ひとりしりとり「卒業式」

「嘘」→「卒業式」

僕は自分でもどうかと思うくらいに自分の過去のことに興味がない。それは関わってくれていた方に興味が無いという意味ではなくて(もちろん興味を持てない人も居たけれど)、単純に思い出せないし、思い出したからどうだ、という気持ちが強いというところに由来する。

そんな中でも特別に印象に薄いイベントが、卒業式である。

この季節になるとテレビのニュースなどで全国の学校の卒業式の様子が報道されるが、自分の卒業式がどうであったかということは、んもう笑っちゃうくらいに思い出せない。それはもちろん小中高専と全てそうなんである。こんなもんなんだろうか?

僕が自分の卒業式に特別性を感じていない理由は細かく分けると色々あるのだけど、多きなまとまりとしては、「不安であった」ということが上げられると思う。

当時はもちろん自分が不安がっていることを認識できていない。卒業式は中途半端な非日常で、小さなお祭りのように思っていたから、そのアワアワとした空気に飲まれてどうにも繊細では居られなかったんである。まぁ、だからといって当時の僕が自分の中のそういった感情に気付けるほども感性豊かであったかどうかは疑わしいのだけど。

ともあれ、僕は不安だったんである。

自己中心的であったから、人から嫌われているのではないかという不安を常に抱いていた。自分を押し付けることしか知らなかったから、誰かに「嫌いじゃないよ」と言われても信じられない。逆に、「好きじゃない」という発信は、ことごとく受け止めて飲み込んでいた。それはどちらかというと、自分が嫌われ者である証明を探し続ける作業であったのだ。自分が嫌われ者である、という事実にも、自信が無かったんである。

とまぁこのような感じで、今でこそ多少の分析ができるのだけど、先述の通り当時の僕はそういった感情に近過ぎたから、その全容を掴み取れる術など持ち得なかったのである。

だから、不安であったのだ。

その場にいる全員から嫌われたまま去る自分が惨めで、これから出会う人にも嫌われるであろう自分が嫌で、僕にとって卒業式というイベントは、例外なくそういった不安の実在をじんわりと感じるだけの、遠い祭り囃子であったのだ。

ところが不思議なもので、そういった過去のネガティブな経験が今の僕の原動力になっている。

これは特に音楽を始めてからの話なのだけど、例えば、漫然とライブ活動を続けるだけではデビューできないことを理解していながら、理解していることに気付かずにデビューできない自分を否定し続けているミュージシャンが、世の中には大勢居る。僕がそうだったから、よく分かる。

僕らは自分の悲しみが不幸の代弁たり得るのではないかという所に僅かな希望と置いて、けれどもその悲しみは自分だけのものであるという実感もあって。ひとつひとつの活動にもう一歩の踏ん張りを入れられないまま、やはり自己否定のスパイラルから抜け出せないでいる。優秀なアーティストは不幸の中から生まれるのだという薄い言葉にすがりながら、だから自分は不幸でなければならないと不幸な自分の正当化を計る。

これが、中々どうして辛いんである。

それは先述の、自分が嫌われていることを前提とした僕の感情と同じで、自分が不幸であることが前提の音楽活動というのは、ミュージシャン自身を救わない。様々な要因が自分が不幸である前提で受け止められる。自分でも笑ってしまうのだけど、当時は自分のCDが売れると申し訳なくて不安な気持ちになったものだ。

それは、自分が音楽で値段相応の価値を生み出しているという自信がなかったからである。お金というものは時間と労力を売って得るストレスの対価だと思い込んでいたから、それを受け取ること事態にストレスがあったんである。

「だから、そんな世界はもう嫌なのだ。」

有り難いことに色々な出会いや言葉があって、今僕は大変に元気である。今までの人生の中で今が一番楽しい。そしてそれは28歳にならなければ楽しくなれないというものではない。年配でも不幸を信じている人がいる。十代でも幸せを信じている人がいる。年齢ほど、僕たちの判断を惑わせるハリボテ的概念は無いのだ。

その場にある幸せを見つけろ、などと言われても、理解できないんである。それはお互いの前提条件が異なるからだ。自分は不幸だという前提条件で見るものが、幸せになり得る訳がない。

だから僕は、自分の前提条件を変えよう、というメッセージを投げ続けることを決めた。そしてそれが今、自分の大きな力になっている。今ネガティブな前提条件の中でもがいている人が一人でも多くパワフルになって世の中に出て行けば、絶対に世の中は良い方向に変わってゆく。

それを信じて、音楽とビジネスに向き合う昨今である。

気が付いたら卒業式から随分と話が飛んでしまった。そういうこともあるよね。うへへ。

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僕の実感にある卒業証書。あと、ついでに1988年の頃の家族写真。