LINEやFacebookメッセージのグループが大嫌いです。


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LINEやFacebookメッセージのグループが嫌いだ。
人の都合で自分のスマートフォンの画面に通知が出ると、実に面倒臭い。
通知を消すには、読まねばならない。
読んでみると、自分にはあまり関係の無い話しだったりする。

その操作、実に数秒。
たった数秒間で、僕は見事に不機嫌になる。
いやむしろ、通知を認識した時点で既にイライラしている。

どうしてこれほどまでに気が立つのか考えてみたら、答えは直ぐに見つかった。
これは、命を奪われることに対する怒りなのだ。

人が犯せる最も大きな罪は、人の命を奪うことだ。
それは何も、刃物を胸に突き立てて、心臓の鼓動を止めることを指すのではない。

例えば僕はミュージシャンであるが、僕の1時間半のライブにお客さまを20人呼んだとしたら、それぞれのお客さまから1時間半の命を頂いている、ということになる。
そこで僕がつまらないライブをしたなら、お客さまにとってそれは、時間とお金を奪われたという「被害」になる。
逆に僕が素敵なライブをしたなら、それはお客さまがお金で感動を買ったという「正当な商売」となる。

問題は、時間を使わせることが罪なのではなくて、使わせた時間以上の得をさせられるのか、ということだ。
損をさせれば、時間を奪ったことになる。
得をさせれば、価値を提供したことになる。
たったそれだけの、シンプルな話しなのだ。

そしてメッセージグループの通知が感動的な得を生み出してくれることは、ほぼ皆無である。
だから僕は、自分の時間が奪われることに実に過敏に反応し、怒りを感じるのである。
できることなら、メッセージグループには一切入りたくない。

しかしその反面、メッセージグループの有用性も深く実感し、認めている。
ビジネスであれプライベートであれ、必要な情報を必要な人たちに一斉に周知し、そのレスポンスを即時確認できるというシステムは、大変に素晴らしいものだ。
特に自分が主催である企画の周知をする時などは、メッセージグループというものに救われている点は数知れない。

その時は、自分が奪う者にならないように、少なくとも「楽しい」か「役に立つ」か「必要」な情報のみを掲載するように努力している。
そして、僕の言葉がつまらなければ、すぐにそのグループはフラストレーションの生産工場になるのだと、常に自分に言い聞かせている。

僕は忍耐の男である。
凶暴な彼女様に暴言の数々を浴びせ掛けられようが、ロクでもない友人達から訳のわからない誘いを受けようが、基本的にはされるがままである(抵抗という意思は既に削がれているのだ)。

しかし、断るべきだと判断した物事は、全て断るようにしている。
ここ最近、業務用ではなく、プライベートなメッセージグループへの参加のお誘いが続いたのだけど、申し訳ないが全てお断りさせて頂いた。

僕は僕の時間が尊いものだと思っている。
10分でも時間が余ったら、自分が納得するように使いたい。
3分あれば簡単な瞑想ができるし、7分もあれば本が数ページは読める。

決して相手のことが嫌いなのではない。
損得勘定がある訳でもない。

ただ、今この瞬間に何をすべきかと考えた時に、僕が辿り着きたい未来を想った時に、可能な限りこの人生をシンプルにしたいのだ。
まっすぐに道を進みたいのだ。

何より、これは断じて偽善ではあるのだけど、しかしやはり、人に僕の命を奪わせるような罪を背負わせることはしたくないんである。
そんなことをしたら、僕がその人のことを嫌いになってしまう。

だからそういう訳で本当に申し訳ないのだけど、僕はプライベートなフレンドグループには一切入るつもりがない。
どれほど仲のいいコミュニティであっても、その必要を感じない。

友人とは顔を突き合わせて会っている時に、最大限にその時間を楽しめればいい。
周知が必要なら一斉メールや、コピペしたテキストを個別に送付すればいい。

逆に今僕が在籍をしているグループは、僕が「居るべきだ」「居たい」と感じて継続させていただいているので、この記事を読んだからといって、何か今まで以上に遠慮する必要はない(そんな謙虚な人がいるかどうかは疑問ではある)。
読み漏らしがありレスポンスが遅く返事があってもスタンプひとつだったりするが、これからも大らかな気持ちでお付き合いをお願いします。

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