「ふざけんな」は新感覚

とかく人間バランスが大事でござんす。
僕なんかはそれはそれは穏健友好、とにかく優しいイケメンなのだが、つまり「おとなしい」という方面にバランスが傾向しているということでもあるのです。
よって至極個人的な話しで申し訳ないのだけど、たびたび自分のことを締め上げちゃったりして落ち込んだりであるとか、そういうことになるんである。

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よく鬱になっちゃうとか、落ち込んでしまうという人は、どうにもこういった優しくておとなしい人が多い。
これが攻撃的なヤツだと自分よりも弱いヤツを必死こいて見つけ出してはイジめはじめる訳だから、それと比べると随分とマシだなぁと思う。
だけども、うっかり舐められてしまうとそういう攻撃的なヤツに狙われてしまうから、そこはしっかりと「お前な、余計なことしたらな、どうなるかわかんねーんだかんな」的武装防衛を示さねばならない。
目の前に暴力を振るうつもりのヤツが現れたらこちらも戦う覚悟と準備をしないと、サンドバッグになってまた後ほどネチネチと自分を責めて、それがまたまた鬱屈としたヤツの弱いモンレーダーに索敵されて・・・といったスパイラルを繰り返すのだ。

冒頭から話しがそれてしまったが、つまり優しい人はちょっと強く、強い人はちょっと優しくなれると、それは実にバランスのとれたええ感じの人間が出来上がる訳なんである。
それで、ここがまたちょっと難しいところなんだけど、人によってそのバランスの取れる位置というのは全然違ったりする。

例えば僕は元々がイジメられっ子体質だから、ある程度の武装が必要である。
だけどそもそもがイジメられっ子なのだから、多少の強さを手にいれたところで人間的に大きな変化がある訳ではない。
むしろそこでガツッと変化しちゃうのは、ちょっとマズいでしょう。

要は、今よりちょっとマシになればよいのである。
優しいだけだった人が、優しくて強い人になる。
強いだけだった人が、強くて優しい人になる。
可愛いだけだった人が、可愛くて自立した人になる。
自立していた人が、可愛い面もしっかり出していく。

そうやって自分の今の立ち位置から、少しだけ未知の方向に踏み出すと、人は思わぬところでバランスをとって、いい感じになる。
そういうもんである。
そういうふうにできているんである。

話しを元に戻すと最近自分の中にひとつキーワードがあって、それは、「ふざけんな」なのです。

例えば今椎名誠さんの本をしこたま読んでいて、たぶん今のブログにも随所にその影響が現れてると思うのだけど、あのおっさんがまぁいい文章を書くんである。
語彙が多いのも当然なのだけど、僕らが普段知ってる使ってる言葉を使って「おのれ!」とハンケチを噛み締めちゃうような、その手があったか的表現が本当に多い。

で、ふつうだったらそういう格上の文章に打ちのめされるとスイマセンとショボくれちゃうのだけど、そこで白旗の代わりに「ふざけんな」という反旗を翻すと、それまで感じたことのなかった新しい質のエネルギーが湧いてくる。
「ナニクソ根性」とか「負けん気」とか言ったりするのだろうけど、僕はそういう戦いとか怒りみたいなものは随分と握りつぶしてきたから、本当に「戦うエネルギー」というのが、新鮮であったのです。

なんだかちょっとしたことを言うために大げさなことを書いちゃったけど、毎回そうだから、今更いいか。
今宵も僕ァ悔し涙のメロディーに復讐の言葉を乗せて、面白おかしいこだわりにぐいぐいと突入してゆく。
それはとてつもなく楽しくて幸せなことなのです。