不安と生きるイケメンの神的気付きと圧倒的現実。


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大阪市営中央線の電車内に乗り込むと、我々が座った向かいの席で20代後半くらいの女性が、余裕の無い表情でノートパソコンを叩いていた。運命的に出会った僕というイケメンの隣に野獣のような女がいたことにショックを受けたのかと申し訳のない気持ちでいたら、どうやらそうではないことが分かった。

そのビジネスウーマンは眉間にシワを寄せ、肩をいからせ、覆いかぶさる「不安」を振り払うように、それはもう必死の形相である。電車が駅を離れると、お姉さんは絶望的な顔をしてキーを叩く。大阪の地下鉄は東京のように、ケータイの電波が届いていないところが多いのだ。

寄り添って抱きしめてあげたい衝動にかられたが、先ほど事務所に忘れ物をして数百メートル離れた自販機と事務所の間を3往復した僕に対し筆舌に尽くし難い怒りを抱いた彼女様が、「ここに刃物があったら出来るだけ長生きするように気をつけながらお前を削いでいるところだ」といったオーラを放っていることに気付き、自重した。こういった時は特に、僕たちの心は深い相互理解を得るのである。



「不安」というものがどれほど人類の発展に影響を与えてきたかというと、まず最初は命を救っていたんである。我々の祖先がまだどちらかというとサルだった頃、そこには常に「捕って食われる危険」があったのだ。医術的なものも、それこそツバを塗るくらいのものだったろうから、長年連れ添った仲間やパートナーの事切れる瞬間や断末魔を、日常的に目の当たりにしてきただろう。

死を恐れるからこそ「不安」を抱き、毛深きご先祖様たちはその「不安」に従うことで命を長らえてきた。「生命の危機」という事象に対し「恐怖」する。それが先見的に感情に影響を及ぼすと、「不安」となる。

草原に狩りに行くとしたら、そこにはサーベルタイガーとかマンモス的なものがオラオラと闊歩していて、風下辺りからジワジワと距離を詰めてきているかもしれない。だからこそご先祖たちは犬というパートナーを見つけたり、自分たちが風下を行くという知恵を育んできた。「不安」は、必要不可欠なものだったのだ。


ところが現代社会において、ビルの物陰からサーベルタイガーが飛び出してくる可能性は限りなくゼロである。同僚の営業マンが出先でマンモスに踏まれて大怪我をしたという経験も、おそらくないだろう。僕は常に凶暴な女の脅威に晒されているが、だからといって命まで取られるということはない(僕が生命保険に加入するまでは大丈夫なはずだ)。

しかし現実には、多くの人が日々巨大な「不安」に晒され、その場から動けず、そんな自分を責めている。会社をクビになり、家賃を払えず部屋を追い出され、借金を抱えたところで、死ぬことはないというのに。

我々は「死」に変わる何か別のものに「恐怖」している。僕はそれが「分離」と「一体」であると睨んでいる。



「自我」と「真我」という言葉がある。僕たちは「自我」によって動き、「真我」によって導かれる。

悪さをするのは、「自我」である。「自我」には、他のものと自身自身を明確に分離しようとする。不良が学生服を着崩したりするのは、思春期が「自我」の確立時期であるからだ。

それに対し「真我」は、とても深い感覚的な部分で「全てのものは一体だなのですよ。うふふ。」と微笑む。人が誰かと共に何かを達成した時、一人でそれを成し得た時よりも明らかに大きな喜びを感じるのは、「真我」が求めたものが満たされるからである。



話しを戻そう。どうして僕たちが「分離」と「一体」を恐れるのかというと、答えは簡単だ。「自我」が極度に「分離」を求め行動に移すと、「真我」が「寂しい」と感じる。「自我」は「真我」に導かれるから、その寂しさを埋めるために「自我的」に「一体」を感じようとする。

しかし、それまで「真我的」生き方をしたことがない人は、本当の意味で「真我」が満たされる「一体」の感じ方を知らない。その状態で「一体」を感じるには、「世間を敵と仮定して攻撃する他ない」、という発想に至る。

時折世間を騒がせる食品への異物混入の事件など、その一例だ。「一体」、つまり「繋がり」を歪んだ形で感じるために、そういうことをするのだ。注目されることで、自分が社会や世間と繋がっていることを感じたいのだ。

僕たちが「不安」を感じるのは、「自我的」生き方をしているからだ。自分という存在を存分に生きることと、自分と特別と盲信し他者の上位に立とうとすることは、まるで別物である。ビジネスの言葉を使うと、「貢献」なくして「報酬」は得られない。



まぁダラダラと思い付くままに書き綴ってきたけれど、用は「愛」なんである。「愛」。

「愛」とは、「心開いている状態」のことである。微笑みかけてもらい、「あなたは特別な人だから」という接し方をしてもらえれば、嬉しいに決まっている。嬉しいのだから、先にこちらがそうするのだ。先にそうしてもらおうとするから、満たされないのだ。

なぜなら、相手も同じことを求めているからだ。寂しい者同士がお互いに温もりを奪い合うことをしても、心は満たされないんである。



・・・この素晴らしい気付きに涙を流しそうになっていると、電車は一旦の目的地たる本町駅に辿り着いた。ウットリとしていた僕は珍しく降りる駅であることに気付かず(10回に7回という珍しさだ)、隣にいた彼女様に叱咤された。


彼女様「降りるぞお前ふざけんな。刃物あったら削いでるぞ。」

僕「やっぱりですか・・・せめて一思いに・・・」

彼女様「ダーリンには出来るだけ長生きしてほしいなッ(ギラッ)」


同時に例のビジネスウーマンが、何かをやり切ったような顔でノートパソコンを閉じた。襟首を引っ張られながら僕は『消せない「不安」もあるのだ』と、新しい気付きと出会っていた。


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