わが愛しのAm P.3:少年の命乞い(2018/07/22)

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父は長男である。
なので僕の家族は父の実家を引き継ぐ形で生活を形成していて、僕の実家はつまり父の実家なのだけど、一時期、具体的には僕が2~3歳の頃から小学校に入学するまでの間、父の実家を出て両親とアパート暮らしをしていたことがある。
先般の記事でお話ししたチョロQを囓って歯医者に行った話しも、その頃のものだ。
このライフブログは僕の物心の先端から初めているから、僕に物心が宿ったのはつまり、僕の両親が父の両親から距離を取っていた時期、ということになる。

色々あったとは聞いているが、それを語るのはフェアではないので割愛する。
とはいえ、ネットも無い時代、古めかしい価値観が息づいていた和歌山県の信号機もない田舎の村で、長男が家族を連れて実家を離れるというのは、やはりそれなりの理由があったのだ。
まあそんな訳で僕という個人・自我が持つ記憶は、当時住んでいた湯浅町(お醤油で有名なあの湯浅である)にある、水色のアパートの一室から始まるのだ。

真理の振りをした理屈

僕は玄関のドアを叩いている。
ドアノブはもう何回も回した。
回そうとした。
回そうとしたけれど、やっぱり回らない。
ガチャガチャ音がして、途中で止まってしまう。
仕方がないのでドアを叩くのだけど、母の名を呼びながら(正確には、「おかぁちゃん」と叫びながら)叩くのだけど、まあお察し、そういう状況における玄関のドアというのは、開かないことが存在理由と言っても過言ではない。

そのうち、とてつもない不安がやってくる。
このままでは自分がどこかへ失われてしまうような、世界の底が抜けたような、何もかもから見向きもされていないような、寂しくて哀れで惨めな気持ちが湧いてくる。
右手を見れば普段走り回っている小道があって、その向こうには友だちのケンサクくんの家があるのだけど、そんなものはもう遙か昔に滅んだ国のように感じられる。
あの段差を飛び越えたり、粗いアスファルトの目につま先を引っかけてヒーローのようなスピードで走り回ったり、そんなことはもう二度とできないのだという確信が膨れ上がる。

僕が何をしたのかなんて、覚えていない。
たぶんドアを叩いているその時も、絶望でパニックになっているばかりで、自分が何をしたのかなんて分かってはいなかった。
要は何か悪いことをしたから家の外に放り出されたということなのだけど、それは僕の理屈ではなくて、父か母の、あるいはその両方の理屈なのだった。

当然のように、ドアはいつか開いた。
開けるのは大体母だ。
僕は安堵と同時に、新たな不安を創り出す。
この人たちに嫌われてはいけない。
大好きなおかあちゃんに嫌われては、あんな怖いことになってしまう。
僕は自分が何をしたのか分からないまま、また余計なことをして両親に嫌われるのではないかという不安に怯えながら、それでもそうするしかなくて、ただただ泣きじゃくる。
母が

「おとうちゃんに○○してごめんなさいって言いな」

なんて言ったような気がする。
僕はテレビの前に寝転ぶ父の背中に向かって、「○○してごめんなさい」と言う。
それは「どうか見捨てないでください」という意味の、ついさっきまで孤独の恐怖で溺れていた子どもの、精一杯の命乞いである。
そしてその瞬間「人に嫌われると世界が終わる」という僕の理屈が、さながら宇宙の真理のような顔をして、僕の中をいっぱいに満たしたのだった。

僕が行こう

随分抽象的な話しになってしまったけど、ああ、そうだよなあと、今更ながらに思う。
今この場所以外にも世界はある、という言葉は美しい真実だけれど、3歳だか4歳だかの子どもにとっては、今この場所が全てで、真実である。

在りし日にわが胸中を支配した宇宙の真理は、未だにこの心臓に手を掛けている。
僕は、人から嫌われることがどうしても耐えられない。
嫌われないためなら何でもするし、僕を嫌うかもしれない人とは絶対に付き合いたくない。
「嫌われ」に関しては、エビデンスは必要ない。
それを恐れるには、恐怖して萎縮するには、嫌われる可能性があれば、それで十分である。

だから僕は人が目の前を通り過ぎていく野外でのライブが嫌いだし、こちらが先方の要望に添えない可能性がある取引という行為が嫌いだし、目の前のこと全てを嫌っている(ように見える)「怒っている人」が嫌いだ。

僕は人から嫌われてはいけない。
自分がどこかに失われてしまう。
世界の底が抜けてしまう。
誰にも相手にされなくなってしまう。
そんなことになったら死んでしまう。
僕の中では少年がまだ、あの薄い灰色の玄関ドアを叩き続けているのだ。
 
 
・・・のだから、そうか。
大人になった僕は、彼を迎えにいけばいいのか。
行って、声を掛ければいいのか。
抱きしめて、こう言えばいいのか。
もう大丈夫、僕が来た。

ついでにドアが開いたら、中にいる両親にも声を掛けておこうか。
大変なときに、迷惑を掛けたことを詫びよう。
それから、拗ねたまま、傷を負ったまま、育ててくれたことを感謝しよう。
そして今の僕よりもいくらか若い、少し家族の関係に問題を抱えている若い夫婦にも、胸を張ってこう言おうではないか。
もう大丈夫、僕が来た。
 
 
なんてところに思い至ってちょっといい気分にはなったけれど、それで今の僕が抱えている問題が解決すれば万々歳なのだけれど、締まりの悪いことに、それに関してはちょっとピンときていない。
相変わらず、人に嫌われることはこの世界で最も恐ろしいことのように思える。
でもきっと今の僕にも、未来の僕が語りかけてくれているのだ。
もう大丈夫だと、暑苦しく。
だからきっと、大丈夫なのだ。

オールマイト、いいよね。


 
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