わが愛しのAm P.4:忘れ物は弟(2018/07/23)

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街と駅と道路と川

僕が小学校に入学するまでを過ごした和歌山県の湯浅町は、かつて近隣住民だか誰かの大反対に遭い、街の中心にある駅と国道を隣接させることに失敗したらしい。
町内の交通インフラに難を抱えた状態で、しらす漁や醤油産業といったポテンシャルを抱えながら、劇的な発展をすることなく今日に至るのだ、、、と言っていたのは、母だったか、祖父だったか。
確かに今も車を走らせると、行かない訳にいかない駅は街の込み入った場所にあってアクセスしづらいし、走らない訳にいかない狭い道を学生達が広がって行進するので、そりゃあ走りづらいことこの上ない。
なるほど、アクセシビリティの構築に失敗したという話しの根拠とするには、充分すぎる実感である。

街の中心、僕が卒業した「耐えて久しい」と書く耐久高校を右手に見ながら駅と隣接し損ねた国道42号線を南下していくと、左斜め前方から下ってくる広川という川と交差する場所がある。
大きな川ではないのだけど、間もなく河口という位置柄、国道の下を潜った途端、川幅が一気に広くなる。
川はゆるやかに左カーブを描きながら海へと流れていくので、河口に向かって左側には、人が走り回れるような砂利と砂の川原ができる。
少年達が遊び場認定をするには、これほどうってつけの場所はあるまい。

法を敷く者、破る者

ところが、この広場に降りて遊ぶには大きな問題があった。
当時僕が住んでいたアパートは河口に向かって川の右側だったのだけど、母から「広川を渡ってはいけない」という法令が下っていたのだ。
アパートから10分も歩けば辿り着ける絶好の遊び場にアクセスするには、この川を渡らなければならない。
しかし、それは我が家ルールで禁止されている。
何より辛かったのは、「広川を渡ってはいけない」というルールが、当時の友だち間では僕の家にしか存在しない超ローカルなものであったことであった。
何度か川の対岸で走り回る友人達を眺めては、みじめな気持ちになったことをよく覚えている。

ゆうさく少年が法を犯すまで、それほど時間はかからなかった。
当時まだ自転車を持っていなかった僕は、少しお兄さんのヨウヘイくんや、同い年だけど自転車に乗れるケンサクくんの後を必死に追って、この川原で石を投げてみたり、積み上がっているゴミ山に火を付けてみたり、犬に追いかけられてみたりして、大いに遊び回ったものだ。
当然母に見つかって怒られることもあったけれど、そんなことをしても好奇心の塊のような少年の行動を制御することは不可能であったのだ。

純粋な少年が法を犯すことに罪の意識を感じなくなったころ、新しい問題が発生した。
ひとつ年下の弟である”ちゅわ”さんが、僕の後をくっついて回るようになったのだ。
毎回一緒ということではなかったけれど、徐々にその頻度は上がっていった。
当然、僕が川原に密航する時にも、彼は小さい体でせっせと僕たちの後を追いかけてきた。
僕はそれが、たまらなく鬱陶しかった。

仲の良い友だち同士は、お互いが持っているイメージの世界を合体させて、その中を飛び回るものだ。
友だちと合流した瞬間に、そこは現実ではなくファンタジーの世界になる。
ただの川原が母との約束を破ってでも行きたいほど魅力ある空間に感じられるのは、そのためである。

そこにまだ小さな弟が参加すると、彼の安全を確保しなければならないという管理責任が発生する。
僕はファンタジーの世界の住人ではいられなくなる。
なりたいキャラクターを演じていられなくなってしまう。
それが嫌だったのだ。

弟のライフステージの転換として、兄の交友関係は最も身近な外界とのアクセスポイントであろう。
アパートの部屋の中しか知らない彼にとって、兄たちが作り上げたファンタジー世界は、身もだえるほど参加したいコミュニティであったに違いない。
彼は家のおもちゃを持ってきたり、取っておいたお菓子を持ってきたりしながら、何とか僕たちの興味を引こうと健気な努力を重ねていた。
そんな弟にいかに見つからずに遊びに行けるかを、薄情な兄は毎日本気で考えていたものだった。

忘れてきました

ある時、例の川原で遊んでいた時だ。
僕は川原に落ちている石ころを一つずつ吟味しては、納得のいくものを対岸に向かって投げるというルーチンワークに身をやつしていた。
なんとか上手いことやって川の真ん中よりも向こうに石を届かせ、ヨウヘイくんの記録を抜きたかった。
そのためには、手にしっくりくる石ころがどうしても必要だったのだ。

どれくらいやっていたか分からないけれど、不意に僕たちはファンタジー世界からログアウトした。
ああ、もういいかな、と満足して階段を上がり、今日も母に見つからなかったことに安堵しながら、僕はアパートに帰った。
家に帰ると母がいたのだと思う。
ここでのやりとりは全く記憶に残っていないのだけど、母はきっとこう言ったのだろう。
 
 
母「ちゅわは?」

僕「あ」
 
 
川原にちゅわさんを忘れてきた。
あまりに自分の世界に没頭していたので、彼のことを見事に完璧に忘れ去ってしまっていたのだった。

割と大きな事件だけど、この件で母からきつく怒られた、という記憶はない。
第一回目の記事でもそんなことを書いたけれど、僕は「こうすると怒られる」という理屈と、その時に感じる感情を、全く別々に取り扱っているのだと思う。
今でもそうだしね。

とにかく母は川原に行き、ちゅわさんをサルベージして帰ってきた。
二人ともどんな顔してたんだったっけなあ。
まだ明るかったような気がするけど、まあ、いいか。
僕ァ悪い兄ちゃんだったのでしたという、そんなお話しでした。

右手奥が禁断の橋。左手の草むらが、ちゅわさんを忘れてきた川原

 


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