追い越さぬ誓いの戦士

ゆうさく
スタンディングデスクで仕事してたら、リビングからやってきた息子(2歳)が僕の股間をにぎにぎした後にけたたましく笑いながら帰っていくようになった。

運転が苦手だ。田舎道はいい。細い道や入り組んだ道も問題ない。問題があるのは交通量の多い道だ。他のドライバーとの駆け引きや抜き差しの起こる道路を運転するのは、大変にしんどい。

僕は現在月に一度、大阪の自宅から和歌山の実家に息子を連れて帰っている。また、3ヶ月に1回程度のペースで妻の母方の田舎である高知県に遠出する。

そういった際、高速道路の走行は避けられない。返す返すも、田舎なら高速道路でも問題ないのだ。問題は大阪だ。車と車が喧嘩でもしているかのように、お互いの前後の隙間を奪い合うあの感じは、想像するだけで身が縮む。

それに、カーナビにも載ってない道とかザラにあるんだもの。前に高知から義父の車の後を追いかけて走っている時、車線変更を失敗して見知らぬ環状線に乗り込んだ時は、何かそういう罰を受けてるのかなっていう気分になりました。

そんなわけで今回の和歌山 to 大阪の移動の際、僕はあるひとつの誓いを立てた。それが『追い越さずの誓い』である。

決して前を走る車を追い越してはならない

誓いの内容はシンプルだ。シンプルであることは重要だ。例外が生まれやすいルールでは、走行中にパニックを起こす可能性があるからだ。


僕「いいか、とーちゃんは今回絶対に前の車を追い越さんからな。そこで見といてな」

息子「ぱー」


助手席のチャイルドシートに埋もれた愛する息子にも誓いを立てる。彼も神妙な顔をして、アンパンマンのぬいぐるみを振り回す。親子の挑戦が始まったのだった。

シルバーマークプリウス

実家の最寄りのインターから高速に乗り込む。ここはまだ単車線。先行車両を追い抜くという概念の存在しない世界なれば、道々殺伐とした空気は感じられない。それに、そもそも追い抜けないのだから、誓いの履行は容易極まりない。

しばらく走って、片側二車線のエリアに入る。いよいよ実戦開始だ。僕は厳かにハンドルを切り、道路左側の走行車線に愛車タントを寄せた。息子も緊張したのか、アンパンマンのぬいぐるみを落として泣きじゃくっている。すごいうるさい。

そんな我々の前に第一の刺客が現れた。誰が何のために刺客などを送り込んでいるのかは考えてはいけない。とにかく刺客がきたのだ。後部ガラスの直下にシルバーマークをキメた、プリウスだった。

シルバーマーク・プリウスは、とにかく最高速度が低い。頑なに80kmをキープしている。最高速度が制限速度である。

普段の僕ならアクセル一閃、速やかに車線変更をしてそれなりの速度で追い抜いているところだが、今回は『追い越さずの誓い』と共にある。アクセルをぎゅっと握りしめ、シルバーマークを見つめ続ける。

そのうち、世界の見え方が違うことに気が付いた。決して前の車を追い越さないということは、道路的な事情がない限り車線変更をしないということだ。それはつまり、後方から迫る車の速度をサイドミラーで確認しつつ、自分が車線変更をするタイミングをはかったり、追い抜いた後にそのまま走行車線に戻るのか、追い越し車線を走り続けるのかといった判断を一切しないということだ。

僕は一気に頭の力が抜けるのを感じた。ただ前を走る車を追い越さないというだけで、高速道路の景色が一変した。緑萌える木々の陰影や、青看板にへばりついた汚れなどがよく見える。僕は正規の大発見をしたような気持ちになった。

※画像はイメージです

バラバラ軽トラック

ゆるやかなカーブを曲がって、プリウスが去っていった。ありがとうプリウス。あなたのお陰で僕は「気楽に高速道路を走る」という初めての体験をすることができた。助手席の息子もすっかり寝落ちている。安らかな気持ちで走る僕の前に現れた第二の刺客が現れた。薄汚れた荷台によく分からない何かを満載した、ボロボロの軽トラックだった。

一体あの荷台には何が積まれているのだろう。目をこらして見るが、さっぱり分からない。それは積み重ねられた何かのようにも見えるし、ひとつの巨大な何かにも見える。いずれにしても、何かさっぱり分からない。あるいは、何でもないものなのかもしれない。いけない。無駄に哲学的になってきた。

しばらく走っていて、問題は荷物ではないことに気付いた。視界の動きが鈍い。追い越し車線を走る車の数が明らかに多い。速度メーターに目を向けると、針は時速70kmを指していた。

時速70km。制限速度の10kmアンダー。10kmアンダーって何。何でもいい。とにかく遅い。シルバーマーク・プリウスと共にあった時間が、スピード感溢れる思い出になっていく。70kmって、下手したら下道でもうっかり出ちゃう時あるやつじゃん。

ここまでくると、心が穏やかとかいうレベルではなくなる。僕は走るのにお金のかかる道を行きながら、何をやっているのか。追い越し車線をカッ飛んでいく彼らは、間違いなく支払った価格に見合った価値を享受している。僕はどうか。オンボロの軽トラックはどうか。さすがにこれは、追い越してもいいのではないか。

心が乱れかけた瞬間、あることに気付いた。この軽トラック、時速70kmしか出さないのではなく、”出せない”のではないか。

よくよく見るだに、車体はもはや限界である。ロープで締め付けられている荷台の壁は斜めに傾き、ちょっとしたきっかけで外れてしまいそうだ。走行の振動による上下運動も激しい。もしかしたら、時速80kmを超えるとバラバラに分解してしまうのかもしれない。

俄然緊張感が増してきた。僕にはこの軽トラックを見届ける義務がある気がする。いや、あるに違いない。だって坂道でうっかり80kmに近い速度が出たら、あわててブレーキ踏んで70kmに戻してるんだもの。これはただ事ではないと見た。この軽トラックが目的の出口に到達するにせよ、バラバラになりハイウェイの藻屑と化すにせよ、僕はそれを最後まで見届けなければならいのだ。

そこまで考えたところで、軽トラックはあっさり次の出口を降りていった。ガラガラの高速道路が広がっている。追い抜かれ過ぎて独走である。ちくしょうめ。

※画像はイメージです

狂戦士ジムニー

しばらくは平穏な時間が続いた。というのも、僕の前を長らくトラックが走っていたからだ。個人ではなく会社の看板を背負って走るトラックは、ドライバーがプロであるということもあり、非常に安定した走りを見せる。

わが進行に変化が出たのは、大阪府内の料金所を越えた時だった。それまでの車列が入れ替わり、何やら落ち着かない動きのジムニーが目の前にやってきた。テールランプの上で初心者マークが燦然と輝いている。手のひらが嫌にベタついた。

ジムニーは左に寄ったり、右に寄ったり、早くなったり遅くなったりを不定期かつ断続的に繰り返しながら、非常に不安定な走行を披露し続けた。しかも3車線の真ん中に陣取っている。明らかに僕以外の車両も警戒していて、ジムニーの周辺には不自然な空白地帯ができていた。

しかもよく見ると、通常ジムニーの背面に積まれているスペアタイヤがない。お前、どっかでやらかしてスペアタイヤ使ってんじゃねぇか。

軽トラックの時とはまた違った緊張感があった。ああプリウス。あなたのお尻が懐かしい。

逃避してもしょうがない。しかし私は『追い越さぬの誓い』と共にある者。これも神の与えたもうた試練である。

そう覚悟を決めた瞬間、ちょっとした事件が起こった。追い越し車線をものすごい勢いで走ってきたアウディが僕とジムニーの間の僅かな隙間に滑り込み、さらい第一車線に移動。しかる後にジムニーの前方に飛び込み、また追い越し車線に戻って走り去った。

まるでアニメのようなハンドルさばきである。危険運転を非難するより先に感嘆してしまった。しかし先を行くドライバーは、そうはならなかったらしい。ジムニーはしばらく右へ左へと車体を揺らした後におずおずと第一車線に移動。ナントカ運輸という箱トラックの後方に付け、そのまま視界の後方へと消えていった。

怖かったんだろうなぁ。

※画像はイメージです

あなたにも『追い抜かぬ誓い』を

運転が苦手な人は多いと聞く。僕と同じ理由で運転が苦手な人はある程度限られるだろうが、それでも今回僕が実験してみた「自分の前を走る車を絶対に追い抜かない」という遊びは、やってみる価値がある。

プリウスの後ろを走っている時にも話したが、他の車との駆け引きや、それに伴う判断をしないでもいいというのは、何かを考えることに時間がかかる人には大変に素晴らしい発見だ。

実際僕は下道を走っている時、頭が疲れると一旦路駐をして体勢を立て直すことが多い。都会の高速道路のしんどさは、交通量の多さから来る疲労を癒やすための路駐もできなければ、サービスエリアもほとんどないという、環境によるところが大きい。

じっくり考えたり、ヒートアップした脳を休ませられれば、あのしんどさは大いに軽減される。『追い越さぬの誓い』は、そのしんどさの発生そのものを抑制してくれた。しかも不思議なことに、”目的地までに要した時間は、普段とほとんど変わらなかった”のだ。

そんなわけで、高速道路や交通量の多い道路で運転をするのがしんどいという方には、ぜひ『追い越さぬ誓い』をおすすめします。

コメント

  1. サクラ より:

    面白かったです。
    車運転してる時って、何だかんだありますよね。って自分も勘違いして逆走したことあり。100メートル位だけど。
    焦って、でも大丈夫。すぐ脇道みつけてさっとおりましたよ。
    その時の対向車の人の顔が、ちょっと思い出す。