客できてしまっては困る」というブロックが働いて動けなくなってしまったのだ

テレビに出たり、ラジオに出たり

最後の集客ができないというブロックはあったものの、勢いはあった。先生になるために学んだ、人に何かを教える時のエンタメ的なエッセンスは、ライブに出演する時にも役に立った。しかもそこで並以上の演奏をしてみせるものだから、この頃の僕はある意味、もっとも純粋にミュージシャンだったと思う。

実際に、ラジオやテレビへの出演オファーがあったのも、この頃だった。千葉県の柏の葉に新しいショッピングモールができたり、自分のラジオ番組を持っている仲間から楽曲を紹介してもいいかと声をかけてもらったり。仲間とケーブルテレビの番組を持ったりもした。

事務所にはいりました

そろそろ現状にも限界を感じ始めたころに、少しアプローチを変えてみようと思い。ようやく事務所に入った。とはいえ、いわゆる旧来のプロダクションではなくて、アーティストと事務所が折半で楽曲を作り上げ、それをスモールスタートでプロデュースしていくという、下手をしたら事務所がアーティスト志望者から小遣いを巻き上げているようなシステムのところだった。

まあええわいということで、50万くらい自分の楽曲制作に当てたのだったか。結局こちらでトスした楽曲に適当なオケが当てられてやってきたのだけど、ずっと生楽器の演奏環境にいた僕にはやっつけ打ち込みで作られたオケのクオリティがどうしても許せなかった。

そんなわけで、事務所であれこれやっていたのは実質半年くらい。当初1年の契約だったところをさっさと見限り、社会勉強代としてお金だけ支払いながら、自分の作品の責任は最後まで自分で持とうと思い、フリーランスになるための準備を始めたのだった。まあそれは今まで通り「集客したくない」というメンタルブロックがつきまとう、茨の道だったりもしたのだけど。

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てくてくTVというケーブルテレビの番組で放送していた「ゆがぜん.fix」という番組。この日初めて会った非常に騒がしい朗読集団が出てきますが、うち1人は今の仕事のボスです。


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