高いところは好きですか。

”馬鹿と煙は高いところが好き”という言葉がある。
僕は高いところが好きでない。
よって僕は馬鹿ではなく、煙でもない。

Busto di Aristotele conservato a Palazzo Altaemps, Roma. Foto di Giovanni Dall'Orto

アリストテレスも裸足で逃げ出す三段活用論法により、僕が馬鹿でも、あるいは煙でもないというとこが唐突に証明された。僕は昔から高いところが苦手なのである。そのきっかけはまだ僕が小さかったころ、「ザ・ドラえもんズ」の映画の中で、ドラ・ザ・キッドが自身を高所恐怖症であると公言したところにある。

そもそも山の合間で生まれ育った僕であるから、崖的なところがあってもそこには木々が生い茂っており、見下ろすところというよりはむしろ登るところ、といった認識であった。子供心に背中をゾワゾワと何かが奔ることがあると認識はしていたが、特に気にも留めていなかった。それが、高所恐怖症というなにがしの存在を知ってしまったために、高いところは怖いもの、という風に認識を改めてしまったのである。

それを身をもって体感したのは小学校時代、社会見学で僕の地元にあるダムに行った時だ。ダムというのは建造物としては非常に特殊な形状をしており、内部外部を移動するための階段が非常に急な勾配で設置されている。その外部階段を登っている時にそのまま後ろ側に倒れていってしまうのではないかという想像をして、足がすくんでしまったのだ。そうして気付いてしまった怖さというのはそう簡単に拭いきれるものではなく、その後僕は”高いところが苦手”という意識をずっと引きずって生きてきた。

■スカイツリーにいってきました。

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タワー全高634m。
天望回廊:450m
天望デッキ:350m

東京スカイツリーは世界最高の高さを誇る電波塔であり、東京、日本のシンボルタワーでもある。個人的には当時の日本人の泥臭さや野心が滲み出ている東京タワーよりもデザインが好みだ。もう少々遊び心があってもよかったのではないかと思い、巨大なラスカルを巻いてみてはどうかという提言の準備がある。それが却下された場合、オスカルではどうかと提言する準備もある。実行の日取りだけが決らない。

そんなスカイツリーに行ってきたのであるから、元来高いところが苦手な僕としては、タワー内部の高速エレベーターに搭乗し海抜距離を一気に上げてゆく過程でカリカリに痩せ細り、最上階に到着しても魂的なものは止まらずに天の国を目指すのではないかという不安が拭いきれない。

ただ、ただ、である。僕は浅草で仕事をしていた間、ずっとこのスカイツリーが育ってゆく様を見つめていた。文字通りスカイツリーの産まれる数年感という一瞬を、雨の日も風の日も、相方のF嶋さんの機嫌が悪かった日もハイウォッシャーでウンティーヌを爆発させた日も、ただ静かに確実に育ってゆく大きな木を見つめ続けてきたのである。僕の中には竣工より以前から、『スカイツリーとのストーリー』が、その全高よりも高く深く刻まれていいたのだ。

僕「・・・登らねばなるまい。」

彼女「ええやんめんどくさい。」

尋常ならざる切れ味のカウンターで僕の想いは断たれようとしていた。しかし、自宅の衣装ケースの大部分が一緒に住んでいる訳でもない女の洋服で埋め尽くされようとも、楽しみにしていたプリンがいつの間にか彼女の皮下脂肪へと変貌を遂げていようとも、これだけは譲れないところが、僕にだってある。

あらん限りの勇気を振り絞って「どうしてもタワーに登らねばならない」「でなければ僕とタワーのストーリーは進まない」という話しをカントリーマァムとカフェオレを差し出しながら伝え、懇願した。そうして新たにチョコパイの贈呈を引き換えに、どうにかこの逢瀬が実現したのである。刹那、

「ほな、しゃーなしやで」

と言う彼女が天使に見えた気がしたが、天使は決して食べこぼしで床を散らかしつつカフェオレをズルズルと飲みながらカントリーマァムの大袋を握り潰したりはしないと、なんとか精神汚染の進行を停滞させた。スカイツリーからの景色を拝むまでもってくれと、祈るような気持ちであった。

■以外と平気でした。

ということで、僕は彼女と二人で東京スカイツリーに登ってきた。行ったのが平日ということもあって、一体どれほどの人数が並ぶのかと怖くなるほどに広い待機ロビーを一直線に歩いて抜け、それでも多少の列が出来ていた高速エレベーター前で、大阪弁のオバちゃん達(彼女を含む)と並んでその時を待った。

高速エレベーターは外部が見えるという訳ではなく、静かにかつ迅速に、僕と東京のオバちゃん達(彼女を含む)を地上350mの天望デッキへと運んだ。途中「めっちゃ耳キーンなるわ!」「うわなにこれめっちゃおもろい!」「飴ちゃんあるで飴ちゃん!」といった幻聴が聞こえるという現象があった。僕はもう、それほど長くはないのかもしれない。

天望デッキに着いた僕たちは即座に別売りのチケットを購入し、そのままさらに100m上の天望回廊を目指した。

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絶景であった。

写真は浅草方面を映したもので、浅草寺や元国際劇場である浅草ビューホテル、隅田川等が映り込んでいる。少し分かりづらいが、写真の左下隅にASAHI本社ビルのウンコが少しだけ映り込んでいる。得したね。そういうことにしておこうよ。

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天望回廊は曲線を描いたガラスで丸く覆われており、身を乗り出すと足下が見える。写真に移っているUFOの底面のようなものは、100m下の天望デッキの屋根である。そこから下はもうちょっとよく分からない。これくらいの高さになると、もう高いとか低いとかそういった感覚が麻痺するようで、僕の思い込み高所恐怖症は一切顔を出さなかった。ただ、回廊を走り回る小学生達に対する彼女の苛立ちが何か事件に繋がらなければいいと、それだけを考えていた。

回廊を進んでゆくと内壁側に少し窪んだところがあり、スカイツリーのシルエットと、ホウキに乗って空を飛ぶスカイツリーのマスコットキャラクターソラカラちゃんと記念写真が撮れる、というスペースになっていた。両サイドが鏡になっていて、大勢で並んで手を繋いで映るとまるで無限に人の輪が連なっているように見えるという作戦である。無限に増える彼女など災害以外の何者でもないが、せっかくここまで来たのだから、一緒に並んで写真を撮ってもらわないかと、彼女に声を掛けてみた。

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何か良くないことが起こっている。それだけは分かる。

うむを言わさぬ剣幕でもって記念撮影を拒否された僕は大勢の小学生や一般客が5.6人で手を繋いで楽しそうに写真を撮ってゆく中、ひとりだけこんな感じで身構えた。天井から放射されるライトが頭上をかすめる度に心がすり減ってゆく。穴があったら入りたい気持ちであったが、残念ながら建物の構造上、僕が座っている場所が穴の最深部に位置する。万事休すとは、こういう状況のことを言う。

■上がるボルテージ。下がるボルテージ。

僕たちはスカイツリーを降りていった。下りのエレベーターで同じようにスカイツリーに来ていたカップルと一緒になったのだが、腕を組み肩を組み、放っておいたら何を始めてしまうか分かったものではないイチャイチャぶりであった。片や当方、

「写真があんなにピンボケしていたのは「早く撮れ」と騒いだお前が悪い」

と怒り心頭炎の魔獣と化した彼女と、

「無理ですって。小学生とか超見てたじゃないですか。隣のお姉さんに写メられてたじゃないですか。絶対ツイートされてるよアレ。」

と言い訳を重ね怯え凍える仔犬のようになった僕である。恋人同士の在り方に定義など無い。恋は全て夢である。ただ、それが悪夢であるケースも存在する。それだけの話しである。

こうして僕は凄まじい勢いで下がってゆく我々の海抜位置に対し、燃え上がってゆく隣りのカップルと僕の彼女の怒りに身を焼かれつつ、小さな命を精一杯握りしめた。

なお、この後彼女は自らの怒りを沈めるようにスカイツリータウンを闊歩し、スナック菓子と牛タン定食をカッ食らい、決して易くはない簪とスカイツリー土産を買い込んだ。鬼気迫るとは、あのことだ。

ということで、僕の初めての東京スカイツリーは上述の事件事故に巻き込まれつつもなんとか成され、ピンボケした写真と将来への不安を残し、終了を迎えた。次回また登る機会に恵まれたなら、晴天の日中、関東一円を見渡してみたい。その時は彼女の怒りをマメに沈めるため、トランク一杯にカントリーマァムとチョコパイと牛タンを詰め込んで、挑もうと思う。

コメント

  1. […] スカイツリーの回がもう電車の中で読んじゃって我慢できなくて・・・」 […]