歪んだフィルターで今日も

ゆうさく
ゆうさく
妻がどんなものでも最後の一口を残す人だから、ひとつだけ残ってるパンとかおかずの類いを食べていいのかどうかいっつも迷うねん…

「レミニセンスバンプ」という言葉をご存知だろうか。心理学の言葉で、人が過去に経験したことを想起する際に、10〜30歳の間の出来事をよく思い出す現象のことだ。

この言葉を知った時、なるほど確かにと膝を打ったのだが、考えてみれば僕はまだ30代前半なので、思い出すことはたいてい10〜30歳の間の出来事である。レミニセンスもバンプもあったものではない。それ、普通に僕の人生全部っすわ。

言葉の意図と思考の歪み

言葉は万能ではない。その証拠に、妻に「愛しているよ」と言うと「今度は何を隠している」と見抜かれる。愛を語り合い先月のクレジットカードの請求額をごまかそうとしてもうまくいかないのだ。実に口惜しい。

自分が言葉を受け取る側になった時には、さらに注意が必要だ。自分が言葉を使う側である時は、自分がその言葉を使う際に込めた「意図」を解説することができるが、他人が使った言葉には「意図」の解説がないからだ。

加えて、僕たちの中には他人の言葉を本来の意図とは捻じ曲げて受け取る「考えの歪み」ともいえるフィルターがある。

仮にある日満面の笑みの妻が「愛してるよ」と言ってきたなら、僕の生命保険の加入と完全犯罪の用意が完了したものと考えられる。この考えがどれほど正しいと信じていても、「愛しているよ」がその言葉のまま受け取れない時点で、歪んだフィルターを通過していると言えるのである。

フィルターは歪んでいるもの

自分のフィルターは歪んでいる。そう自覚しておくことが、どれほど自分と自分の周りを救ってくれるか計り知れない。

そうそう、自分のフィルターが歪んでいることを嘆く人もいるかもしれないが、その必要はない。そもそもフィルターとは歪んでいるものだ。そして「フィルター」というから脱着可能なものをイメージしてしまうが、実のところ僕たちの持っているフィルターは外すことができないのだ。

フィルターは外すのではなく「好きなフィルターに切り替える」あるいは「今のフィルターを少しずつ好きな歪み方に変えていく」という風に捉えるのが、健全であるように思う。

ちなみに我が家では妻が「大河(チワワ/オス/14歳/かわいい)のシャンプーして」と言ったら、それは「シャンプーをして、服まで着せて、抜け毛を全て掃除機とコロコロテープでさらい、最終的に風呂場をピカピカに磨いておけ」という意味である。

僕のフィルターは歪んでいる。誰か助けてください。