仲間のブログに切れた件と、そこから学んだ『人類総独り言論』について。


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仲間のミュージシャン柴田ヒロキ氏のブログに、


「個人の業績は社会的には無いのと同じ」


というフレーズがあって、何言ってんのコイツと思った後、


「出会った人全てが先生」


といういうフレーズに深く頷くという、愛憎入り混じった事案が発生した。

僕は自分の価値観に合わないことがあると、どうしてもそれを自分の納得のいく形にならしてしまいたくなる。それで今までも大勢の人を攻撃してきたし、怒りをぶつけることだってあった。

しかし、どうして攻撃したくなるのかを落ち着いて考えてみると、それは自分を守るために他ならない。個人で仕事をして生きている僕が、「個人の業績は社会的には無いのと同じ」などと言われると、脳内で警報が鳴り響くのである。


「お前の人生を否定するような言葉があるぞ!守れ!」


という風に。僕は周りの人に、僕の価値観の枠に納まって生きていてほしいのだ。それこそ、僕自身の個人の仕事の中では、好きなことを思って好きなことをしていても良いよ、などと言っているクセに、そう言っている僕自身が、自分の枠というものを死に物狂いで守ろうとしているのだ。

本来であれば今すぐ柴田氏の眼前に馳せ参じ、僕の彼女様仕込みの罵詈雑言(足元にも及ばないだろうが)を放ちつつ、胸ぐら辺りをこうぐいっと引き寄せて、斜め下からスマッシュ的なアッパーを「おりゃあ」と打ち込む場面である。しかし、僕は大阪、氏は神奈川。パンチ一発のために関東平野を目指せるほど、今の僕は暇ではない。


そのお陰で、比較的早い段階で冷静になれた。僕は何度か氏のブログを読み返し、そした悟ったのだ。これは、独り言なのだと。

氏に限らず、全ての人が放つ全ての言葉は、独り言である。今後の生活や信頼関係に差し障る、コミュニケーションそのものが楽しい、そもそもそういう発想がなかった、など、様々な理由で我々は人の言葉に影響を受ける。しかし仮に総理大臣が


「消費税40%くらいにしちゃおうよ」


などと言ったとしても、他の人間全員がそれを無視すれば、それはただの独り言である。

氏のブログと総理大臣の戯言が独り言ならば、当然僕のブログもまた独り言である。それで良いのだ。氏が「個人の〜」という言葉をブログに引用したのは、その言葉が氏の背中を押したからだ。この言葉に背中を押されて、氏は自分の世界を広げる決断をしたのである。この記事はどこまで行っても、氏自身の話しなのだ。

その話しの中に僕の価値観をブッ込むのは、野暮というものだ。男が背中を押されて行動を起こしたのだ。それと共に、今まで抱えていた何かを捨てたのだ。その決断を笑って見守るのが、仲間ではないか。

そして僕は僕で、僕の独り言を言っていればいいのだ。個人の業績には社会的価値がある、なんてことを思う暇は無いが、少なくとも僕の仕事で喜んでくれている人が居て、今もなお増え続けているのだ。僕は僕の独り言で、楽しく自分の背中を押せばいい。


柴田氏の言うように、今回の件では氏が僕の先生として、このような気付きを与えてくれた。腹の底から煮えたぎるような怒りが沸き起こるのを感じるが、それも感じて感じて、終わりにしようと思う。

むしろ僕は日頃から、彼女様の岩をも溶かす灼熱の怒りに触れているのだ。それと比べると、僕のこれを怒りと呼ぶのは、雨上がりの水たまりの揺らぎを津波と呼ぶようなものである。

結論。人は、自分を楽しませ、勇気付け、愛に満ちた人生を謳歌するためなら、どんな言葉を使ってもいい。それでどのような反応をもらったとしても、それは相手の問題である。自分の問題ではない。


「ああ言えばこう言われるだろう」


そんなくだらないことに時間を掛けている暇があったら、どんどん言いたいことを言えばよろしい。その言葉が自分と、自分の周りの人のためになると思うのなら、それを信じればいい。僕達は自由なのだ。


>>>自由を生きる柴田ヒロキ氏のブログはこちら
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