わが愛しのAm P.88:凱旋と暗雲(2018/11/22)

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前回までのあらすじ

フリーランスミュージシャンとして生きることを決めたのだ

僕がライブをせんでもいいんではないか

日中に警備員の仕事をしながら、ミュージシャンとproject a.c.c.r.の両立させることは、かなり大変だった。タスクを管理するという概念もなかったから、イベント当日になって大慌てで準備をして不完全燃焼で終わる、ということもザラであった。

気合いでなんとかできると思っていたけれど、これはどうやらなんとかならんぞ、ということで、活動を絞ることにした。とはいえ、音楽のマーケティングを教える人が現場で結果を出していないというのはあり得ない。その一方で、アクセス数が伸びつつあるブログの更新を止めることは、とても勿体ないと思った。

いとしの裏方仕事へ

そこで、音楽表現的な活動は仲間にまかせて、僕は仲間のサポートとして立ち回ってみてはどうかと考えた。そうすれば演奏の練習やライブの準備にかけていた時間を、自分のプロデュース能力を高めることに使える。そしてそれは、将来自分自身の表現活動にも活かせることのはずだった。

裏方仕事は、それはそれは楽しかった。イベントの広報や、惚れたミュージシャンやイベントの企画・プロデュース、定期的な広告媒体の発行やPV制作など、思いつくことは全てやった。

新聞とか
僕が昔作っていたアーティストの月刊新聞の画像

PVとか

ヴォーカルトレーニングのアレとか

妨害者は自分

これが天職だ。この活動で仲間とタッグを組んで、結果を出して、仕事を取って、将来は自分の音楽活動にフィードバックさせよう。僕は燃えに燃えて、色んなイベントの広告を研究したり、PCやスマホの動画編集スキルを磨いたりした。

そんな活動に没頭しようとしている時期、不思議なのだけど、イベントへの出演依頼がたくさん来はじめた。お断りすればいいのだけど、声をかけてもらえると僕の中の承認欲求が天高く屹立してしまう。ライブに向けた準備は最低限にしたものの、それでも結局、僕は自分がやろうとしたことを、自分でやめてしまうことを決めることになった。

とはいえ、手応え

僕は自分の活動に自信を持ちつつあった。自信を感じながら生きるなんて、それを自覚できるなんて、生まれて初めてのことだった。現代では「根拠のある自信」として注意喚起されていることだけど、当時の僕は、ようやく自分の人生が始まった、くらいのことを思っていた。

僕の活動は、ロケや取材を除けば、ほぼほぼオンラインで済むことだった。そのことに気づいたら、生まれたばかりの自信が耳元でこう囁いた。「関西に帰ってもいいんじゃないか」。

僕は警備員の仕事を辞めて、関西に帰る準備を始めた。詰まっていないビジネスプランと、あるようで無い事業計画が、バッグの中で輝いて見えた。


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