やりたいことを実現したければ、承認欲求を美しく満たせ

ゆうさく
ゆうさく
もうすぐむすっこがミルクを卒業するんだけど、もう哺乳瓶を一生懸命吸ってるむすっことお別れなのかと思うと、嬉しくてさみしくてんんんんんってなるねん。

この数週間、数十人の素敵な人たちに連絡を取って、その人の「やりたいこと」について話しを聞かせてもらうということを続けてきた。

みなさんには「力を貸してください」という視点でメッセージを書いた。のだけど、正直な話しをすると、心のどこかに「俺が力になってやるぜ」という気持ちが少しだけあったように思う。そういうことじゃないと、分かっていたはずなのに。

実際に何人もの方と話しをして今実感している。僕は沢山のことを貰った。もちろん、相手の方の力になれた瞬間も、ゼロではないと思う。だけどそれ以上に、そこでプレゼントできたと感じている何かの総量よりも遥かに大きなエネルギーや学びや気付きを受け取っている。

力を貸してほしいと言ったは良いが、どうすればこの沢山の恩をお返しできるのか。幸福の最果てで途方に暮れている。どっちに進んでも、転んでも、天国だ。全て仲間たちのおかげである。

そんな中で、最近僕の考えがまさに180度変わったパラダイムシフトについて話したい。それがタイトルにもある、「承認欲求は積極的に満たした方がいい」ということだ。

欲求は満たし続けるもの

アブラハム・ハロルド・マズローは、人間の自己実現に関する研究を進めたアメリカの心理学者だ。彼の成果の中で最も有名なのが、人間の欲求には5つの段階があるというもので、一般には「マズローの欲求5段階説」と呼ばれている。具体的にはこうだ。

①自己実現欲求
②承認欲求
③社会的欲求
④安全欲求
⑤生理的欲求

⑤から①に向かって、欲求の次元が上がっているのが分かる。そしてマズローは、このように主張した。「人には今求めている欲求が満たされると、次の段階の欲求を満たそうとし始める」と。

この視点で考えると、僕が提供するサービスの中でやりたいことは、クライアントの自己実現のサポートだということになる。そのサービスを提供しますよ、と明言しているので、僕のところには「やりたいことが上手くできない人」がやってくる。

やりたいことが上手くできない人の中には、「承認欲求が満たされていないので自己実現のアクションに移行できていない」という人が少なくない。というか、承認欲求を満たさずして自己実現欲求に向かうことは出来ないんである。

だから胸を張って断言しよう。承認欲求はガンガン満たすべきだ。

でもぶっちゃけ「承認欲求」ってイメージ悪くねぇ?

悪いと思う。僕も悪いイメージを持っていた。なぜだろう。察するに、理由は2つある気がする。

ひとつ目は、承認を強要されたことがあるから。もうひとつは、承認欲求を満たそうとすることはダサいという風潮を感じているからだ。

承認の強要は分かりやすい。例えば飲み会で聞かされる上司の自慢話しや愚痴や説教。

上司は会社という組織に属し、役割を担うことで社会的欲求は満たされている。だから承認欲求を満たすフェーズに進んでいるのだけど、その手段がイケてない、というパターンだ。

承認を強要されると、かなりウザい。相当ウザい。やってられない。相手のことが嫌いになる。承認を強要することは悪だと感じるようになる。そこから手段が抜けて、「承認欲求を満たそうとすることは悪いことだ」という信念が育まれる。

そうやって承認強盗の被害に合った人たちがTwitterやブログでそのことを書くと、多くの人々が共感する。暗黙のうちに被害者の会が結成され、承認の強要がどれほどの害悪であるかを語り始める。

気が付くと、なんだか色んな人が「あれはダサい」「イケてない」と言い始めている。確かにそうだよなぁと、理解できる正論のような気がする。そしていつの間にか自分の中に「承認欲求を満たそうとすることは社会的な害悪である」という信念が育まれる。深く考えないままに、手段の問題でなく、欲求の問題なのだと考える。これがふたつ目のパターンだ。

断言しよう(今日は断言が多い)。承認欲求を満たそうとするのは、人として生きるステージが上がっている証拠である。自然なことである。いやさ、良いことである。

だって、生理的、安全、社会的、みっつの欲求が満たされているから、承認のステージにやってきたのだ。おめでとう。素晴らしい。いいね。超いいね。あなたの中にある承認欲求は、あなたの成長の証だ。盛大にお祝いしよう。

承認欲求を満たすイカした方法

あります。超カンタンに、かつ美しく、人間関係を壊さないどころか、よりイイ感じに仕立てながらあなたの承認欲求を満たすイカした方法が。

それは、あなたが周りの人を承認しまくる、である。

例えば奥さんが今日買い物に行ったスーパーで、安くなっている食材を買うか買わまいかで悩んだのだと話しかけてきたら、こう言おう。

そうなんだ!ありがとう!いつも家族のために買い物に行ってくれて!節約を頑張ってくれて!しかも、安い食材を買うか買わないかで悩んでるのが、ちょっと楽しそうだし。引き受けた仕事を楽しみながらやってくれるなんて、君は最高じゃないか!

例えば同僚が新しいプロジェクトで面白いアイデアを出したら、こう言おう。

すげえなお前!あの視点はみんななかったと思うわ!ヤバいわお前、本当にすごいわ!

例えば友だちが恋の相談をしてきたら、こう言おう。

大事な話しのはずなのに、僕に声かけてくれて嬉しかったよ。信頼されてるのかなって思えたし、友だちが今よりももっと幸せになろうとしてるんだなって分かったし、自分のことを考えるいい機会になったよ。嬉しかった。ありがとうな。

以上である。こういうことを実際にコミュニケーションをする人々に対してやり続けていると、そのうち誰からともなくこういうことを言われるようになる。「いいね!」と。

よく聞き、よく理解してくれ、認めてくれると、嬉しくなる。僕たちの中には嬉しい気持ちをプレゼントしてくれた人のことを好きになる、正の走行性がある。恥ずかしげもなく嬉しい気持ちをプレゼントしてくれた人には、何かを返したくなる。

これは人間という生き物の原理原則だ。あなたが周りの人を承認しまくると、あなたに承認が集まりまくる。水を熱すればお湯になる、ということと、同じレベルの話しである。

今まで使ったことのない日本語が山ほどあったと思う。考えただけで恥ずかしく感じるかもしれない。気持ちはわかる。でもいいからやってみてほしい。かなり劇的に世界が変わる。

コツ①:承認は撒き散らすもの

先に人の承認欲求を満たしまくることで自分の承認欲求を満たす。なんて最高のアプローチだろう。いくつかコツがあるのでシェアしておく。

まず、周りの人を承認しまくることが重要である。承認は撒き散らしてナンボだ。1人ではなく3人、3人よりも5人、できたら100人でも1000人でも承認しまくればいい。金も時間もかからない。

なぜ撒き散らした方がいいのか。回収率が上がるからだ。承認の回収率は100%ではない。僕たちも、人の承認の言葉が素直に受け取れないコンディションのことがあるだろう。性格だって違う。

だから撒き散らすのだ。簡単だ。「今日出会う人全員を承認すると」決めてしまえばいい。悩んでいる人がいれば「それは大変だね」と言い、燃えている人がいれば「最高じゃん!」を火をくべる。簡単である。

まあ、嫌いな人は無理して承認する必要ないけどね。でも、ちょっと承認すると人が変わって関係性が生まれ変わる人も結構いるから、嫌いな人の承認は、気持ちに余裕のある時にぜひトライしてもらいたい。

コツ②:承認し続けることだけに集中すればいい

「あいつ、この前承認してやったのに、全然返してこねぇ」なんて言うのはダサい。承認を撒き散らす時、承認返しを待ってはいけない。ならどうするか。次に誰をどう承認しようか、そのことだけを考えていればいい。

承認から承認返しが起こるまでの間には時間差があることが多い。承認返しを待っていると、相手に訳の分からないプレッシャーを与えることになる。結果として、飲み会説教上司のように、相手に承認を強要することになる。これではいくない。

僕たちはただ、承認を撒き散らす人生を歩んでいればいい。出会う人、交わる人、関わる人を、バッタバッタと承認する。全くいいところがないように見える人(達人と呼ぶ)が現れても、承認しようと試みる。できなかったらしょうがない。未熟なりに挑戦を繰り返す自分を「いいね!」と承認し、次の人を承認することを考える。

そんなことを毎日していれば、あなたの周りには承認返しをしに来た人であふれているはずだ。承認の袋叩きに合うだろう。ボコボコにされよう。最高に気持ちがいい。

コツ③:評価、アドバイス、説教、批判、一切禁止

要注意である。承認は評価でもないし、アドバイスでもない。説教もしないし、批判などもってのほかである。

極端な話し、「いいね!」さえ言っていればいい。何がいいのか。そんなことは考えなくていい。脳よりも先に口を動かそう。「いいね!」。そしたら頭が勝手に、何がいいのかを考えてくれるようになる。

きっと何か評価したくなる。でもしない。相手はあなたに評価してもらいたいなど、1ミリも考えていない。代わりに、身を乗り出し、「もっと詳しく聞かせてくれ」というスタンスを取り、大げさなリアクションを取る。相手は喜び、盛り上がる。それだけでいい。

聞かれてもいないことに対して投げるアドバイスを、業界ではクソバイスと呼ぶ。クソバイスは大いに嫌われる。クソバイスを食らうと、不快と不満を感じるからだ。たとえそれが良心や親心から出てくるものであっても、聞かれていないことに対して投擲するアドバイスは全てクソバイスであると心得よ。

ちなみに、仕事などの関係でどうしても相手にアドバイスをしなければならない時は、必ず一度相手のやってきたことを承認してからにしよう。認めてくれた人のことを好きになるのが人間だ。好きな人の言うことに対してなら、僕たちは素直になれる。

説教と批判については解説の余地はあるまい。承認とは対極の概念である。今すぐやめて、代わりに承認を撒き散らそう。

承認欲求を満たしまくって自己実現のフェーズへ行こう

冒頭の話しにもどろう。整理、安全、社会的な欲求が満たされた僕たちだから、その社会の中で承認されたいという欲求を抱く。これは人としてごくごく自然なことだった。

僕は承認してもらいたい。あなたも承認してもらいたい。素晴らしい。だって承認欲求を美しく満たすためには、周りの人々を承認しまくればいいからだ。そうするとどうなるか。あなたの周りの人々がみんなでドサっと自己実現のフェーズに移行する

あなたが周囲の人々の欲求をひとつ底上げする。イカすじゃん。超カッコいいじゃん。そういうことに気付いたから、僕はこれからも人の承認欲求を満たすことを続ける。むしろ加速させていく。一緒にやりませんか。