人生に優秀でない時間を

赤ん坊の泣き声が頭の上から降ってくる。
似たような高さの木々間をぬって、何かを訴えている。
誰に、というよりは、この世界全てに、要求を突きつけているようだ。

大阪で自分の家が持てるまでここで頑張ろうと心に誓ったマンションを突然の転職で引き払って二度目の関東生活を始めてから、もう3ヶ月が経った。
当初自宅がなく、カプセルホテルを転々としていたことを最近のように思い出すし、2つ前にやっていたプロジェクトに頭を抱えていたことはつい昨日のことのように感じるが、全て3ヶ月前の出来事だ。
時間が圧縮しているというのは、こういうことを言うのだろう。

そんなこれまでの人生の中で最も濃密な時間の中で、はたと、本当にはたと気付いたことがある。
街には、行かなくってもいいんだ、ということだ。



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今の仕事では、クライアントとの打ち合わせ以外は基本的にパソコンの前に座っている。
出社しようが自宅にいようが、とにかくとにかくキーボードを叩いている。

そういう毎日を送っていると、無性に何か別の刺激が欲しくなってしまうことがある。
何か違うことをしたい。
何でもいいから今やっていること以外のことをしたい。
新鮮な刺激でもって我が身と心を別の次元に洗い流してしまいたい。

そんな衝動にかられて、町田や新宿に出張る。
駅まで歩いて電車に乗って、改札を抜けて街に出る。

するとどうだ、改札を抜けたその瞬間から、いえ、正直に申しますと電車に乗り込んだあたりから、なんだかそれはちょっと違うんではないかという気持ちがこう、吹きこぼれる直前の鍋のように、ズルズルと茶色く粘っこい感情が垂れてくるのだ。

そんな茶色いものを垂らした状態で出張ると、目に映るもの全て自分の気持ちにそぐわない。
衝動的に高額なデジタル機器を買いたくなったり、お姉ちゃんのいる店に入ってみたくなったりもするのだけど、そうすることで爽やかな気持ちになれるはずがないことは、一目せずとも瞭然である。

それでも僕を満たしてくれる何かがあるのではないかという淡い期待を持って街を歩くと、驚くほど身体も気持ちも疲れてしまう。
気が付くと出かける前よりも疲弊した僕が、このパソコンの前で「仕事してる方がマシだ」というような顔をして、またキーボードを叩いているのだ。

仕事には何の文句もない。
仕事に向かう、自分に文句がある。

そんな毎日であった。



ある時ふと、楽だった。
部屋を掃除して、妻と話しをして、チワワーズと散歩をした日だった。
それまでの感覚では「何かをした」とはとても言えないような、薄味の日常である。

その薄味の日常に、スイッチをオフにするボタンを見つけた気がした。

僕は「オン」と「オフ」のある人間だ。
「オン」でいるためには、「オン」でい続けるための努力がいる。
「オン」のボタンを押し続けなければならない。
それはとても、エネルギーのいることなのだ。

「オン」のボタンを手放すと、すぐに大切なことがこぼれる。
ミスもするし、忘れ物もするし、場の空気にそぐわないことを言う。
そういう人、あなたの周りにも(もしかしたらあなた自身かもしれない)、いるでしょう。
だから仕事人である以上、「オン」のボタンから手を離すことは、言わば御法度であったのでした。

そうして「オン」のボタンを押し続ける僕はどんどん疲れていって、機嫌が悪くなって街に出て行く。
だけど、本当にやらないといけなかったのは、ボタンから指を離すことだった。
「オフ」の状態を作ることだった。
御法度に触れることだったのでした。



もうひとつ白状しますと、まだ上手に「オフ」になれないことも多いのです。
何かをしようとするとそれは「オン」になるということなのだ。
「オフ」になることは、「オン」でいなければならないと信じてきた人にとって、とても難しいことなのです。
ちょっと時間ができたからといって「オフ」のまま皿洗いなんかしようもんなら、妻からありったけの罵詈雑言が飛んでくる。
「オン」のボタンは、本当にそこかしこにあるのです。

「オフ」になるには言葉の通り、何もしないことが必要だったのでした。
それが、部屋の掃除をして、妻と話しをして、チワワーズの散歩をすることだったのでした。
街に出て行く必要は、ぜーんぜんないのでした。



そういう訳で、僕は今自分のスイッチを切る練習をしている。

優秀じゃあない、
気遣いができない、
空気が読めない、

そういう「オフ」な僕でいる時間を増やすことで、結果として「オン」の時間の質も上がるのです。



・・・ということは、実感しないと分からないよな、本当。


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