【自分とイチャイチャする】ナルシストという素晴らしい生き物

妻が里帰り出産のために大阪の実家に帰っている。家にいるのは僕とチワワ達だけなのだけど、当初思っていたよりも全然寂しくなくて驚いている。彼らのケアをしているだけで随分と気がまぎれるものだ。

大変なのはやはり、暮らしのリズムの変化である。例えば、妻は帰る前に大量の冷凍食品を作って仕込んでくれたから食事の準備は相当楽なのだけど、楽か手間かの問題とは別に、単純に食事の準備をするというタスクが僕の暮らしに発生することになる。毎日分単位でスケジュールを立てていると、明らかにそれが他のタスクを圧迫するのが分かるのだ。

毎日3回の食事をそれぞれ10分かけて準備したら、それだけで24時間のうち30分が消費される。それで今までと同じように処理しようとすると、睡眠時間を30分削らないと生活が成立しなくなるのだ。何だかんだで、僕らはお互いを助けながら暮らしていたのだと実感する。

その状況で睡眠時間を削らずに過ごすためにどうするか。何を拾って、何を捨てるのか。そんなことを考えながら日々過ごしている。モノゴトに優先順位をつけるのは難しいものだ。取り急ぎ仕事の時間を圧縮するように勤め、それでも難しいようなら自分の筋トレの時間などをカットしている。スマブラの時間?それは毎日最低60分は必要です。

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自分とイチャイチャする


「自分とイチャイチャする」とは、いい気分を自産自消すること

「自分とイチャイチャしながら生きる」というのは、自分という人間を信頼し、愛おしく思い、優しく抱き寄せて耳元で「素敵だよ」と囁き、はにかむ姿を見てさらに愛情を深めながら生きるということだ。気持ち悪い?じゃあ、自分がやることなすこと全部にOKを出してお祝いすること、だとどうですかね。まだピンとこない?ううむどうしたものか。

おそらくここでピンとこない方は、自分を大切にしない生き方が人間として正しく常識的な生き方だと信じているのではないだろうか。もしくはそんなことは全く考えていなくて、自己犠牲や忍耐、妥協と共に生きることが基本プログラムとして組み込まれているのかもしれない。

いや、何が言いたいかというと、自分大好きナルシストになっちゃおうよ、ということなのだ。

例えば、鏡の前で長いこと髪の毛をセットしたり、色んなアングルで自分の顔面を楽しんでいる人を街で見かけるとイイね!と思う。まさしく自分とイチャイチャしている。自分がいい気分になれる時間を、自分との関係性だけで成立させている。いい気分の自産自消。「自分とイチャイチャする」のひとつの姿である。

ナルシストを見るとムカつく

ところが鏡の前で自分の顔を長い間うっとり眺めていると、大抵の場合「お前ナルかよwww」などと言って馬鹿にされる。自分が言われなくても、誰かが言われているところを目撃することはある。もしかしたら、あなたがそういうことを言ったりする人かもしれない。何を隠そう、僕も言う側であったのだ。

僕が生まれ育った和歌山県は、なぜか大阪の人(主に妻)には認めてもらえないけれど、一応関西圏である。つまり、面白さが人間関係のヒエラルキーに及ぼす影響が非常に大きい地域(と、僕は感じていた)なのだ。だから学生時代、僕は人から笑いを取ることに躍起になった。そして最も手っ取り早く笑いを取る方法は、人をコケにすることだった。

僕は鏡の前で前髪をいじっている奴を見つけては、教室のちょっとした会話の中でコケにして笑いをとったものだ。なぜ笑いが取れるのか。それは、ナルシストを見つけると、心のどこかがムカっとするからだ。ムカつく奴がコケにされている。その痛快感が人を笑わせる。程度の低い笑いは、たいていこういう構造で出来ているように思う。

ムカつくのは、ヤキモチを妬いているから

ところで、どうしてナルシストを見るとムカつくのだろう。当時の僕の中にあった気持ちはこうだ。

①:僕は自分のことをまんざらでもないと思っている(この時点で既にナルシスト)

②:しかしそれを行動に移すと人に笑われる(自分が人を笑う機会を狙っているから、他のやつも同じだと思ってる)

③:だから人がいるようなところでは、鏡の前で顔を見たり前髪をいじったりするのはやめよう(ここで我慢発動)

④:お、あそこで大した顔面でもないのに鏡の前でウットリしてるやつがいるぞ。よおしいっちょ笑い者にしたれ(八つ当たり。そして②の信念がより強固になる)

僕が「人に笑われる」という思い込み(②ですね)を持っていなかったら。つまり、鏡の前に立つ度に存分に前髪をいじり襟を正しあらゆる角度から自分の顔面を堪能して「Gooood!!!!」とサムズアップしているような人間であったなら。きっと僕は、同じように鏡の前で自分とイチャイチャしているやつを見かけたら、「イイよね。ふふ」と共感してほっこりしていたに違いない。

全ては、僕が自分の思い(①ですね)を無視したことが原因である。我慢して、拗ねちゃったのだ。拗ねちゃったから、我慢してないやつが許せないのだ。

ナルシストは素晴らしい

そんなわけで「自分とイチャイチャしながら生きる」ためには、自分がナルシストになることが一番手っ取り早いと考えている。少なくとも僕と同じメカニズムでナルシストを笑っている人は全員漏れなく例外なくナルシストなのだから、ナルシスト的行動を取ることで問題はクリアされる。

え、人に笑われそうでそんなこわいことできない?大丈夫。あなたと同じナルシストの僕が断言するけれど、他人はあなたのことをほぼ全く気にしていない。目に入ったところで、数秒後には面白いTwitterのネタ投稿で頭がいっぱいになって忘れる。

あなたを見つめているのはあなただけだ。それがナルシストという生き物なのだ。たった一人しかあなたを見ていないのだから、もっとたっぷりしっかりどっぷり見つめてあげればいいじゃあないか。そして同じように鏡の前で角度を探している人を見つけたら、それは僕たちの同族なのだから、「いいよね!」と思うようにすればいいのだ。

このように、「自分とイチャイチャしながら生きる」ことができるようになると「世界とイチャイチャしながら生きる」ことができるようになる。素敵なもので世界が埋まる。我々ナルシストは、その点において他の人類よりも高いアドバンテージを持っているのだ。気が向いたらやってみてほしい。同じナルシストとして応援している。

それでも笑われたらどうするって?ふうむ、不安症はナルシストとセットのようなものだから、その気持ちはよく分かる。だが、少し冷静になって考えてみてほしい。人の幸福を指差して笑うような拗ねてこじれた隠れナルシストごときの薄笑いが、真のナルシスト道を歩むあなたの誇り高い人生に太刀打ちできる訳がないではないか。捨てて良し。切って良し。忘れて良し、である。後はまぁ気分次第で「君もいつか真のナルシストとして目覚められたらいいね」とでも祈ってやれば、もう何も怖いものはないのだ。


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