いつも同じところで手が止まる。毎回似たような壁にぶち当たって、そこから先に進めなくなる。こういうこと、ありませんか。僕はあります。
たとえば、このブログもそうです。毎日更新するぞ、とちょいちょい決意してみるのですが、続きません。続かない理由はいくらでも挙げられるのですが、とにかく、続かないという事実は毎回同じなのです。
そういうしつこい問題をクリアするために役立つのが、今日紹介する「視点を変える」テクニックです。
いやいや、「視点を変える」なんて、よく聞く話しじゃん、と思うでしょ?僕もそう思います。だけど、ちょっと振り返ってみてください。視点の変え方って、誰か教えてくれました?
僕は誰からも教えてもらえませんでした。いえ、もしかしたら教わってたのかもしれないけれど、少なくとも受け取れてはいなかった。だからいつも同じところで止まって、同じ課題にぶつかって、そこが自分の限界だと思っていました。
なので今回は、具体的な「視点を変えるテクニック」をシェアします。もしかしたら記事を読みながらトライしてみるだけで、今ぶつかっている課題や悩みの見え方が変わるかもしれません。
「自分は○○である」という定義を変えてみる
僕が10年以上前にミュージシャンを目指していた頃は、まだ世の中にはインフルエンサーという言葉がありませんでした。せいぜいブロガーという概念があっただけで、ミュージシャンは音楽の制作や演奏だけしているのが正当である、という空気があったものです。
僕は当時鳴かず飛ばずで、ミュージシャンとしてはぜーんぜん芽が出ませんでした。事務所には入りたくないと思っていたので、個人として活動していくしかなかったのですが、そのやり方も分かりません。考えても分からないから、とりあえず運指練習でもしよう。そんな毎日でした。
で、ある時鬱をやりまして、2週間ほど寝込んだんです。それが落ち着いて社会復帰した時に、心の底からこう思いました。もう前と同じ生き方をしちゃいけない、と。
そこで僕は、自分がミュージシャンである、という定義を見直しました。ミュージシャンが、いい音楽を作って演奏する、ということ以外に手を出すのは邪道である。僕の中には、そんな定義があったのです。
ある時期から僕は自分のことを「商人です」と言い始めました。たぶん、言わなくてもいい人や場所でも言ってた。それくらい周りの人たちに公言して、自分の考えを変えようとしました。
新しい定義の自分なら何をするだろうかと考えてみると、結果的に視点が変わる
商人の本分は、物を売ることです。そしてこの当時僕が持っていた売り物は、音楽でした。商人の僕は、音楽を売ればいい。やるべきことは明確になりました。
しかし、ひとつ課題も生まれました。僕の父は地方公務員、母は看護師です。商売からは程遠い家で育ったものですから、お金を稼ぐというのは、イコール職場に行って、そこにある仕事を全うする、という考えしかありません。つまり、僕は商人なのに、商売のやり方を全然知らないことに気付いたのです。
そこで大急ぎで本屋に行って、商売のやり方に関する本を読み漁りました。そこで役立つと思って特に力を入れたのが、ブログとFacebook、そしてYouTubeです。
いろいろ勉強しながら進めていると、ある時YouTubeで広告収入が生まれました。ブログを読んでライブに来てくれる人が現れました。Facebookでつながった方が、CDを買ってくれるようになりました。
そしてさらに、自分で勉強した情報も売れる、ということに気付きました。僕は商人ですから、売れるものは何でも売るべきなのです。だから小さなセミナーを開いたり、個別にコンサルティングを受けたりするようになりました。
そうやって、自分の持っている物や、他の人の物を売れる、ということが分かって、ようやく僕はフリーのミュージシャンとして独立することができました。
自分はミュージシャンである、という定義を、自分は商人である、という風に変えたら、ミュージシャンになれた。なんだか不思議な話しですが、そんなことが本当に起こったのです。
僕たちは定義した自分越しに、物事と向き合っている
「視点を変える」という言葉をシンプルに読み解くなら、見ている対象を、別の角度から見直す、ということになります。そして見ているものを別の角度から見た、ということにするには、今自分が立っている場所を変えればいい。
つまり今回お伝えしている「視点を変える」テクニックでは、物事を見る目や脳の使い方を変えるのではなく、物事を見る時に自分が立っている場所を変えるため、足を使うテクニックなのです。
あといくつか、僕の身の回りの事例をご紹介します。
事例①「社長」という定義を変えた僕の上司
僕の現在の上司はよく、「私の中にあった『社長』のイメージであなたとの働き方を考えることは、もうやめたの」と言います。
社長として社員と向き合う時、「社長とは○○である/○○しなければならない/○○するのが常識である」という考えがあったのだけど、それを手放すよ、という宣言ですね。
上司の年代だと、こういう社会通念のようなものは、僕たちの世代よりも強固だったはずです。だから上司自身が何度も言葉にして、新しい自分の定義を繰り返し確認してくれています。ありがたい話しです。
事例②「研究職」から「エンターテイナー」に立ち位置を変えたクライアント
僕のコーチングのクライアントさんで、「旅情の研究」を通して何らかの権威が欲しい、という方がいました。具体的には、大学で講義をしたり、人に呼ばれて話しをしたりしたい、ということです。
しかし、話しを聞いていると、彼がやりたいことは、学術的に体系立てた論文を作る、ということではなく、旅の中で旅人が感じた体感覚や感動を、自分や他者の中に再現する、ということでした。
こういう抽象的な感覚を取り扱うのは、学問というよりも、アートやエンターテイメントの領域です。彼は自分を研究職ではなく、エンターテイナーと定義し直して、今自分の活動を組み立て直しています。
事例③家庭にいる自分を「庇護対象」から「運営者」に変えた僕
もうひとつ自分の話しで恐縮です。僕は家庭でどうにも息が苦しい、居心地が悪いと感じている時期がありました。どうにかして家庭を、ゆったりのんびり過ごせる場所にできないか、と思っていたのに、それが叶わなかったからです。
ある時、男性脳と女性脳の違いについて解説された本に書かれていた「女性にとって家庭は戦場なのだ」という旨の一文に、ハッとさせられました。僕は、自分は家庭でゆったりのんびりさせてもらう、言わば子どものような庇護の対象だと思っていたのです。
そこで、自分も及ばずながら家庭を運営する側に回ろうと、自分を定義し直しました。すると、家庭での日々は忙しくはなりましたが、妻と色々と話しをしながら共に戦う戦友のような関係が生まれました。そして妻と共同戦線を張ることができるようになって、結果的にゆったりのんびり過ごせる時間も生まれたのです。
新しい定義さえ作り出せば、今の自分の定義を知る必要はない
人の心理に携わっている人がよくするアドバイスとして、「自分のことを知りなさい」というものがあります。確かに自分のことが分かると、何かと便利だったり、悩みを解決する糸口が掴めたりします。
しかし一方で、自分を知ることってそもそもクッソ難しいという問題があります。ちょっと尋ねて分かるようなことなら、こんなに何年も悩んだりしませんて。
大抵の課題は、解決するために自分を知ろうとすると、遠回りになりすぎます。まあ、自分のことを知らないことには次に進めないケースもあるので、一概には言えませんが。
たとえば、さっきの事例の3つ目でお話しした、僕が家庭の運営者に回った話しについて。これ、最初から自分が自分のことを家庭内の庇護対象だと思ってたって、気付いていたわけじゃないんです。
本を何冊も読んで、家庭にいる女性がどんなことを思っているのかを学んだり、妻に「実際どうなの?」と話しを聞いて、「ならこうしてみよう」と取り組み続けているうちに、自分は家庭にいる時の自分を「庇護対象」だと思っていた、と気付いたのです。
自分を新しく定義して行動を起こすと、今までとの差分で、今までの自分が分かる。そういう現象が起こるのです。
だから、今の自分が自分をどのように定義しているのか、ということを知る必要はありません。新しい定義を作り、それに則って思考し、行動する。これだけをやっていれば大丈夫です。
ということで、今回はこの辺で。また次回。