千葉から和歌山県の実家に帰ってきて早くも一週間が経った。ちょうど正月三元日の最終日ということもあって、宅内の空気は実に穏やかである。うっかり気を抜くと簡単に飲み込まれ、コタツの中で体を丸めてネコを撫でながらみかんを食べている。一人暮らしをしていたころと比べると、別の意味で厳しい生活が待っていることは、確実だ。
この一週間、僕は実家の家事を手伝いながら、必死に仕事用の部屋を準備していた。今回僕が仕事部屋として使用することになったのは、我々兄弟が小〜中学校時代に勉強部屋として使っていた宅二階にある四畳半のフローリング部屋である。日当りが良く、ふたつの窓と押し入れがあり、条件は申し分無い。想定外であったのは、僕が実家に戻った時点で室内が完全な物置と化していたことである。
その押し込められぶりは凄まじく、まず、押し戸となっている部屋の扉が全開しないのである。戸の向こうに何かリュックサック的なビニール布的な何かがあって、戸を開こうとするとムッギュムッギュと押し返してくるのである。スタートから心が折れそうになっている僕を出迎えてくれたのは、夏物冬物と家族の洋服が詰め込まれた数々のクリアケースと、解体された二段ベッドのパーツ、そして幼少時代から集めたマンガや雑誌の数々と、ブラザーちゅわさんが「まだ使う」と言い張るガンプラの残骸山脈であった。
その圧倒的な景観におしっこ漏らしそうになった僕は、それでもうぉぉと勇気とモチベーションを振り絞り、掃除機と雑巾と大量のゴミ袋を握りしめて作業に着手した。ちょうど、ひのきの棒一本で大魔王に立ち向かうようなものである。
まず取りかかったのは本の整理である。整理といっても殆どが要らない本であるから、ビニール紐で縛ってまとめるだけである。「NARUTO」「ライジングインパクト」「フルメタルパニック」「天上天下」様々なマンガを縛り上げ、様々なプリントをゴミ袋に放り込む。あっという間に廊下が押し出した本でミチミチに圧迫され、借金にまみれた挙げ句の夜逃げの様相を呈した。
心に全く余裕がなかったからだろう、iPhoneの写真フォルダを見返しても、その時の部屋の写真が一枚も無い。あの時に優しく抱きしめて貰っていたなら、相手が生物学上女性であれば、問答無用で惚れていた自信がある。
しかし、苦労の甲斐もあって部屋の中央には大きなスペースが出来た。これまでは部屋の中でモノの要不要を判断することさえ難しかったから、これで作業効率は遥かに向上することだろう。うまくいけば、明日にはこの部屋で仕事を始めることができるかもしれない。
ウキウキとしていると母から
「押し入れのお前らの教科書とかも片付けといてくれ」
という指令があった。この勉強部屋の押し入れの中には我々兄弟の教科書やランドセル、絵や版画といった工作作品から見られたくなかったテストの答案まで、様々なものが放り込まれているのである。親の心情としては、どうしても自分では処分できないものであったのだろう。事のついでということで、僕はそれを引き受けた。
ちょうどこの頃、僕は実家の窓掃除の命も仰せつかっていた。いわゆる大掃除である。部屋の片付けは僕の都合であるし、住まわせて頂いている以上、僕には当然この家に貢献する義務がある。何より指令を発する母の言葉には、
「断るまいな。」
というスゴ味があった。やってられるか、などとぬかそうものなら、僕は2014年を猫と一緒に納屋の発泡スチロールの上で迎えていたことだろう。「はい、喜んで」という教育の行き届いているカラオケ店店員のような快活な返答を返した僕は、押し入れの片付けをテレビの前で退屈そうにしていたブラザーちゅわさんにお願いして、作業に入った。
窓の掃除を終え、道具を片付ける。なんだかんだで二日がかりになってしまったが、仕上がりは上々である。父も
「窓が鬼のようにキレイやな」
といって驚いていた。鬼ってキレイなんですかお父さん。
家族全員に満足頂いたということで、僕は意気揚々と部屋の片付けに戻ることになった。階段を上がり、詰み上がった本を躱して部屋の戸に手を掛ける。何せ9年分の色々が3人分も詰め込まれているのだから、ちゅわさんは相当な苦戦を強いられているはずである。さぁ、本陣大将お兄ちゃんの到着である。これで我らの有利は動かぬ。勝利の狼煙を上げよ。大地を揺らせ、凱歌を歌え。
張り切って戸を押すと、昨日まで全開できるようになったはずの戸が何か硬いものに当たって途中で止まった。もしかしたらちゅわさんが作ったゴミ袋が置かれていて、それに引っかかっているのかもしれない。僕は戸の隙間から室内を覗き込んだ。そこには、僕が数日掛かって作った片付け作業用のスペースに押し入れの中の荷物を全て放り出し、うずたかく詰み上がった段ボールと紙切れの狭間に座り込んでマンガを読みふけるちゅわさんの背中があった。僕が戸を空けた衝撃で本の山がひとつ崩れる。ちゅわさんは気に留める様子も無い。味方と思い助けに入った先遣隊は全面的に裏切りの態度を示し、お兄ちゃんは四方八方からバッサバッサとぶった切られて、冷水と洗剤で荒れた両手で顔を多い、無念と呟く間も与えられず、本で埋め尽くされた廊下の隅に、静かに崩れ落ちた。
この部屋に仕事道具を展開できたのは、この敗戦の三日後のことであった。